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繼體天皇

 第二十六代天皇として即位した男大迹王は福井県に所縁があります。

 幼少時代を越前國高向(福井県坂井市丸岡町高椋)で過ごした王は、沼沢地であった越前平野を開墾しようと考え、崩川(九頭竜川)の流れを整えて干拓を進め、遂に越前平野を実り多い豊かな土地としました。

 更に九頭竜川河口付近に湊を置いて東西の水運を活発化させ、産業基盤を築きます。

 このような手腕が中央政府に伝聞として伝わり、皇嗣のなかった大和朝廷は男大迹王を天皇として迎えに来ます。

 この時に大伴金村が大きな働きをしたので、後に権勢を誇りました。

 男大迹王は河内國樟葉宮で即位します。この地域は物部氏の勢力範囲で、王が大伴氏(摂津、河内の沿岸部)と物部氏(河内)に支えられているのが窺えます。

 聖徳太子の父親である用明天皇の祖父に当たり、現皇族方の直接の祖先です。

 男大迹王の足跡はこれら政治的側面に留まらず、能の「花筐(はながたみ)」としても伝わっています。

 また、その即位の経緯から皇統が途絶えそうになった時の対応も我々子孫に遺しております。

 現代社会の狭い料簡に囚われず、我々は先祖の遺した知恵を用いて男系継承を維持して、未来の子孫たちに胸を張っていたいですね。


 男大迹王は越前を出発する時に、足羽山(福井市)に自らの生霊を鎮めて、これを娘に祀るよう命じています。これが足羽神社です。

 また味真野(あじまの)(越前市)にも足跡を残しており、能の「花筐」で照日前の故郷とされ、地域内には男大迹王を祀る神社が鎮座しています。

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