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土井利忠

 土井利忠は第七代大野藩主です。

 大野藩土井家は大老土井利勝の四男、土井利房を初代藩主として始まった藩です。

 藩主は第四代までは利勝直系でしたが、第五代利義は井伊家(彦根藩)より養子に迎えられています。利忠はこの利義の実子として産まれ、第六代利器(としかた)(下総関宿藩、久世家より養子)の養嗣子となって大野藩を継承しました。

 大野藩は幕末の他藩の例に漏れず、藩財政は慢性的な赤字で、累代に及ぶ失策や凶作、災害などに見舞われた結果、藩主就任時で既に破綻寸前でした。藩士に対する禄の支給さえも滞っていたと言われます。

 文政十二(1829)年、十九歳で領国入りして、倹約と領内産業の保護政策を実施します。更に銅鉱山の再開発を命じて、財政基盤の強化を目指しました。

 三十歳の時に「更始令」を発布して、挙藩体制で難局を乗り切るよう藩内に通達しました。

 この間にも人材登用を進め、下級武士の内山兄弟を財政再建と教育、軍制改革に抜擢します。

 兄の内山良休は辣腕を発揮して鉱山経営を軌道に乗せると、大坂に大野屋という商店を開設します。

 最初の取り扱い商品は煙草で、集まって来る客の雑談などから情勢を推測して収益を上げました。

 弟の良隆は士民混合の藩校で教鞭を執る一方、優秀な生徒は藩費で大坂の適塾に遊学させるなど、教育改革を進めます。

 大野藩校は適塾から講師を招くなどした結果、全国各地からも人々が集まるほど興隆し、生徒の中には緒方洪庵の子らも含まれておりました。

 軍制改革は当初、大砲を扱うのみでしたが、ペリー来航の後は洋式軍隊に転換して、諸藩の評判となります。

 領民に対しては種痘を強制して疫病の蔓延を予防するなどして、生活の安定を図ります。

 各地に出店した藩営の大野屋では藩内で生産された農産物や工芸品を販売していましたので、領民の生活は向上しました。

 更に樺太の開拓にも進出しましたが、これは最終的に失敗しています。

 文久二(1862)年、隠居して家督を三男の利恒に譲ります。

 明治元年に病没。入領当初の歳入で八十年分と言われる莫大な借金を抱えた藩財政を、改革八年間で黒字化した手腕は名君と讃えられています。

大野藩の改革は、大島昌宏さんの「そろばん武士道」に詳しく描かれております。


緒方洪庵の息子二人は本来、加賀大聖寺藩へ勉学に赴く予定を、旧知の多い大野藩に勝手に変更した為、親から勘当されています。

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