勝山市
勝山市は奥越と呼ばれる地域の北側にある市です。
泰澄大師が開いた白山平泉寺の門前町として発展しました。
白山信仰の禅定道は三本あり、岐阜県側の洲原神社(前宮)から、長瀧寺(馬場)、白山中居神社を経て登頂する美濃路、石川県の白山比咩神社から登頂する加賀路、そして平泉寺から登頂する越前路です。
いづれの寺社も泰澄大師の創建か改修を受けています。
中世は修験道の盛んな地域でした。
江戸時代以前は白山頂上に鎮座する奥宮の祭祀を加賀が担っていましたが、江戸幕府の裁定で平泉寺が祭祀権を持ちました。
維新後は神仏分離により組織の解体が進み、奥宮の祭祀権は加賀の白山比咩神社に移り、総本社も加賀に定まりました。
中世の平泉寺は僧兵を多く抱え、最盛期には八千人もいたと伝えられています。南北朝の争乱で新田義貞を討ち取ったのは平泉寺の僧兵でした。
戦国時代は一乗谷の朝倉一門と緊密な関係を保ち、信長に抵抗しますが、降伏します。
その後、旧朝倉家臣団の内紛に関わり、朝倉景鏡を匿ったことで真宗と対立しました。
真宗側の村岡城を攻めている間に留守の平泉寺が襲撃され、混乱した隙を真宗側に痛撃されて軍勢は瓦解し、平泉寺も焼け落ちました。
その後、秀吉の時代に再建が始まりましたが、往時の隆盛が戻ることなく現在に至ります。
平泉寺が衰退して後、江戸時代初期には結城秀康の子らが藩主となって勝山藩が立藩されます。
一時的に幕府直轄領になりますが、美濃高須藩から小笠原氏が移封され、この小笠原勝山藩は幕末を乗り切って維新を迎えました。
現在の勝山市には、スキー場や恐竜博物館などの観光施設があります。化石の発掘体験もできます。
初春を祝う左義長祭りは現在、二月の最終土曜日に行われています。
近年ではバドミントン女子の山口茜選手の活躍もあって、スポーツも盛り上がっているようです。
魅力溢れる勝山市へお越しになりませんか?
東尋坊(坂井市三国町)の名前の由来は、平安時代末期に平泉寺にいた僧兵の名前です。
この僧兵は怪力が自慢で乱暴狼藉を働き、他の僧兵からも疎まれていました。
ある春の日、東尋坊は海辺見物に誘われて、海岸の岩壁に行きます。
そこで一同は酒盛りを開き、東尋坊も飲酒して眠ってしまいました。
ここぞとばかりに他の僧兵たちは岩壁の上から東尋坊を突き落とします。
東尋坊が波間に没すると晴天にわかに掻き曇り黒い雲が渦を巻きつつ空を黒く染め、豪雨と雷が大地を打ち、大地は激しく震えだしました。
東尋坊の怨念は次々と人々を海に飲み込み、春先のこの時期は海が荒れ狂って漁師も舟を出せないほどでした。




