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佐々木小次郎

 謎多き剣豪、佐々木小次郎は一説に越前国の生まれとされます。

 この伝承に拠れば、小次郎は一乗谷城の更に山奥、一乗滝の近くで生まれたとされます。

 剣術の師は朝倉家臣、冨田(とだ)九郎左衛門長家の孫である冨田勢源(中条(ちゅうじょう)流)、或いは勢源の弟・景政の弟子である鐘捲(かねまき)自斎(鐘捲流)とされています。

 ただ中条流は小太刀で有名な流派で、勢源自身も小太刀の達人でしたので、小次郎の師は鐘捲自斎が有力視されています。

 こうした師弟関係から小次郎の生年を推測すると、まず冨田景政が1524年生で1593年没ですから、鐘捲自斎が1540~1550年ぐらいの生まれで、小次郎は1560~1570年ぐらいの生まれになるでしょう。

 もう一つの説、景政の兄である勢源の直弟子とすれば、鐘捲自斎と同年代となります。これでは1584年生まれの宮本武蔵と大きく年齢が離れてしまいますので、小次郎の生年は1560年代が妥当と思われます。


 小次郎は中条流を学んだ後、(がん)流という一派を立てます。

 巌流は刀身三尺の長太刀を得物として「燕返し」などの技を持っていたようです。

 弟子も複数いて、後に宮本武蔵の弟子と門人同士でどちらの師匠が優れているかで揉め事が発生し、巌流島の決闘へと発展します。

 決闘当日、舟島で待ち構えていた小次郎一人に対して、宮本武蔵は門弟四人を引き連れて対決します。

 結果的に武蔵の一撃で小次郎は失神しますが、生きていては困る武蔵の門人たちに殺害されてしまいます。

 後に師匠の死因を知った小次郎の門人たちは武蔵を追い掛け回し、武蔵は門司城に逃げ込んで城代の沼田延元に匿われています。こうした経緯で武蔵は晩年を隠遁生活することになります。

 小次郎は舟島に渡る前に地元住民から「武蔵が約束を破って複数で渡った」と聞かされていましたが「武士が約束を破るのは恥辱」として単身で渡ったという伝承もあり、彼の心意気に感じ入った地元住民は舟島を巌流島と呼んで、小次郎を手厚く葬ったとされています。


 なお小次郎は1612年4月13日(旧暦)に巌流島にて死没です。




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