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吐息の理由  作者: 天川さく
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後編

 ん、と康平がカラフルな図を差し出した。

 びっしりと書き込まれたカラフルな柱状図。わたしは思わず息を飲む。


「すごく細かい。きれい。これってさっきから書いていたやつ? 手書きを卒論に使うの?」

「まさか」

「だって」

「美月たちが使いやすいように色分けをした。論文に使うのはモノクロだしね。気になったこともメモしたから使って」


 わざわざこんな手間を? 書きあげるのに何時間もかけて? 康平だって──めちゃくちゃ忙しいのに。


 康平が笑みを浮かべていた。

 アップルサイダーを飲んだときと同じ笑み。康平が手をのばしかけ、けれど指先を折り曲げて。指の関節で軽くコンコンとわたしの頬に触れる。


「がんばれよ」

「──ありがと」


 康平の背中を見送って、ひとりデスクに地質図を広げる。康平がくれた柱状図ってこのあたりのよね。地点を見ながら頬が緩むのをおさえられない。

 瑛太さんにどれだけ優しい言葉をささやかれようと、肩をよせられようと、額にキスまでされても康平にはかなわない。

 わたし、やっぱり。

 笑みを浮かべてわたしは康平の柱状図を指先でなぞる。



「この柱状図、どうしたの?」


 瑛太さんが康平の柱状図を食い入るように眺めている。それからわたしではなく康平へ顔を向けた。

 ……怒ってる? 自分の仕事に水を差された気持になった?


「瑛太さん、あのね、これは」

「康平。昨日だってほぼ徹夜なのに。これもやってくれたんだ」


 徹夜? そうなの?

 わたしも康平を見る。パーカーのフードを半分かぶるようにして製図ソフトを操作する康平。その姿はいつもと変りなく見えたけれど。

 ちょっと待って。どうして康平が徹夜したって知っているの? 瑛太さんこそ徹夜? それもすぐにこれが康平の図だとわかるって?

 そう思って振り返り──わたしは口を閉じた。


 瑛太さんが笑っていた。

 なんともいえない柔らかい顔で康平の柱状図を指でなぞっている。

 あ──。

 予感がじわじわと押しよせる。

 瑛太さんはそのままの姿勢でそっと声を出した。


「康平にお礼しなくちゃね。美月ちゃんさ、余市の蒸留所のアップルサイダーって知ってる?」


 ぎょっとする。

 どうして瑛太さんがそれを?


「康平から聞いたんですか?」

「ちがうよ」

「なら」

「見ていればわかるでしょ。あれ、康平の好みだと思うんだよね。なかなか売ってなくてさ。どこなら買えるかなあ」


 見ていればわかる? そんなにあいつ、サイダーを飲んでいたっけ?

 予感がどんどん濃くなっていく。

 瑛太さんは康平の柱状図を撫で続けている。

 うん。もう、ほかにたとえようもなく──愛しそうに。


「ここって本当にレキ岩かな。なら僕らの地点も見直さなくちゃね。美月ちゃん、いい場所を知らない?」


 うん──知らなかった。

 ……いつから? 秋に入学してきたときから?

 わたしにからんでいたのは、わたしが目的じゃなくて。

 ああ──そうか。

 毎日かならず康平に話しかけて。どれだけつれなくされても態度を変えることなく。康平に向ける顔はいつも笑顔。

 いつもいつもいつも。

 そういえば──わたしをご飯に誘うときは、かならず康平も誘っていた。あれって康平がついでじゃなくて、ついでなのは。

 わたしは吐息をもらす。


「……なにやっているんですか」


 瑛太さんが顔をあげる。

 わたしは康平に視線を向け、それからまた視線を瑛太さんに戻した。気づいちゃった。その合図。

 瑛太さんの顔から笑みが消える。


「馬鹿みたい」

「……そういわれてもなあ」


 瑛太さんは力なくつぶやくと顔をくしゃりとゆがめた。

 それだけで十分、彼がどれだけ康平を思っているのか伝わってきた。

 大切で、好きすぎて、言葉に──できない。

 あふれる思いで相手をつぶしてしまいそうで。どうしたらいいのかわからなくて。

 だって康平は言葉の重みをわかっているから。だからきっと──瑛太さんからいわれたら。絶対に真剣に受けとめる。考えて考えて、それで。

 瑛太さんはそこまでわかっているから。

 康平を困らせたくなくて。

 わたしだって──。

 


 ああもう。

 わたしは大げさに肩をすくめた。


「うっかりわたしにキスするなんて、額でもホントないですよ」

「だって可愛かったんだもん」

「ペットみたいに?」


 そこまでは、と瑛太さんは口ごもる。わたしは苦笑して、にじんだ涙を指でぬぐう。


「手加減しませんから」

「えー。そんなこといわずに。してくれていいんだよ?」


 顔を見合わせる。ふふっと笑う。

 それからそろって、吐息をもらす。

 まったくもう。

 康平がどれだけ難しいのかわかっているの?


 人生って本当に、意地悪だ。


 

(了)

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