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吐息の理由  作者: 天川さく
1/2

前編

挿絵(By みてみん)

吐息の理由


天川(てがわ)さく




 気づいて。

 声にして。

 好きだって──いって。


 そう思っていたからかな。

 (ひたい)があたたかくなって視線だけをあげた。

 ──瑛太(えいた)さんがわたしにキスをしていた。


「な、なな」


 慌てて椅子ごとひっくり返りそうになり、背後に立っていた瑛太さんが「おっと」と支える。


「あぶないよ」

「じゃなくて、なにするんですか」


 康平(こうへい)の目の前で、といいかけて口を閉じる。

 瑛太さんはちらりと視線をやって「だって」ととろけるような顔をした。


美月(みつき)ちゃん、可愛いんだもん」


 だもんって、こどもか。


「その場のノリでやっていいことと悪いことがあってですね」

「ノリじゃなかったら?」

「なおさら駄目です」

「つれないなあ」


 あのですねえ、と瑛太さんへ測定データの束を差し出した。


「こんなに仕上がっているんです。さっさと教授に報告しないと。遊んでいる場合じゃなくて」

「遊んでないもん」

「瑛太さん」


 かたりと音がした。康平が立ちあがっていた。背中を向けて学生部屋を出ていく。……うるさかった? 違う……そういうことじゃなくて。

 ──ああもう。

 吐息がもれる。



 康平をちゃんと知ったのは一年前。震災直後の大学三年の夏。

 この地質学の研究室に一緒に入って、とにかく人手不足だからとペアを組まされ、あちこちの震災現場へいった。

 最初はなんて喋んない男子なのって。

 でも──。

 今年の夏。

 現場帰りによった余市(よいち)の、辛うじて罹災をまぬがれた蒸留所で、「車ならお酒は駄目っしょ」とすすめられたアップルサイダーを飲んだら。


「うまい。なにこれ。めちゃリンゴ。こんなのおれ飲んだことない」


 そっか、と康平は口元をぬぐう。


「ここって震災前はシードルも作っていたんだよね。この風味はその応用? 甘みもただの炭酸飲料っていうよりノンアル飲料みたいで」


 思わずぷはっと笑ってしまう。


「結構語るのね」


 康平が黙る。……怒らせた? そう思ったとき、康平がわたしの頬を指先でぬぐった。


「サイダーがついてた。人のこと笑うから」

「……ごめん」

「言葉ってさ。分身みたいじゃん。軽々しく口にしたくないんだ」

「風味の話は大丈夫なの?」


 康平は微笑むとアップルサイダーを飲み干した。

 それから、空瓶をベンチにおいて、前を向いたままわたしの指に指をからめた。


 細くて長い指先。

 ひんやりとしていたその指が次第にあたたかくなって、わたしの体温と同じになり。……ただそれだけなのに、身体の芯がむずむずして。


 そのあと──帰路の車窓から見た夕陽。

 身体が震えた。

 夕陽なんて何カ月ぶり? 世界中の火山の噴煙で空はずっと厚い雲におおわれていたから。運転する康平の横顔をそっと見る。康平の目もほんのり潤んでみえた。


 こうやって、と思った。

 こうやって少しずつ、ふたりの間を深めていけたら。

 そうすれば──。

 どんな地震があっても、火山が噴火しても、教授がめちゃくちゃな指示を出しても、わたしはがんばって生きていけるのに。

 ──そう思っていたのに。


 

 そのひと月後。

 大学院の秋入学で瑛太さんが研究室にやってきた。

 教授の提案でわたしは瑛太さんと共同研究をすることに。わたしにとっては卒論あつかい。とても断れない。


「美月ちゃんて可愛いコだなあって入ったときから思ってたんだ」


 そんな軽口を叩きながら「ね」と康平に微笑みかける。

 康平は不機嫌そうに顔をそらし、瑛太さんは意味ありげにわたしの肩を小突く。


 そう。

 瑛太さんはスキンシップが多い。

 挨拶するように頭を撫でて、頬をつつき、髪に指をからめてくる。

 距離も近い。

 呼びかけられて顔をあげたら、息がとどく位置に瑛太さんの顔があるなんていつも。


「瑛太さん、近いです」

「あーごめん。近づけないと値が見えなくて」

「ノートごとどうぞ」

「美月ちゃんの匂いがする」

「返してください」

「まだ数値を書き写してないよ」


 早くして、といいかけて口を閉じる。

 これではまるで痴話げんか。

 こんなところを康平に見られたら。そう思うときに限って、ちゃっかり康平は見ている。

 気まずい空気が流れているのに瑛太さんはあおるように「ねー。美月ちゃんっていい匂い」って康平に同意をもとめて。

 やめてってわたしは胸でさけんで。康平は無言で瑛太さんに背を向けて。それを見て瑛太さんは吐息をもらし。

 

 なんなの一体。

 わたしはどうすればいいの。

 康平はわたしと瑛太さんが仲良くしていてもいいの?

 不機嫌そうにするなら何かいってよ。

 ……苛立ちはつのるばかり。

 はああ、と思う。

 なんでわたし、こんなやつをずっと待っているんだろう──。

 瑛太さんのほうが。

 ずっと優しくて。

 ずっと気安くて。

 ずっと笑いかけてくれるのに。


 わかってる──。わたしは康平の背中を見る。

 康平はとても言葉を大切にしている。軽々しい言葉ははかない。

 だけど。

 だからこそ。

 ──わたしはそっと息をはく。



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