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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女の告解

作者: みてくら

 魔女が死んだ。或いは、魔女でなかったのかもしれない。今や煤に塗れた屍に成り果てたという事実が、魔女であった証左なのだと、人々の目に浮かぶ熱狂の色が語っているように見えた。

 どちらにせよ、焼かれた女のことなど一切知らない私にとっては同じことだった。ただ一つだけ確かなことは、彼らの関心は大道芸などでなく、人死にに吸い寄せられているということだ。この場に居合わせる誰一人として、私の手中を踊る玉の行方など気にしてはいなかった。どれだけ荘厳に英雄譚を語って聞かせようと、振り返りもしないだろう。

 もはや人でも魔女でもなくなったものに対して罵声を浴びせかけるさまは、正しく人の姿であり、私という道化に介在する余地はどこにもない。村の中心地ともいえる小さな広場において、私だけが異端者であった。


 われわれはどこへ行こうと異端者であるし、蔑まれることにも慣れていたが、これほどまでに無意味な熱狂に当てられることはそうない。

 故郷へ帰る途中だった。数年の間を道化として幾人かの仲間とともに各地を放浪していたが、十日ほど前に集団を離れて故郷へ帰ることを決めた。

 ただ、その道中で村に立ち寄ってしまったというだけの話であるのに、私は地獄の門を潜ってしまったかのような気分だった。

 

 やがては怯え竦む民衆の一人に戻ると知りながらも、現実から目を逸らすために他者の死を娯楽とする哀れな様子に耐えられなかった。胸の内に宿る本心はともかくとして、熱狂という流れに乗らねば自身の命さえも危ういと考えながら、彼らは一個の群れとしてどこより生じたかもわからぬ信仰に溺れていくしかない。

 所詮、人とは群れの中でしか生きていけぬ生命なのだ。


 人の群れから逃れるように広場を離れて、まるで人気のない大路を歩いていると、道の隅に猫を撫でる女がいた。短い男物の外套を頭に被っていることから、その女は娼婦なのだと思った。

 私が「今日は」と声をかけると、娼婦は猫を撫でたまま緩慢な動作でこちらを向いた。顔に大きな傷を持つ女だった。辺鄙な村の襤褸を纏った娼婦という割に、随分と肉感的な体躯をしていた。

 われわれは互いに視線を合わせたまま静止した。長い沈黙だった。広場から聞こえる喚声ばかりが、時間の流れを確かなものにしている。

 狂い果てた村の中で、それ以外の全て、私も娼婦も、何もかもが止まってしまったのではないかと錯覚し始めた頃合で、猫は「にゃあ」と一つ鳴いて広場へと駆け出していった。今も燻り続ける魔女の臓腑を食いにでもいったのか、自身が魔女の遣いであることを思い出したのかもしれなかった。


「あの猫もまた死に魅入られているのです」と娼婦はようやく口を開いた。「この村では、それが正しいのではないか」

 娼婦は満足げに頷いた。女はすっかり機嫌を良くした様子で腰を上げると、何度か伸びをして、何の用かと聞いてきた。

 泊まる場所を探していると告げると、娼婦は「ならば私の家へいらして下さい」といった。しかし、私に娼婦を買うだけの持ち合わせなどなかった。


「君を買うつもりはない」――「そうでなくとも、私の家に来る以外では、寒空の下で夜を明かす外ありません」「それはなぜか」


「この村に住む誰一人として貴方を歓迎しません。貴方の発した物音の一つでさえも、家主を魔女たらしめる理由になり得るからです」

「では、君とてそうではないか。魔女の謗りを免れるいわれがあるというのか」

「そのために、私は貴方を迎え入れようというのです」


 娼婦はいやに真剣な顔を湛えていた。私には娼婦が嘘を言っているように見えなかった。もと来た道を戻って広場にいる人々に宿を貸してくれないかと尋ねたところで、色よい返事が返ってくるとも思えないが、だからといって教会も道化である私を泊めはしないだろう。


「本当に持ち合わせがないのだ」

「それでも構いません。私はただ、人と言葉を交わしたいだけなのです」


 娼婦の言わんとしていることはわからなかったが、私は「わかった」と返した。この村にいることは私にとって耐え難い苦痛であったから、せめて屋内に逃げ込みたかった。

 娼婦はやはり満足げに頷き、着いてくるようにと促しながら歩き始めた。

 誰もいない大路の真ん中をただの二人で歩いていると、まるで滅んだ世界を歩いている気分になった。背後から聞こえる喚声は、死者が仲間を求めているように、深く絡み付いてきた。

 この村の人々はその全てが、確かに死に絶えているのかもしれなかった。私にとっては異常である彼らこそが、この村では正常なのであって、彼らからすれば私の方が死人に見えるのかもしれない。私を先導する娼婦が、どちら側の人間であるかはわからなかった。

 今はただ、一刻も早く死者の声を振りほどきたかった。 


 娼婦の家は村のはずれから、更に少し行ったところにあった。

 おおよそ娼婦の家とは思えぬ大きなベッドに、二つの長持ち、そして風除けの壁掛けと囲炉裏が部屋の全てであった。しかし、この光景だけで、娼婦がただの娼婦としてでなく、この村でなんらか重要な役割を担っているであろうことがわかった。

 娼婦は私にベッドへ座るよう促すと、自分は長持ちに腰掛け「村の誰しもに蔑まれる私が、もっとも安穏と生きている理由について答えを求めてみたくなったのです」といった。


「生きる理由について、不道徳と不信心の体現たる我らが、どのようにして生存を許されているのかがわからないのです」


 答えを求めている、まるで懇願するかのような声であったが、私にはなんと言っていいのかわからなかった。街から街へと蝗害の如く飛び回る道化にとってすれば、生存など考えるまでもなく、ただそこにあるものでしかない。飛蝗に何を考えて生きているのか、と問うほど無意味なこともないのだ。


 私はなんと答えれば良いのかわからず「君はなんなのか。娼婦か、それとも死者か」と娼婦にいった。


「彼らは魔女になることを恐れているのです」


 娼婦の答えは、まるで答えにもなっていなかったが、地獄などそんなものだろうと思った。私とて、無意味なことを繰り返し口にして小銭を拾い集めてきたのだ。

 日が落ちようとしていた。


「自身がなることは怖くとも、他人がそうなるのは面白くて仕方がないといった風情ではないか。処刑台に列を成しながら、どうして他者の死を喜べようか」

「そうしなければ自分を保つことさえできぬのです。彼らは炎によって熱狂し、やがて来る夜に死を思い涙します。それは、自らが明日終わるかもしれないと知っているからです」


 娼婦は慣れた手つきで長持ちから蝋燭と火打ち石を取り出して火をつけた。男どもに抱かれるときに使うのだといった。長持ちの中では、蝋燭の心細い火を浴びて幾らかの貨幣が鈍く光っていた。


「彼らは自身の妻にさえ恐れを抱いているのです。妻を満足させられなければ、それだけで魔女と密告されかねない恐怖に耐えられず、やがては私の下に来るのです。もっとも弱々しい私を虐げることでしか、彼らは自尊心を保てないのでしょう」


 娼婦は顔の傷を撫でた。また、傷を撫でる手の甲にも傷がついているのを薄らと見た。


「この村の男どもは、安住の地を私という娼婦の胸の内にしか見出すことができず、また他者に奪われぬよう必死に争っています。彼らほど哀れな生き物がどこにいましょうか。まるで肥溜めに群がる蝿ではありませんか」

  

 蝋燭のみが照らす室内は薄暗かったが、先ほど目にした炎が眼前に燃え上がっているような気がした。

 私は、それが娼婦の激情のためであるのだろうと思った。


「私の行いは罪なのです。多くの人と姦淫をし、そうすることでしか生きる術を知らぬのです。私は深く不道徳を為しながら、僅かばかりにも後悔の念だとか、反省の情を胸に抱いたことはありません」

「他者に自らの不道徳を告白するとき、その人は自らの行いを責め立てられることを求めている。それは罪の告解であって、後悔の現れである」


 娼婦は目を見開いた。炎が、更に燃え盛る気配がした。


「私は道化であるし、自らが信仰い篤い人間ではないと知っている。けれど、私は自分の脚で歩き、自分の技術で生きているという自負心がある。それは君であれ、農夫であれ、王でさえも変わらぬ責務によるものだ。人は人として生まれ、人として死ぬべきなのだ。それがどうだ、この村では弔いの鐘さえ鳴り渡ることはない。今日焼け死んだ女のために、一体誰が弔いの鐘を鳴らしたというのか。魔女になることを恐れているといったが、この村に自身の足で立つ人間がどれほどいようか」


 女は瞳に涙を浮かべながら「いいえ、いません」といった。それが悔恨以外によって引き起こされることのない類の涙であることは明らかであったし、何より、この村にあってただ一人熱狂の波に飲み込まれていない娼婦は、他の村人に比べても遥かに人間である気がした。


「罪に塗れた人々の営みはやがて滅ぶ。小さい村(ツァオル)へ逃れるのならば、今をおいて外にない。人が人であるうちに逃れなければならないのだ」


 女は首を振ると、服を脱いだ。生傷ばかりの痛々しい体躯であったが、一筋のなまめかしさを見た気がした。

 炎の熱気が、私の体中を駆け巡った。

 女は私に近付くよう促すと、腹を軽く撫でた。よく見ると、淡い発疹が腹部を覆っていた。

「鼻が落ちると聞きました」と女が言った。流行り病のことだった。


「あれは伝染病との話ではありませんか。もしも、この村に魔女がいるのだとすれば私を置いて他にはいないでしょう。死の病を振り撒く、魔女と何が違うというのでしょうか。黒死を蔓延させた死神のように、私もまた害毒を振り撒く魔女となったのです。それでも尚、私の胸に信仰が宿ると言うのでしょうか」

「弔いの鐘が鳴り続けても、人は滅びはしなかった。村の一つが消えたところで、一体誰が気に止めようか。かつて大洪水によってすら滅びなかった者たちが、どうして病の一つで死に絶えると思うのか。私たちが気に留めるは、矮小な一つの命に過ぎぬのだ。あまりに小さな、手の及ぶ範囲のみを世界と見紛う故の無知である。君が村の人々を病床に追いやろうと、それはソドムに降り注ぐ硫黄の火と些かも変わらず、また、君の罪でもない」


 娼婦は既に自らの死を受け入れているようだった。いずれ死が訪れると知っているのに、どうして男どもと交わるのかと聞くと、「彼らを死に至らしめるため」と応えた。

 

「私はこの村を終わらせたいのです」


 美しいと思った。間近で見る娼婦の頬には涙の跡が伝っていた。気付くと私はその頬を撫で上げ、青みがかった瞳を見つめていた。

 私はあまりの熱に酩酊して、唇を娼婦の唇に押し当てていた。娼婦は拒まなかった。互いの熱が行き来するのを感じた。


「決して振り返ってはならぬ。振り返れば、君も身動きが取れなくなってしまう。どんな過去を持つ人間であれど、天の国を目指す資格はあるのだから、足を止めてはならない」


 私は行為を一通り終えたあと、娼婦の腹を撫でながらいった。熱は冷め、私たちの間には微かな温もりだけがあった。けれど、そうなると次は娼婦が冷たくなってしまうときのことを考えて陰鬱になってしまう。

 夜も深かったが、私は出立することにした。

 冷めゆく女も、再び熱に当てられることも怖かった。


「貴方はお怒りにならないのですか」


 戸口に立つ私に、娼婦がいった。


「何を怒れというのだ」

「私によって害毒が媒介されるやもしれぬというのに、何故そうまで落ち着きはらっているのでしょうか」

「もしも君が罪の女なのだとして、その罪が許されることは永劫にない。教会は私腹を肥やすために本分を忘れ、人は同胞のために弔いの念すら抱くことはしない。あまつさえ、財産の没収すら目的ではなくなっている。殺すために殺しているのだ。この村が滅ぶのであれば、それは神の怒りによるものなのだ」


 私はもう一度だけ娼婦を抱きたいと考えたが、ある物事に対して熱狂を抱く人々の姿を想起して、やめた。それによって死を迎えることは構わなかったが、自分の足で立つことさえできない愚昧さを植えつけられるのはごめんだった。


「神の教えを説く教会が過ちを犯したとき、誰かがそれを裁かねばならない。それが君であるというのであれば、これほど幸福なことはない。君は魔女でなく裁きなのだ」


 私は最後にそういってから娼婦の家を出た。娼婦は外に出て私に別れを告げると、村へ向けて駆け出した。その毒を振り撒きにでも行くのだろうと思い、私はそのまま歩き始めた。

 数分ほど歩いたところで、弔いの鐘が鳴るのを聞いた。

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