2、僕のお母さん
「なんだユヒト、また年寄りみたいな箸だな」
お弁当の時間にカズくんは、僕の箸を見て笑った。
またお父さんの箸と間違えたらしい。
しばらく間違えてないかチェックしてからリュックに入れるようにしていたが、いくらお母さんでも同じ間違いを2回もしないかと気を抜いた途端にこれだ。
僕もお父さんも、そもそもこういうドジをしないし、万が一したとしても2回するなんて有り得ないタイプだから、怒るよりも驚く。
お父さんは驚くも通り越して笑ってしまっている。
「渋くてカッコいいだろ? 時々お父さんと交換するんだ」
僕は負け惜しみなのか、庇ったのか分からないがそう言って誤魔化した。
優しい人間になると神様と約束したから、この程度で怒ったりしないんだ。
僕は少し大人になった心持ちで弁当のフタを開けた。
そして一瞬固まった。
「うっわ! なんだユヒトの弁当!!」
カズくんが大声で叫ぶと、周りのみんなが僕の弁当を覗き込んだ。
「きゃああ、可愛い!」
「あはは、ユヒくんのお母さんすごいね」
「うっわ、恥ずかし……」
様々に言われたが、白ごはんの上にピンクのハートマークがふりかけで描かれていた。
「きゃああ! ユヒくん真っ赤になってる」
「かわいい!!」
息子になんて弁当を作るんだと思った。
お母さんは夢中になると適度というものを知らない。
僕の事が大好きなのは、もう充分過ぎるほど知ってるが、愛が深すぎる。
以前の僕ならフタをして食べない所だが、僕は優しい人間になったんだ。
それにご飯はすごいけど、おかずには僕の好きな冷凍おみくじつきグラタンも、お母さんの手作りだし巻き卵も、ウインナーもある。
「おっ! グラタン一緒だな。俺は今日は大吉出すぜ!」
カズくんが言うと、同じ冷凍グラタン入りのヤツらが「俺も入ってるぞ」と口々に名乗りをあげた。最近この冷凍グラタンが流行りになっていた。
滅多に出ない大吉を出すとヒーローのように讃えられるからだ。
「いいな……、みんな……」
ポツリと呟いたのはリョウくんだった。
リョウくんのお弁当は、以前の僕と似たような具材が入っていた。
リョウくんのお母さんは自然食品に凝っていて、雑誌にも載った事があるぐらい熱心に研究しているらしい。
以前のお母さんは弟子のように毎日料理を教えてもらいに行っていたが、同じように作っても正直言ってお母さんの作るものは美味しくなかった。
でもリョウくんのお母さんの作るものは薄味でも美味しかった。
そしてリョウくんは真面目だから、たまには流行の冷凍食品やお菓子を食べてみたいと思っても口に出す事はなかった。
でもポロリと本音が出てしまう事もある。
「いいな……ユヒト……」
仲間だと思っていた僕の弁当に冷凍グラタンが入るようになってから、リョウくんはちょっと孤独を感じているようだった。
◆ ◆
「ユヒトママ、お邪魔しまーす! これお母さんから」
「あら、気を使わなくていいのに。でもありがとう、嬉しい」
カズくんとリョウくんは幼稚園帰りにE地点で集まってから、僕の家に遊びに来た。
別にE地点に集まる必要はなかったが、ハードボイルドには必要な手順らしい。
カズくんのお母さんは今日は仕事が遅くなるので、居残り保育でも間に合わず、僕の家で預かる事になった。だから今日は一緒に遊べるのだ。
有名な洋菓子を手土産に持ってきた。
「僕、何もなくてごめんなさい」
リョウくんは真面目だから、手ぶらな事を謝った。
「そんな事気にしなくていいのよ。由人が誘ったんだから、ね」
お母さんはにっこりと微笑んだが、本当は僕達は気付いていた。
僕のお母さんとリョウくんのお母さんは最近うまくいってないらしい。
たぶんそれはお母さんが自然食品にこだわるのをやめたから……。
一切使わなくなったわけではないが、他のものも使うようになった。
それはリョウくんのお母さんには裏切りのように感じる事らしい。
リョウくんママのつながりで仲が良かった人達とも、最近会ってないみたいだ。
でも以前のお母さんは、孤立するのをとても恐れていたのに、今は平然としている。
あからさまにのけ者にされると少し淋しそうにしているが、新しく仲良くなる人も出来たようだ。
カズくんママとも最近特に仲良くなった。
「へっへ、俺もう一ついいもん持ってきたんだ」
カズくんは服の中に隠し持っていたスナック菓子を取り出した。
「これ新発売なんだぜ。食べた事ないだろ?
今日3人で食べようと思って取っておいたんだ」
僕はちらりとリョウくんを横目で窺った。
リョウくんは食い入るようにスナック菓子を見つめてから、諦めたようにため息をついた。
「僕、よその家で出された物は食べちゃダメだって言われてるから……。
僕のおやつは自分で持ってきてるから、これだけでいいよ」
リョウくんはカバンの中からタッパを取り出した。
フタを開けると、自然食品の店で売っている地味なお菓子が数種類入っていた。
「ええ? なんでだよ。こっそり食べたら分かんないよ、大丈夫だって」
カズくんは信じられないという顔をした。
僕も以前は同じようにタッパに入ったお菓子を持たされていたが、僕はリョウくんほど真面目でも優しい人間でもなかったから、カズくんちではこっそり食べていた。
だから同じように出来ると思ったらしい。
カズくんは、リョウくんが僕よりずっと真面目で、リョウくんのお母さんが僕のお母さんよりずっと勘が良くて、嘘を見つけるのが得意だと知らなかった。
「ごめん。僕の事は気にしなくていいから二人で食べて」
「カズくん、そのお菓子は持って帰って、今日はこっちを食べましょ。
リョウくんと同じ自然食品店のお菓子、うちにもあるのよ。
たまにはこういうお菓子もいいでしょ?
ジュースもそこで買っておいたの。
リョウくんもこれなら飲んでも大丈夫でしょ?」
お母さんは、リョウくんが来るから久しぶりにジュースとお菓子を買っておいたらしい。
お母さんは相変わらずドジだけど、時々気が利くようになった。
◆ ◆
「リョウくんは我慢してると思うんだ」
二人が帰ってから僕は、正座して洗濯物をたたんでいるお母さんに言ってみた。
「そうね。我慢してるかもね」
「たまにぐらい好きなもん食べちゃダメなのかな?
体に悪い悪いって言うけど、僕は好きなもの食べるようになってからもどこも悪くなってなんかいないよ。スナック菓子を食べても冷凍グラタンを食べても死んだりしないよ」
「そうね……」
お母さんは両手を広げて僕を自分の膝に誘った。
僕は仕方なくお母さんに背を向けて膝にちょんと座った。
最近一日一回こうして抱っこさせてくれと言う。
今まで出来なかった分を取り戻すように……。
カズくんには絶対見せられないし、幼稚園のみんなには内緒だが、本当は嫌じゃなかった。
「もしもリョウくんのお母さんがリョウくんを苦しめようと思ってする事なら、忠告するべきなのかもしれない。でも、そうじゃないでしょ?
もしかしたら赤ちゃんの頃とても体が弱くて、リョウくんを守りたいために必死なのかもしれない。最近はアレルギーを持ってる子も多いでしょ? 食べたくても食べちゃダメな子もいるのよ。よその家庭の事に口出しするのはとても難しいの」
「じゃあ知らんぷりするしかないの?
なんだか僕だけ自由になった気がして嫌なんだ」
お母さんは背中からぎゅっと僕を抱き締めた。
「ごめんね、由人」
「ち、違うよ! 昔のお母さんの事に文句が言いたいんじゃないんだ」
「うん。分かってる。由人は優しいもんね」
僕は背中から伝わる温かさに泣きたくなった。
リョウくんはこんな風に泣きたいほどの幸せを感じてるんだろうか。
今まで人の幸せなんてどうでも良かった。
でも余るほどの幸せが手に入ると、人にも分けてあげたくなるのだと知った。
「由人とお母さんは、こちらが正解だと思っていても、リョウくんとリョウくんのお母さんは間違ってると思ってるかもしれないわ。そしてどちらが正しくてどちらが間違ってるなんて誰にも分からない。
世の中はどちらが正しいのか分からない事で溢れているの。
だってね、正しい方が全部決まっていたら、みんな正しい事だけをするようになるでしょ?
そうしたら世の中は同じような人ばかりになってつまらないじゃない。
だからみんな迷いながら自分が正しいと思う方を選んで進んでいるのよ。
大事なのは誰かに選んでもらうのではなく、一生懸命考えて自分で選ぶ事。
そして間違えたと思ったら、きちんと反省してまたそこから正しいと思う道を探す事」
「じゃあお母さんはこっちが正しいと思ってるの?」
「そうね。前はお母さんは自分でなにも選んでなかったの。
人が正しいという方だけを、自分で考えもせずに信じていたの。
でも今はちゃんと選んでる。
そして間違ってたら、すぐに反省して直そうと思ってる」
「じゃあリョウくんも選んでるの?」
「リョウくんは……まだ子供だから……信じてるのかもしれない。
子供にはまだ選ぶのは難しいから……。
でもいずれは自分で選ぶようになるわ。
リョウくんが選ぶようになるまで、他人が口出し出来る事ではないのよ」
「僕も自分で選んでいいの?」
僕は背中を包むお母さんを見上げた。
「もちろんよ。でも子供だからいっぱい間違うかもしれないわ。
由人は他人ではないから、お母さんはいっぱい口出しするけどね」
「えー、じゃあ選んでないのと一緒じゃない」
お母さんは自信たっぷりの顔で微笑んだ。
「唯一、相手の人生をまるごと引き受ける覚悟のある人だけは口出しOKなのよ。
お母さんは由人のためなら何でも出来るもの。だからいいでしょ?
由人がお母さんの意見に反対なら、お互い全力で戦いましょ」
お母さんは相変わらず、ドジでいっぱい失敗するけど、たまにカッコいい事を言うようになった。
次話タイトルは「僕のお父さん」です。