お茶でも一服!
「未依ちゃん、お正月なんやから、華やかな着物を着たらええのに……ほんまにこれを着るつもりなん?」
桐の箪笥が並んだ衣装部屋で、お母ちゃんの小言を聞き流し、お祖母ちゃんの紬をそっと撫でた。何度も水をくぐった紬は柔かで指にほんのりと暖かみを感じる。藍色に白い星が飛んでいる地味な紬は、きっと私に似合うやろう。
嫁入り前の娘は、華やかに着飾るべきやと考えているお母ちゃんは、私が選んだ紬が気に入らないみたいや。でも、そんなん無視する。
「せめて、帯だけでも赤いのを締めたら?」
派手好みの母親が出してきた帯を一応合わせてみる。真っ赤な帯は、祖母の紬とは全く似合わへん。お母ちゃんは何時までも、私を子どもだと思っているんや。
「あっちの白い帯の方が似合うわ」
白い地に墨絵で一輪梅の花が描いてある名古屋帯は、娘が締めるにはこうと過ぎると眉を顰めたが、お正月は他にも用事が一杯なんで、お母ちゃんは諦めた。
「お姉ちゃん達が来るまでに、着替えなあかんで」
そう言い捨てて、嫁いだお姉ちゃんが初めてお正月に旦那さんを連れて帰ってくるのをもてなす用意をする。今年の主役は、お姉ちゃん夫婦なのだ。そわそわとお父ちゃんも早く来ないかと玄関を気にして腰が落ち着かない。家に居座っている私なんか、普段着でも良いのでは? と思うが、お母ちゃんの考えでは、お運びさんでも着物が相応しいみたいや。
私は、地味な着物を着ながら、きっとお姉ちゃんはお正月らしい華やかな着物を着て来るんやろなぁと溜め息をついた。
姉妹というのは、厄介な存在や。特に、華やかで、明るく、母親のお気に入りのお姉ちゃんは、常に私のコンプレックスを刺激する。
「もてもてなのに、何も私の好みにピッタリの人と結婚しなくても良いのに……」
そう! 美人のお姉ちゃんには、医者や弁護士などの見合いの話も引きも切らず舞い込んでいた。なのに、落ちついた雰囲気を身に纏った学者を何処かで見つけて来たのだ。めっちゃ、私の好みの相手を!
かなり年上の義理の兄に、私はほのかな恋心を抱いている。しかし、根性が曲がっている自覚のある私やけど、お姉ちゃんの旦那さんに手を出すような恥知らずではない。このジレンマが、お正月というハレの日に相応しくないお祖母ちゃんの紬を選ばせたのかもしれん。浮かれている両親に対しての、ちょっとした私の反抗や。人の気もしらんと! まぁ、知られたら大問題やけどね。
「明けましておめでとうございます」
玄関から高く澄んだお姉ちゃんの声が聞こえる。お母ちゃんがテンション高くお姉ちゃん夫婦を出迎えている。お父ちゃんも機嫌良く新年の挨拶を交わしている。私は、鏡に写った地味な着物姿にあっかんべーして、玄関へと向かった。スマイルをキープせんとあかん!
やはり、お姉ちゃんはお正月らしい華やかな着物で、隣のシックな紬姿の旦那さんに寄り添っていた。背が高く、猫背気味な義理の兄は着物を着ると昔の文豪に見える。素敵や!
「明けましておめでとうございます」
声も渋くて好み! と身悶えしたくなるが、この人はお姉ちゃんの旦那さんなんや。今日は、家に居いへん方がええわ。
お酒やお節を取り分ける皿などを座敷に運び終えると、こそっと母親の目を盗んで幼馴染みの芳樹と連絡をとった。目の前に好みの義理の兄がいては、私の精神衛生にようない。
「ちょっと、よっちゃんと初詣に行ってくるわ。お姉ちゃん達はゆっくりしていって下さいね」
機嫌良く娘夫婦をもてなしていたお母ちゃんの眉があがる。
「あんた、また芳樹くんを振り回して! あそのこお母ちゃんに文句を言われるの困るわ。それに、折角のお正月やのに……」
お母ちゃんに睨みつけられたが、無視して家を出る。私が、お母ちゃんの気に入らない行動をすることより、義理の兄に邪な思いを育てる方がマズイに決まっているやん。
ショールを羽織って、玄関を出て待っていると、白い車が止まった。芳樹のお父さんの高級車や。別に通勤に使ってる安もんの車でも良かったのに、お正月やから格好つけたんかな?
「よっちゃん、遅い!」世間では立派な会社に勤めていると評判の高い芳樹やけど、私には幼稚園に連れて行ってあげたよっちゃんや。
「明けましておめでとう! みぃちゃん、きれいやなぁ」などとおべんちゃらを言う可愛い奴や。
「明けましておめでとう。今年も宜しゅうにお頼み申します」親しき仲にも礼儀ありや。一応は挨拶しておこう。
「なぁ、お姉ちゃん帰って来てはるんやろ? 家におらんでええんか?」などと余計な事を言う。ほんまに近所に住んでいるから、家の事情は母親同士つーつーや。
「いらんこと言わんでええ! はよう車を出して」
キッと睨み付けてやる。二重のお姉ちゃんと違い、一重の私の目はキツい。ブルルと震えて、黙って神社へ向かう。
「やっぱり、お正月は着物やなぁ。俺も着てくれば良かったわ」
神社には、初詣のカップルが溢れていた。男の着物姿は少ないが、ちらほら見えるのが羨ましいようや。よっちゃんは、未練がましくペアルックのアベックを目で追っているが、恋人でもないのにアホらしい。
「別に着物やのうてもかまへんやん。私かて地味な着物やし」
お姉ちゃんがお嬢様なら、私はお付きの女中のようなものだと自嘲する。
「ええっ! みぃちゃんが一番似合ってるわ。他の女の子は着物が身についてないもん」
ドキンとした! よっちゃんのくせに格好ええ事を言うやん。
「なぁ、みぃちゃん。俺と付き合わへん?」
おぃおぃ! 幼稚園に行くのを泣いて嫌がって、私が手を引いて連れて行ってやったのを忘れたんか? お互いに恋愛の対象外やろ?
「そんな冗談、言うて! 正月そうそう怒るで!」
そう言って見た芳樹の顔がマジなのに焦るわ。結構、男前やん!
「ほんまに、みぃちゃんは鈍感やなぁ。絶対に恋愛音痴や! 俺で手を打っときや」
確かに恋愛音痴で、彼氏居ない歴を更新している。告白されるのも初めてで、よっちゃん相手なのにドキドキが止まらへん。顔が火照っているのを感じて困る。マジ、恥ずかしい!
「先ずは、お茶でも飲みに行こう!」
付き合うと返事もしていないのに、芳樹に手を握られて境内の茶店へと向かう。
「これは初デートやなぁ」などと浮かれている芳樹に、違うわ! と言ってみるが、ニマニマが止まらへん。辛気くさい義理の兄の顔など、何処かへ飛んでいった。ほんまにお手軽な女やと、自分でも呆れる。
「なんか、美味しゅうないお茶やなぁ、ごめんなぁ」バイトの女の子がたてた抹茶は、薄いのにダマが残っていた。
折角の初デートやのにと謝るよっちゃんに首を横にふる。
「家でお茶でも一服たててあげるわ」と私のたてたお茶の方が美味しいと誘った。
これは春から縁起が良いかも? 頼りないよっちゃんやけど、何より気取らんと付き合える。それはよっちゃんも同じかもしれない。格好つけたりせんでも平気な相手や。
両親と全く気にならなくなったお姉ちゃん夫婦が待っている家に浮き浮きと向かった。
「お茶でも一服!」ふんわりと美味しそうな泡が一面に浮かんだお茶をよっちゃんに飲ませてあげよう。
こうと……地味、上品だけど華やかさはない




