基本的な取扱い
無傷で帰ってきた林檎が寝続けることで残りの一日は平穏に過ぎて行った。だが、放課後になってから俺は博士の家に行く前に用事が入った。くだらなくもその用事は、教師陣に呼び出しと言う名の相談をされたからだ。その内容は朝に起きた林檎の喧嘩の件。
本来なら学園に在籍するために必要な値をクリアしていない生徒が呼ばれる教育指導室から退席し、最後にフォローだけはしておく。
「一応本人には言っておきますけど、あまり意味はないと思いますよ。できれば今日みたいに呼びに来てくれた方が一番いいかと? それじゃあ失礼します」
うーん、と納得していないが、そうするしかない状況に教師陣営は苦悶の声を上げながら俺を見送る。教育指導室の扉が教師陣の悩みと俺を遮断するように閉められた。
そこに、
「よっ、帰ろうぜ」
問題の張本人が壁に寄しかかりながら機嫌がよさそうに話しかけてきた。いまさら文句なんてない。林檎はこういう人格の持ち主だ。
「帰るのはいいけど、俺は博士の家に寄ってくぞ?」
「あー、途中まででいいわ。博士んとこ苦手だ」
トラウマがある林檎が最後に博士の家に行ったのはもう数年前になる。それでも外で会ったりはしているようだから、俺も無理には誘わないようにしている。こればっかりは本人しだいに任せるしかないのだ。
「そっか。とりあえず教室にカバン取りに行ってくる」
「おう。俺は靴んとこいる」
「ん」
「あ、そうだ。お袋がそろそろ顔出せってよ」
「そうだな。近々そうするよ」
そう俺は返事を返して階段を上り自分の教室へと向かい始めた。
Aクラスは階段を上って最初の部屋だけあって他のクラスを通り過ぎることはない。だから、教室には誰が残っているのか目的がない限り知ることはないのだけれど、大体この時間まで教室にいる理由は無駄話をするためぐらいしかない。
当然、自分のクラスもそうなっているか、誰も残っていないものだろうと思っていたのだが、教室が近づき窓から見える教室に動く影が見えた。小刻みに体を左右に揺らし、時折体を屈めて何かを拾うような仕草も加わる。
こんな時間に何をしているのか疑問に思いながら近づいていき、その正体が誰なのか見えてきた。
「…………天柚?」
何してるんだ、と思いつつ教室のドアを開けると天柚は肩をビクつかせてこちらを振り向いた。別に悪いことをしていたわけじゃない。ただ俺の存在に気付かず、誰かが来ると予想されていなかったために驚いたのだろう。
「ゆ、結縄君……!?」
振り向いた拍子に天柚が持っているものが箒だったことを知る。
「…………掃除?」
箒で何をすると言ったらそれぐらいしかない。ただなぜそれをこの時間にそれも一人でしているのかは不明だった。
「は、はい」
「一人で?」
掃除自体はどのクラスも決まった生徒がするのだから不思議でもないのだが、一人ですることはまずない。そんなことを考えると一つ、嫌な事実が頭を掠めた。
「…………」
そんなことを訊くべきか、訊いたところで否定しそうで悩んでいると、
「あの……」
おずおずと天柚の方が近づいて来て事情を説明しようとしている。
「あの、私、いじめられ――」
当たってしまっ――。
「――ているわけじゃないですよ?」
「ん?」
と、思ったのだが次に天柚から続けられた言葉は俺の勘違いを指摘するものだった。
「え、あ、ごごめんなさい。何か難しい顔をしてたから、もしかして勘違いしてるのかなって、もしかしたら心配してくれたのかなって勝手に思い込んでしまって」
「あー、いや」
妙に気まずくなった。
「悪い。そう思った」
天柚は中学の時から人見知りというか消極的な態度でいることを見かけたことがあった。その所為でいじめにあっていると勝手に思い込んだ。よくよく考えてみればこの学園で、しかもこのクラスでいじめが発生するとは考えにくい。
なぜか? それは林檎がいるからだ。
そんな陰湿な匂いを嗅ぎ取り林檎なら参戦する。しかも救出するのではなく、暴力的な喧嘩に発展するように煽り始める。そんな理由も含めこの学園ではいじめはない。……少なくともこのクラスでは。
「くす」
そんな対象で天柚を見たことを謝罪すると微笑んで許してくれる。
「それにしても、なんで一人なんだ? それもこんな時間まで」
学園は時には業者が入って掃除するほどの広さだ。責任感が強い葵が一人で掃除をするとしてもある程度の範囲に限定しないと一日かかっても終わらない。
「えーと、初めは皆いたんですけどゴミ捨てをじゃんけんで決めるという話になって、勝ち負けがどうのって口論になっている内に急に皆いなくなっちゃって」
つまり口論を口実に逃げ出したな。一人がそんな理由で逃げ出せば他のやつらも釣られてサボったということなのだろう。しかし、そんな話の流れに釣られず天柚一人が一人になった……ということなのだろうけど、
「まさか、全部一人やろうと?」
「あ、実は一人になって色々片づけていたら時間が過ぎているのに気が付かなくて」
天柚は俺の周りの人間のように頭は悪くないはずだから、
「随分熱中してたんだな?」
そんな理由だろう。
「あははは……」
にしても、帰った奴らは性質が悪いな。あとで林檎を送り込むぐらいの罰は与えておくとしよう。
「それで、もういいのか?」
「あ、はい。あとは集めたゴミを拾って、ゴミ捨てをしたら終わりにします。そういえば結縄君はなにか忘れ物ですか?」
「いや、例の如く林檎の件で呼ばれた」
「あ、それで」
ある程度このクラスの事を知っていれば、俺が時折教育指導室に足を運んでいる理由を知っている。だから納得したように天柚はクスクス笑い頷いていた。
「だから、これから帰りだ」
「それじゃあ、私も掃除を終わらせて帰ることにします」
「ああ」
そう別れを言ってきた天柚は手際よく集めたゴミをゴミ箱へと移し、さらにゴミ袋へと入れ替える。中途半端に手を出すと邪魔になりそうだったので、キリが良いところで俺は手を差し伸べた。
「へ?」
その意味は理解されなかったようだ。
「折角だし、手伝うよ」
「い、いえそんなっ、大丈夫です! 私こう見えても力がある方なんで!?」
もはやそんなことは関係ない。それにその細腕にどれだけの筋肉が詰まっているのか疑問だ。
「そ」
半場奪い取るように天柚の手からゴミ袋が二つ俺の手に移る。それから天柚が四の五の言いだす前に焼却炉まで歩き出した。
「わ、私も行きます! それに悪いですから、せめて一つは私に持たせてください!」
そこまで言うならお言葉に甘えることにする。
「じゃあ、俺のカバン持ってきてくれないか? 途中で林に渡すから」
元々教室に戻って来たのはそのためだ。
「え、來稑君待たせてるんですか!? だだったら尚更私が一人でっ」
それは林檎を怖がっているのか、単に人を気遣っているのかは分からない。
「今度は俺が林を待たせるよ。カバンいい?」
「そうですか……? わかりました。えーと結縄君の席は、あった」
百人近くいるクラスで俺の席がよくわかったなと思いつつ、カバンを持ってきてくれる天柚を待っていると、天軸は急いだ勢い躓き、俺のカバンを落としてしまった。その拍子にカバンの隙間から小物と川原で拾った白い鍵が抜け落ちる。
「ごごめんなさい!」
「ああ、気にしなくていいよ」
落ちて壊れるようなものもないし、手伝うだけの量も入っていないので、悪いけど少し待つことにした。すると、落ちた物を順に拾っていく天柚から小さく声があがった。
「あ、――!?」
一瞬天柚の表情が曇ったように見えた気がしたが、顔を上げた天柚はいつも通りだった。ただ、落とした鍵を拾い確かめるように眺めている。珍しいといえば珍しい形の鍵だし、何か興味がそそられるものがあったのかもしれない。
「その鍵を持ち主に返さないといけないんだよ」
今朝、話していたから事情はそれで呑み込んでくれると思い話しかける。
「……へ? あ、そうなんですか……、よかった」
「ん?」
よくわからない事を言い出した天柚の声は小さく、最後の方は聞き取れない。首を振りながら「何でもないです」と誤魔化すように笑みを浮かべた天柚は落ちた物をカバンに戻した。
その後は大事そうなものを取り扱うように俺のカバンを抱きかかえて持ち、ようやくゴミ捨て場へと二人で向かおうとした。
そこに、
「ちょーーーーっとまったぁああああ!」
タイミング悪く、うるさい奴がきた。
「一緒に行くだろ?」
「はっ、行かせていただきます!」
幸一はこういう奴だ。だからこそ憎めない。
ところが、幸一とは別にこの問題はまだ続く。
「てめぇらっ! 人を待たせて縁と一緒にどこ行きやがる!」
ゴミ置き場に行く途中林檎の前を通る道順になるのだ。
おろおろと困った様子の天柚に視線で合図を送る。
「(さっきと同じだよ)」
「(え、あ、なるほど!)」
「(どうぞ)」
「(わわ私ですか!?)」
「(…………)」
「(……わかりました)」
どこか勇気を振り絞るような凛とした表情で天柚が一歩前に出る。
「あ、あのっ來稑君!」
「ああ? なんだ」
「あぅ」
一瞬怯みはしたものの天柚は続けた。
「い、い一緒に行きませんか?」
林檎が天柚を上から下まで舐めまわした後、
「なるほどな」
なにが、なるほどなんだか。
「お前は悪い奴ではないな」
「あ、あの」
「俺は林檎でいいぞ」
「え? あ、呼び方ですか? はい林檎君で……いいですか?」
「おう」
「な、なるほどっ! じゃあ俺は旦那さ――」
「山里君いくぞ」
幸一と離れる。
「ちょ、苗字、しかも君付けで呼ぶな縁!」
「で、お前の名前は?」
幸一の暴走を止めている間にこっちではおかしなことになっている。同じクラスどころか中学が同じ、しかも今朝から何度俺が天柚と呼んでいるのか。恐ろしい程に初対面状態だ。
「天柚葵です」
で、素直に答えている。
「そうか青か」
「『い』が抜けてる。葵だよ林」
「はい! 葵って呼んでください!」
なぜか俺が林檎に指導していると力強く天柚……もとい葵に修正を掛けられた。
「じゃあ、俺は縁でいいよ。結縄ってあんまり呼ぶ人少ないし」
「……え、縁君」
「ん、改めてよろしく。てんじ……葵」
「あ、はい!」
意外と呼び慣れないものだ。でも、間違っても天柚は流してくれたし気にすることもないか。……しかし、ただのゴミ捨てがここまで騒がしくなるとは思わなかった……。
結局四人でゴミ捨てに行くことになってから、そこで新たな問題が発生する。
「葵ちゃんって家で何やってるの? 趣味は、料理は? 遊ぶっていうと何をイメージする? ズバリ今恋をしている異中の人は俺?」
「え、ええと、あの」
幸一が質問攻めで葵を困らせていた。
「幸一質問は一か月に一個にしとけ」
「一年で一二個! って、邪魔するなよ縁」
「林」
「おう。幸一、縁の言うことは訊いておいた方が身のためだ」
「…………はい。了解したので、拳を鳴らすのは止めてください。ホント、すいませんでした」
林檎に脅されて大人しくなる素直な幸一だが、
「それで葵ちゃん、何して遊んでるの?」
ちゃんと人の言葉を理解している分、目聡い。今月の質問を絞っていた。
「えーと、」
俺が適当に与えたルールだったのだが、律儀に葵の方が質問に答えようとしている。そこまでいったら俺も口を挟まない。それに中学からの同級生とはいえ、葵の事を知っているのはこの中にはいない。だからいい機会といえばいい機会だ。
「弟とゲームをしたり、あとは、えーと」
そういえば、もう関係ないものだと思って忘れていたが、あの世界もゲームの世界だった――頭を掠めてしまえば博士にもらった時計が自然と視界に入る。
「へぇ、ゲームね。RPGは一人プレイが多いからアクションとか?」
「すいません、そこまでは詳しくないのでよく分からないです」
「ゲームって一つじゃないのか?」
「いや、ジャンルの話をだね」
思考が少し離れている隙に林檎が珍しく尋ねていた。機械嫌いにはゲーム機の類も含まれる。だから説明するとなると至難の業だ。
という俺も林檎と同様ゲームはさっぱりわからない。
「だから、ゲームってソフトを入れ替えたりすることができるんだけど、えー、その中のジャンルを、ジャンルの説明必要なのか、だから、えーと」
「ジャンルっていうのは『種類』って意味のフランス語」
「そうそう、つまりゲームっていうハードがあって、そこの中に色んな種類を入れればいいわけだ、これで分かったか林」
なんて説明が下手なんだ。それで分かる人間は――
「なるほどな。分かった」
――分かったフリをしているだけだ。
仕方ないから簡単に説明を補足してみる。俺も詳しくないからちょうどいいだろう。
「部活で例えたら分かるか? 例えば体育館がゲームをするための機械だとする。そこでやるスポーツがジャンル。体育館で各部活動が入れ替われば当然スポーツが変わる。それがゲームでいう所のジャンルってこと……でいいのか幸一」
「おお、さすが縁。そういうこったね」
「面白い例えですね」
「なるほどな。ゲームってのは部活をやる体育館ってことだな」
論点がズレてる。林檎はこの手の話しに混ぜない方がいい。
「で幸一、そのジャンルの違いは?」
ここまでゲームに興味があったわけではないのだが、あの世界が脳裏から離れない。何かしら引っかかる疑問を解決したいのだと思う。
「あ、ああ。種類は結構あるし、次から次へとジャンルの名前も増えてくからなぁ。説明は難しいかも……。でも俺が好きなジャンルだとダンジョン系ってのがあるぜ。あれだと出発点が自分の帰る場所だとすると、冒険者、つまり俺がダンジョンに入ってミッションみたいなのを攻略していくみたいな」
似ている……あの世界に。
「そこから帰るにはどうしたらいい?」
俺がそこまでTVゲームに興味を持つと思っていなかったのだろう、少し戸惑いながら幸一は説明を続けた。
「へ? 帰る? んーそうだな」
そして、この時点で俺は気づき始めていた。
「ものによるだろうけど、普通にコマンドで帰還の項目があったり、能力を使ったりだとか、あとはアイテムを使ったりかな」
俺はあの世界からどうやって帰ってこられた?
初心者はアイテムを持っていない。それはあの時のプレイヤーの少年が言っていた。黒刀は原因が分かっていないが、あれの出現はイレギュラーなのは間違いない。そう考えても、俺は博士のおかげであの世界から簡単に帰ってくることができたに過ぎない。
「なんなら貸してやろうか俺のゲーム?」
じゃあ、鍵を失くしたプレイヤーは…………?
「……いや、いい」
ただ確証がない。
あの鍵の持ち主が誰なのか。
「それよりもう少し教えてくれ」
「まぁいいけど。そうだな、ダンジョンの中には敵がいるんだけど、やっかいなのが身ぐるみ剥がしてくる敵だな。レアアイテムとか、装備品を落とされると一気にこっちが弱くなるんだよ。ああなると最悪、死ぬしかないな」
まいった……。それを聞かせられると確かめないと気が晴れない。幸一が話すゲームでは死んだらどうなる。きっと振り出しに戻るだけで、現実世界でいう死には直結しないだろう。
じゃあ、あの世界では……?
「幸一」
「まだ聞きたいことあんの? だんだん林が険しい表情でこっちを睨んでくるんだけど」
「仮に自分自身がそのゲームに入った場合は、死んだらどうなる?」
「何? オンラインか何かの話し? ネトゲだって死んだら元の場所、セーブ前に戻るだけだって、死んだらキャラから作り直すなんてユーザーが離れるだけだって」
なにやら勘違いして別の解釈から答えてくれる。まぁ、説明したところであの世界に結びつくことはないのが普通だから仕方がない。
「ゲーム……だから大丈夫なのか」
そう考えれば簡単だ。しかし、ゲームという単語だけを考えるなら、TVゲームはその一つだけでしかない……。
「でもさ、今の縁の言い方だと危険だよな。アニメとかで似たようなの見たことあるんだけど、脳に刺激を与えてバーチャル世界に行くってゲーム。あれってゲームの中で死んだら戻ってこれたけど、現実なら脳に『死んだ』って刷り込むようなもんだろ、本当に起きれんのかな?」
「――――!?」
「どぅわ、なんだよ縁、急に怖い顔して!」
馬鹿か俺は……、あの世界は異世界であってバーチャル空間じゃない。現実に存在している世界でそこで命を落としたら死ぬしかない。それがこの世界とは異なった環境であってもだ。
それに、
『失くされるとプレイヤーの能力を使えなくなります』
あの鍵を持たないということは不利だと教えられた。
「悪い。用事を思い出したから帰る。ゴミ捨て頼んだ」
確証はない。だが、仮に緋衣が今日学園に来ていない理由がそこにあったとしたら……。
「そ、それはいいけど、って行っちゃったよ。珍しく変な縁だな。ね、葵ちゃん?」
「………………」
「葵ちゃん?」
「俺も帰るぞ」
「――ッ!? 林、そうしたほうがいいっ! 絶対そうした方がいいって、もしかしたら縁はゲームを買いに行ったかもしれない(……なーんて)!」
「チッ!? 待てっ縁っ!」
「フッフッフ、葵ちゃん仕方ないね二人で――」
「あのっ、ごめんなさい! 私も急用を思い出しました! ごめんなさい! 後はお願いします!」
「あれ!? 葵ちゃんもっ!?」
もう少しで焼却炉が見えそうな距離でさびしく風が吹いていた。
「俺の存在って、いったい…………」