エピローグ「戦線離脱」
異世界からの次の日はいつも通りの朝だった。新聞配達のアルバイトを済ませ、博士の朝食を作り、ペットの現の散歩、そして学園。本当に昨日の事が嘘のような普通の日常へと戻る。
あの二人にはこれが続いているのかと思うと、たまに学園を休む理由が分かってしまう。
そんな葵と緋衣も今日は学園に来ていた。
葵は同じクラスで姿を見れば一目瞭然、緋衣の方はというと幸一が面白半分でまた告白に敗れたという猛者の情報を朝一から広げ回って知ることになった。今までもそんなことをしていたらしいのだが、俺が意識していなかった所為か初めてリアルタイムでの情報だ。
それでも親しい仲ともいえない俺達の関係で、おちょくりに行くなど論外で事情を聴きに行くなんてこともできない。そこまで興味もあったわけでもないし、緋衣本人からすれば迷惑だからこその瞬殺劇で終わっている。最近になって幸一に緋衣の話を聞くようになったせいか、その反応に孝一は不満げな様子だった。
昼になれば俺たちは昼に会う約束をしているからこそ、第三者の話に興味を抱けない。答えるかは別として訊きたいことは本人に訊けばいいからだ。案外それも抑制のきっかけにはなっていたのかもしれない。
それで、あれだけ人との接触を阻んでいた緋衣と学園で会う約束をしたのは、あの世界での俺に与えられた条件が関係している。
緋衣……いや、緋月が出した条件。
それを訊き返して返ってきた言葉は、
『明日、学園で昼に屋上で教える』
というものだった。
どうして? という気持ちを抱いた俺だったが、意外にもそれを葵も納得した様子で承諾していた。
おそらく、今まで考えてこなかった誰かと手を組むという状況を慎重に考えたかったのだろうと俺は思っている。それだけ、この結託には信用性というものが出てきているものだと俺も余計なことは言わず、今に至る。
相変わらず授業を寝て過ごす林檎が事件を起こさないよう見張りつつ、坦々と過ぎる一日にはやる気持ちも持てず、その時はいつも通りの時間経過でやってきた。
前半の授業を終えるチャイムで、まだ古典の教師が話しているにも関わらず幸一が立ち上がりながら昼食の時を告げる。
「おーしっ、昼だ!」
その声で静かだった教室全体に張りつめていた緊張感が解放された。昼手前の授業はうるさくすれば終わりが遅くなるという縛りから、この時だけはクラスメイト達の連携は格段に上がる。そのおかげで授業はスムーズに終了した。
「林、俺は用事あるから幸一と仲よく昼食食べろよ」
終わった途端、林檎に声を掛け廊下に出ようとすると一人厄介な人物が出口を塞いだ。
「ほほう、どのような用事で俺達だけを残していこうとしているのですかな、縁殿?」
面倒なので時代劇口調に対して何も触れない。
「少し用事がな」
しかし、こんな状況度々あるというのにこんな日に限って幸一は俺を止めたのか……? 情報収集が得意な幸一と言っても、男、それもあまりに身近な人間のことは調べていないはず、だが、それはすぐに判明した。
「ほーーーーう。それは葵ちゃんと二人ですることですかなぁあ?」
眉を吊り上げた眼の視線を辿ると、俺の後ろに隠れるように葵が並んでいた。
「あ、え、あの」
もう少しタイミングを計ってくれると幸一の索敵に引っかかることはなかったのだが、今となっては仕方がない。それに、葵のたどたどしい態度のおかげというべきか、逃れる言い訳は簡単に思いつく。
視線を幸一に戻し、
「もう少し考えろよ。入り口塞いでいるからに決まっているだろ。ほらそこどけよ。葵も、後ろに立ってないで声掛けてくれ」
ここからはリアクションを間違えないでくれるよう祈るだけだ。
「え? あ、はい。ごめんなさい。お手洗い行くので通らしてください」
さすがと言うべきか……。片手に弁当箱を持って、その言い訳はどうかと思うが葵も過去があるだけに幸一とできるだけ接触したくないのだろう。とりあえず、すんなりと祈りは通じた。
そんなことよりも、ひとまず幸一が邪魔だ。
「え、あ、ごめんね葵ちゃん。勘違いしちゃって、あれ!? もしかしてお弁当持っているってことは外に食べに行くのかな? それだったらどうだろう。たまにはこの俺と――」
「幸一、邪魔だよ」
余計な事で時間は使いたくない。いるかどうかも怪しい緋衣が長い時間待っていてくれるとは考えにくい。
「こら、親友の恋路が掛かっているというのに――ふぐべっ!?」
すでに敗れた恋にも幸一の恋にも手助けする気はない。それに空気を察知して葵はすでに離れている。
「幸一が寝ぼけてるな」
さらにいえば、俺の筆箱を幸一に命中させた林檎を見ればわかるが、幸一が親友の言葉を使うのは危険だ。
「昼が終わる前に目を覚ませよ」
幸一に俺なりの優しい言葉を掛け、
「どうも」
「ああ、当然だ」
解釈の仕方は分からないが、林檎に礼を言ってようやく廊下へと出ることができた。
「少し、時間が掛かったな」
本来の用途を二番に置いた博士の時計を確認すると無駄に五分弱の時間が過ぎている。
「そうですね。急ぎましょう」
「おっ、」
唯一屋上に出られる階段まで来ると曲がり角の所で葵に声を掛けられた。どうやら俺の事を待っていたらしいが、あの世界で初めて出会った時のように姿を隠していたらしい。といっても空を飛んでいたわけでもないが、突然現れるのはさすがに驚く。
「あ、ごめんなさい。癖になっていて」
魔法使いが遠距離型の手段を選ぶとはいえ姿を簡単には曝さないのだろう。あの猫が考えそうなことだ。
「いや、誰かに見られるよりはいいかな。行こう」
「はい」
人が少なく静かな階段を上り始めて、辿り着く前さっき思い出したことを葵に訊いてみた。
「そういえば、林と白銀が言い争いをしていた時、どうしてあのタイミングで教室から出て行こうとしたんだ?」
あの時は単純に考えていた。それも今となっては戦闘で生き残っている葵が巻き込まれるのは不自然だ。
「あ、あれはお手洗いに急いでいて」
予想にしない答えで驚いた。
「……そ、そう……」
それも応えられないのではないかと思ったが、葵はどこが抜けているらしい。今思えば、さっきの言い訳は強ち嘘にならないのかもしれない。
不思議そうな目で俺を見てくるが、俺の口から教えていいものか……。
と、
「あれ? まだ来ていないようですよ」
屋上の入り口手前、誰もいないことで拍子抜けたように葵が言う。
「屋上だから、その扉の奥にいるんだよ」
「え、だって、鍵が」
「……壊されているよ」
実は昔林檎が壊したことを秘密にし先に俺は屋上へと出る。すると、長い髪を風に靡かせ、緋衣はいた。
「話を始めましょう」
俺達だと確認しただけにしては、
「展開が早いな」
葵も同じように思ったようで、
「あの、お昼食べながらにしませんか?」
二対一では緋衣の思い通りにはいかなかった。
「あ、あの縁君、コレよかったら」
昼食の流れに持って行ったものの俺は弁当を持ってきていなかった。正確には学園には持ってきているのだが、弁当を持ちながら廊下に出ようものなら、幸一と林檎に捕まり、言い訳もうまくいかなくなる。そのため置いてきたのだ。
その説明をして、気にしなくていいことを伝えた結果が葵の行動だ。
お弁当の蓋に半分のご飯とおかずも半分。
「本当に俺のは――」
「…………仕方ない」
そう言って今度は緋衣までも、半分のご飯とおかずを乗せてきた。
「…………」
正直、緋衣の行動は目を疑った。
「あは、やっぱり兄弟がいると家でこういうことしますよね」
「…………さぁ」
照れ隠しなのか、それだけしか言わなかった緋衣だがそういうことらしい。わざわざ分けてもらってから断るのも失礼だと二人より多くなってしまった即席弁当を受け取る。
「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
飲み物まで分けてもらい、昼食が静かに始まる。
…………始まったのだがこの三人、自分から世間話をするタイプとは程遠いい。
「…………」
「…………」
「……ぇ……ぁ」
今まで林檎やら幸一やらがいた手前、その雰囲気に甘えてきた俺には考えもしなかったことが起きている。
葵は頑張って何か言おうとして止める、を繰り返していた。
そうなると、
「本題の話をしましょうか?」
今度は反論のしようがないので俺もその話に乗っかった。
「二人は腹を括れたのか?」
お互いに視線を交わす姿はあの時と変わらない。
全ては生き残るために決断した目だ。
「そうか……、それで条件というのは?」
「条件は私からは一つ」
「私も一つだけ」
あの時とは違い葵も条件提示の意思を見せる。半日でなにか思いついたことがあったのかもしれない。
そしてそれは必要なことだ。
自分の不利を作らないために相手と対等な立場を築く必要がある。
「そうか、じゃあ、その条件を教えてくれ」
一つ間違えば、崩壊しかねない条件提示。
それでも一度手を組むと決めた今、お互いの行動の縛りを与えるような条件は提示されない。そんなことをしても、手を組んだことで足を引っ張ることがあれば意味がないからだ。
だからこそ、短いとはいえ時間を空けた。
そして、出される条件は――たった一つ。
「結縄があの世界から離脱すること」
「縁君があの世界から離脱すること」
残っているのは足を引っ張りかねない弱者の排除だ。
「驚かないんですか?」
「予測はできたからな」
そもそも俺は弱い前提がある。例え、ラストプレイヤーの力で他人のアイテムを使えたとしても鍵に触れる前だと効力を発揮しない。
さらにいえば、すでに触れている緋月、そして少年のアイテムは使えない。
少年のアイテムは口約束を守る守らない以前に、戦闘タイプのアイテムは消費するものしか持っていない。消費アイテムは少年が使うたびに減り、いざ使おうと思った時にない可能性がある。それは本人も自覚しているからこそ、少年は葵と緋月のアイテムを盗んだ。
そして、緋月のアイテム。
消費アイテムじゃない緋月のアイテムは一見問題がないように思えるが、手を組んだ二人が一つの武器を同時に使えない。
しかも、緋月は武器を切り替えながら使うようで、そこに俺が武器を借りようものなら手元から突然アイテムが無くなり、危険なことが起こりうる。
それはリスクしか残らない。
「リスクは減らさないとな」
「私はっ――」
「葵は単純に俺の身を心配してくれたんだろ。葵がいなければあの時点で俺は負けているしな。ありがとう」
礼を言うとボッと火でも着いたように葵の顔が赤く染まった。
「それで条件は飲みますか?」
俺の結論も出ている。
「分かった。俺はあの世界に行くことを止める」
葵は落ち着いて安堵した息を吐き、緋衣も納得した雰囲気を出す。
きっと、これが最良の選択になるはずで、仕方がない。
だけど――、
「ただし、俺からも一つ条件がある」
それに二人の視線に緊張が走る。
「何かは知らな――」
そして、緋衣が何かを言おうとしたのを俺は遮った。
「必ず二人が生き残れ。そして最後の戦いは俺が見届ける。当然、殺し合いではなく鍵の壊し合いで」
開きかけていた口が言おうとした言葉から変化する。
「……分かった」
いつの間にか緋月の口調だ。
「はい! 頑張ります!」
葵も同意してくれた。
これで本当にラストプレイヤーとしての役割を終えてしまった。
どことなくさびしい気持ちもある。危険な目にあいたいわけじゃないが、条件を飲んでしまった以上、あの世界で二人に危険が迫ったとしてもこっちにいる俺にその情報が入った時には、すでに終わった後。
とりあえず、二人が学園に来ていることが俺との約束を守っている証拠になる。それを俺は見守り続けるしかない。
残る心残りは、
「本を最初の数ページしか読んでいないことぐらいだな」
結局初期装備の本は全てを読む時間はなかった。
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
小さく呟いた独り言を誤魔化し、緋衣との出会いの疑問を解決する。
「そういえば緋衣」
返事もなく、視線だけで話を聞いていると合図が来る。
「なんで林檎と喧嘩していたんだ?」
「……あれはたんなる力ためしのつもりでそうした。この世界の相手に負けるようではあの世界では通用しない。でも來稑は……あれは噂以上だった」
予想が当たっていたとはいえ、幼馴染の力は底知らずで苦笑しかできない。
「私も一ついいか?」
俺も視線を送る。
「なぜ、私の鍵を返しに?」
その答えは林檎が出してくれていた。
そして、きっとこれがプレイヤーとして最後の言葉になると思い。俺は静かに決別として人間らしい言葉で締めくくる。
「俺はお節介らしいからな」
葵の笑顔と、緋衣の表情の微かな変化で、俺の戦い(ゲーム)が幕を閉じた。