家族
学園も平穏に終わり博士の晩飯に夜食を作り終えた俺は、草村を搔き分けながら柵を飛び越えた。
「もういいのか?」
「ああ、徹夜で直してるものがあるから会ってもすぐ奥に引っ込むんだよ」
そう言っても実情は把握できないだろうけど、納得した様子で林檎は返事を返してきた。博士が今直しているのは、人工神隠し機械の前回俺が指摘した時計に関して、きっと俺がいつでも使えるようにしているのだろう。
あれをまた使うかは別の話にしておいても、帰還用の時計は随時使えるようにしてもらっている。そうしないと俺はあの鍵を使ってしまったら簡単には帰ってこられないからだ。
「にしてもよ。こないだから縁はどこに行ってるんだ? おもしろいなら俺も連れてけよ」
博士の家の前で置き去りにしたことを言っているのだろう。博士に伝えてもらっていたのだが、詳しくあの世界の事を説明している余裕はあの時はなかったはずだ。だから、約束の林檎の家に行く途中、俺の口からあの世界の事を説明しておくことにした。
最初の始まりを少し濁し、人工神隠し機械の事まで話していく中で葵と緋衣の名は伏せる。勝手に教えてしまうのはなんだか悪い気がしたのと、そんなことを伝えたら林檎が俺を巻き込んだのを緋衣の所為にしかねない。一応あの世界の危険性も教える必要があれば当然省かなければいけない部分だ。
妙に興味ありげに訊いていた林檎は、おそらく喧嘩の延長に使えるなどと思っていたはずだが、人工神隠しの装置が機械だと分かると、途端に諦めた表情で興味を失っていく。
それに俺は興味を仰ぐような言葉を切り取った。危険と思っている手前無茶ばかりする林檎をあの世界に連れて行きたくないと思うのと、俺自身あの世界に行く理由を失っている。
あの世界の一部でも葵から説明されると思っていたこともあって、気にはなっているが考えようとすると緋衣の言葉を思い出してしまう。
俺には叶えたい願い事がない。
そんな悶々とする気分に、不思議な世界への終焉を前に天を眺めて暮れ始める空は、俺の気分を照らし合わせるようだった。
「どうかしたか?」
珍しく悩む俺に気が付いて林檎が心配してくれた。ありがたいことだが、できるならそれを他の人にも分けてくれると俺の負担は減る。それも、今まで散々言ってきても林檎は直そうとしなかった。だから、余計な事は言わない。
「いや、なんでもないよ」
それで充分に伝わる。それだけ長い付き合いだ。
「そういえば、林檎の家に行くの結構久しぶりだな」
思い出さないためにも話の方向を今の目的に変える。そうすると、少しだけ林檎の表情が曇った。
「俺の家だけじゃねぇだろ縁。お前の家でもあるんだからよ」
俺の言い方が勘に触ってしまったらしい。今の生活スタイルが出来上がるずっと昔、俺は林檎の家で一緒に暮らしていた。たとえ言葉だけだとしても家族としての扱いから外れてしまうと、機嫌が斜めになる。それに関しては俺が悪いので素直に謝り、近況報告を尋ねた。
すると、何か嫌な事があったと雰囲気で悟る。それを訊き昼間の幸一とのいざこざに繋がった。
「なんつうか変わらねぇけどよ。朝っぱらから縁を連れてくること伝えたら、うるせえんだよ。遅いとか、毎日連れて来いだとか」
原因は俺にあったみたいだ。以外にしわ寄せが幸一に向けられているのが申し訳ない。
「悪いな。俺も毎日顔見せに行けたらいいんだろうけど」
「どうでもいいだろ。学園で会えんだからよ」
それは林檎だけだろ、と言おうとしたのだが林檎の家が見えてきたので口には出さなかった。そして、玄関できょろきょろと何度も左右を見渡す女の子が俺たちの姿を見つける。すると、花が咲くような明るい笑顔を作り俺に飛びついてきた。
「おかえりっ、おにいちゃん!」
「ただいま。蜜柑ちゃん、もう三年生だっけ?」
「うん!」
久しぶりに会ったのに俺の事を覚えていてくれたことは素直にうれしい。
「ふふ、えん君おかえりなさい」
「ただいま、杏さん」
続いて玄関から出てきた林檎と蜜柑ちゃんの母親、杏子さんと挨拶を交わす。
「すいません、あまり来られなくて」
「ふふふ、さぁ中に入って」
それに対して何一つ文句も言わずに笑顔で迎え入れてくれる。そんな二人の対応に甘え、蜜柑ちゃんを抱えながら家の中へお邪魔した。
「おい、俺はまだここにいるぞ……」
遅れて入ってきた林檎に杏さんは「おかえりなさい、林ちゃん」と「なーんだりんにぃか」と投げ捨てるように言った蜜柑ちゃん。当然、腹を立てた林檎が不貞腐れていたが、ソファーに座っていた俺の隣に座ると諦めたように一言だけ呟いた。
「むかつくだろ」
学園ではまず見ることができない林檎の我慢という光景だ。
「あー、となりみかんがすわるのー、りんにぃはゆかにすわりなさい」
さっきまで杏子さんの傍にいた蜜柑ちゃんは俺たちが座る姿をみてそんなことを言ってきた。そんな言い方だと弱く聞こえるがその内容は意外ときつい。
「林あまり汚い言葉は使わないようにしなよ」
「ちっ……そうする」
一応もう片方の隣が空いているのだがそれだと蜜柑ちゃんは納得がいかないようだ。
このままだと喧嘩になりそうなので、蜜柑ちゃんに膝が空いてることを優しく教えてあげる。そうすると、ぱぁっと明るい表情で小走りに走ってくると俺の膝に飛び乗ってきた。
「どいつもこいつも蜜柑に甘いんだよっ」
「仕方ないだろ」
ご機嫌になった蜜柑ちゃんを見ていても年齢差があるのだから、どうしてもそうなってしまう。
「ったく」
どちらを立ててもこうなってしまうが、林檎もそれは仕方ないと思うのだろう。そのまま立ち上がり着替えに部屋へと立ち上がった。その姿に蜜柑ちゃんが舌を出してあっかんべーをしているが俺はそれを宥めていた。
しばらく蜜柑ちゃんの学園の話を聞いてあげている内に台所にいる杏子さんと着替えを済ませた林檎が何かを話し、杏子さんがこっちに視線を寄越す。
「えん君、夕ご飯食べて行くでしょ」
「あ、はい、いただきます」
深刻な話かと思ってしまった手前口ごもるが杏子さんは何事ともなかったように微笑みかけて、
「また敬語で喋るぅ」
クスクス笑いながら夕飯の支度に戻っていった。
なんだろうと思いつつ林檎が近づいてきた。
「なんかあったのか?」
「???」
突然の出来事に意味が分からない。
「幸一となんか話してただろ?」
あー、と学園での出来事を思い出した。幸一が悩み相談だとか言っていたのを訊いて気にしていてくれたのだろう。大した話じゃなかったつもりだったけど、折角だし同じ質問を三人に向けてしてみた。
なになに? と杏子さんも耳を傾けてくる。
「願い事ってある?」
「ねがいごと?」
「ある」
蜜柑ちゃんが、んー、と膝の腕で考えている内に最初に林檎が返事を返してきた。
「俺は昨日会った女と決着を着ける」
またそんな……と思っていると膝から蜜柑ちゃんが消えた。
「むー、蜜柑が先に答えるの!」
「あー? うるせえなどっちが先だっていいだろ!」
また始まった。
「バカりんっ!」
「てめぇ兄貴に向かってその口は何だ!」
大人げなく喧嘩を買って蜜柑ちゃんの頬を引っ張り、蜜柑ちゃんも負けずにテーブルに乗ってあった携帯電話を掴んだ。
「ひぎっ」
この家族の手に掛かれば林檎の弱さが一気に明るみになる。
「どうだ、まいったか!」
機械嫌いからすればそれは黄門様の印籠のよう、かざして見せる蜜柑ちゃんに林檎は追い掛け回されソファーの周りを走り回り始めてしまった。
「まったく」
相変わらずの兄妹だと思いながら気付くと台所から杏子さんが手招きをしていた。俺は走り回る二人にまきこまれないようにタイミングを見計らって立ち上がり、杏子さんの方に近づいていく。
「ふふふ、ごめんね。えん君がくると皆元気になっちゃって」
「学園でも慣れてるから」
敬語にならないように注意しつつ、せっかくだし料理の手伝いをするために腕まくりをする。
「あら、ありがとう」
「博士の世話で昔よりはできるようになったから」
「そうなの。博士は元気?」
「相変わらず」
「今度は一緒に来てくれるとうれしいな」
「そうですね」
「あら、また敬語」
「あ」
「ふふふ」
学園では林檎の世話焼きと称されているのにこの人の前だと俺も形無しだ。
「それでさっきの悩みだけど」
杏子さんのすごさを実感している内にさっきの質問に戻っていた。
「悩みってほどのものでもないんだけど」
「あら、そうなの。せっかくだし、訊いてね。私は皆が笑顔になってくれるように願うかな」
「笑顔か……」
「それで、えん君の願い事は?」
「それが――」
「そっちが本題なのかな?」
お見通しと言ったところなのだろう。いつの間にか杏子さんのペースに巻き込まれてしまっている。それが心地よくも感じる。
「悩みってほどでもないんだけど、普通はあるみたいだから」
ピーターに会ってからずっと考えていた願い事。誰もが小さくても持っている願いごとが俺には無い。それが不思議に思ってしまっているのだ。
「そうね。えん君は願いごとがある方がいい?」
「どうだろう。別に今までなかったし考えたこともなかったから、でもあるならあるでそれも面白いかな」
「ふふ、そうね、あった方が面白いわね。でも、願い事って時に難しくなることもあるのよ」
……願い事が難しいとはどういうことだ?
「願い事って極端に簡単に極端に難しいものがあるの。例えば、明日晴れればいいなって思うのは簡単なお願い。宝くじで一等賞が当たってほしいってのいうのは難しいようで、簡単なお願い」
「じゃあ、難しい願い事は?」
「それはね。自分で叶えなければいけないお願いごと」
自分で叶えるのが願い事……?
「お願い事は少しでも自分で叶えられるなら願ってはいけないと私は思うの。だってそれでお願い事が叶っても自分のためにならないでしょ」
「でも、願わないと叶わない物もある」
「そうね。でもお願い事にすることは本当にほしいものではないのよ」
そうなんだろうか。あの世界では生き残れば願いが必ず叶う。そのために葵も緋衣も戦っている。それは本当の願いではないんだろうか。それに杏子さんの願いも本当の願いではなくなってしまう。そう思ったのだが、杏さんが続ける。
「私の願いだって本当は自分でそうできたらいいと思うの」
考え込んだ俺に杏子さんはそっと微笑んでいた。
「ふふ、えん君はそれをどこかで分かっているのよ。だから願い事をもっていない。だから、えん君はその人の事を考えてしまうのね。そのお願い事が叶えるにはどうしたらいいのか考えてしまうから。それに、願い事のために何かをしている人がいるなら、その人はすでに自分で何かをしているはずよ」
本当にこの人には敵わない。
葵も緋衣も願い事はきっと本気で願っているからこそあの世界へと行く。それは間違っていない。その中でその答えがみつけることができるのであれば、きっとそれが願いを叶えることに近づくことができるからだ。
その願い事は俺には分からない。でも、あの二人はきっと自分でなにかしようとしている。それに俺は手を貸したいのかもしれない。だから、あの世界の事を知りたいと思っている。
「俺にできることを探すしかないか……」
失くした物が姿を現した。
「縁が願うなら、そのお節介と感情を表に出さない性格を直すことじゃないか?」
いつのまにか喧嘩を終えたのか蜜柑ちゃんと林檎が台所に顔を出した。
「みかんにだけならおせっかいしてもいいよ」
「縁に甘えんな」
「うるさーい!」
兄妹か……。
「そうね。あと私からのアドバイスなら、えん君はあまり考えないで行動できるようにすることかしら」
まったくこの人たちは、難しいことを簡単に言ってくれる。
「勘弁してよ」
それを最後に、俺の気持ちはどこが晴れていた。
悩みほどではない相談ごとが終わり、久しぶりの皆との食事が終わった。
泊まっていけばと言われもしたが、新聞配達の仕事もあるし、早朝から気を遣わせるのは申し訳がない。そんなこと口にしたら杏子さんに怒られそうで何も言わないでおく。それに俺にはまだやることがある。
杏子さんには色々と分かってしまっているようで、微笑んでそれには触れないでくれた。
蜜柑ちゃんに手を振り、外まで見送ってくれようとするのを断り、玄関の扉が閉まる。急に楽しかった空間が閉ざされたように外は真っ暗で人の姿は見えない。
住宅街を抜け、家に帰るための道を遠回りして帰る。
大きな通りは、昼間人が行き来を繰り返し、その道がこの街の中心で人を探したりするには絶好の場所。それも夜となれば限られた人しか通らず、目的の人間が通ればすぐに見つけることができる。
例えそれが約束されたものでなかったとしても、遠からず考えることが一致さえすれば。
きっと、それだけで――
「結縄縁」
学園側から聴こえてくる小さく静かな呼び声だったとしても。
「ごめんなさい、縁君」
古い家並みが並ぶ住宅街側から聴こえてくる謝罪の呼び声だとしても。
「今日学校へ来なかった理由を教えてくれるか?」
勝手に物事は歩を進める。
「葵、緋衣」
俺が――すべきことのために。




