敬語
『わりぃ、バイト入ったから約束行けなくなった><;ホントごめん!!』
元彼からのメール、きっと間違って私に送ってしまったんでしょう。
そんな今日は雨です。
私の大学が忙しくなった頃だったので丁度半年ほど前だったでしょうか、
彼に『学校でどうしても聞きたい講義があるので約束を来週にしてほしい。』とメールすると
2つ返事で了承してくれました。
当時私たちは同居していたのですが、彼の優しさにすっかり甘えていた私は最近忙しくてすれ違いの生活を送っていました。
生活に慣れてきてしまっていたはずなのにその日は彼のことが変に気になり、
講義が終わった後すぐ近所のスパーへ向かいました。彼の好物の筑前煮を作ってあげるためです。
食材を購入して少し早足でマンションへ戻りました。
部屋の前まで来て鍵が開いているのに気づきます、買い物袋を揺らしながらリビングへ進みますと扉一枚向うから聞こえるのは荒い息遣いと女の甘い声、合間に彼の私の名を囁く声です。
私だって一応常識のある大人ですので事が一段落するまで
筑前煮の材料に少し醤油が足りないがどうしようかと思案してお待ちしていました。
数分程待つと女の一層甲高い声が聞こえたのでとりあえず「ただいま」と声を掛けてドアノブを握り入室します。
彼は此方を見ると顔を真っ青にして余韻に浸っているであろう女を叩き起こし服を着だしました。
何事もなかったかのように今日必要のない食材を冷蔵庫にしまいながら彼に問いかけます。
「今日の晩御飯筑前煮でよかったかなー?」
彼は千切れんばかりの勢いで首を縦に何度もふりました。
「彼女さんも食べていかれますよね?」
茶髪のふわふわの『彼女さん』は青い顔をして転びそうになりながら走って部屋を後にしました。
何故あの子が被害者のような顔をするのでしょう。被害者は私です。
「『彼女さん』・・・転ばなければいいね」
私は料理の続きを始めます。
しばらくの沈黙の後彼は鼻をすすりながら私の足にすがりついてきました。
「・・・グッッズッ・・・ごめんね悠ぁ!!・・おっ、オレっ・・俺もう絶、対浮気なんかしないっ・・・がらぁ!!!だ、がらぁ、お、・・・こんないでぇ・・・。」
彼は何を言っているのでしょう。
私は棚から小皿を取り出すとお玉ですくった汁を少し注ぎ味見をします。
「その台詞は『彼女さん』に言ってあげたらどうですか?」
「彼女っは・・・!はる、かっだよぉ・・・!!!」
「そうですね、『あのさっきまでいた』悠ちゃんですよね」
足にひっついている彼の腕を振り払って
棚の上のタッパーを掴みそれを水道で漱ぐと今できたばかりの筑前煮を適量すくって中に入れます。
「コレ、冷蔵庫に入れときますからちゃんと『悠ちゃん』と食べてくださいね」
そう告げると彼は私の顔をもう一度見て俯き、何も言わなくなりました。
きっと諦めたか私自身に飽きたんでしょうね。
エプロンをイスに掛けた私は自分のハンドバックを掴んだ変わりにこの部屋の合鍵を電話台に置いて
部屋を出ました。もちろん彼は追いかけて来ません。
そして今の私には何も残りませんでした、残ったのは・・・彼のために治した言葉遣いだけです。
とりあえず今から市役所に行こうと思います。
なんでかって?
アタシの名前を改名しに行くために決まってんじゃん。
いつまでもあの女と同じ名前なんて反吐が出る。
語り手の女の子を敬語にすることによって無機質な感じと少しの悲しみを表現できていたら嬉しいです。