昼食の風景
私は昼食のことを昼飯などと呼ぶような輩は信用できない。なぜなら昼食は考えただけでも気が滅入るような狂った日常生活における唯一の安息の時間であり、もっとも高貴な名前が与えられるべきだからだ。私は敬愛の念をこめてランチとかデジュネと呼ぶ。もちろん常識という名の偏見にとらわれて生きる一般市民の前でそのようなことを言えば思わぬ吊るし上げに遭う可能性があるため口にはしない。しかし、本当の高貴さとは口調や振る舞いにあるのではなく、人の心の中にこそ存在するものだ。私の思想が行為として他人に示されなくても私は一向に構わない。
それよりも私は今目の前にある現実を味わい尽くすとしよう。本日のメニューはカツカレーだ!私はすでに冷めかかっているカツカレーを揺らさないように運びながら昼食会場(食堂)へと向かった。会場ではいつものように昼食会が開かれていた。愛すべき我が友人たちが座っている席に私も腰掛けた。このごろ調子はどうかね?などと他愛もない話をしながらも私は素晴らしいカツカレーの味に夢中だった。このつややかな米を見たまえ。まるで砂金のようにその光沢を見せびらかしている。弾力のあるその食感は私にその味をしっかりと味わわねば飲み込むことすら許さぬという米の意思表示だろうか。しかし、ルーだってその存在感に負けてはいない。ふんだんに牛肉、人参、玉ねぎ、じゃがいもが使われており、なおかつその存在感でお互いを邪魔するのではなく、むしろ調和しあっている!これはまさにオーケストラだ。不必要な自己主張をせず、それぞれが自身の役を理解しており、その役に徹することこそが全体の利益となるということを知っている。しかし、私はカツカレーがカツカレーとしての所以であるもの、そのアイデンティティであるカツについて言及することを忘れていたようだ。これがなければただのカレーになってしまう。290円の商品にこのような肉厚のカツを採用するとはこのカツカレーを販売する店は調理師としては最高の判断だが、経営者としては最悪の判断をしたということになる。この消費者に対する還元精神はどこから来たものなのだ。私は感動に打ち震えて友にたずねた。このカツカレーの味はどうかね・・・
「う~ん・・・あんまりおいしくない・・」
「なんかべちょべちょしてる。」
そ、そんなばかな!私の味覚に狂いなどないはずだ・・
「もしかしてこれがおいしいとでも思ってるの?」
そ、そんな事はない!こんなものまずいに決まっている!
私は自分の意見を翻し彼らに同調した。いや、しかし私の思想が行為として他人に示されなくても私は一向に構わないというのが私の主義だったではないか・・
これをおいしいと思ってしまったからといって私に罪はない。そもそも私は本当にこれがおいしいなどと思ったのだろうか。きっと私は最初からこのカツカレーはまずいと思っていた・・そうに違いない。