秋に憂う男
秋というものは、焼けつくような暑さも無く凍てつくほどの寒さもない人にとって実に過ごしやすい季節である。春でも言えることではあるが、寒さから暑さへと移行する間では温かみを覚える体は安らぎと共に眠気まで訪れてしまう。秋はその逆と言えよう。春は、何もしない事が一番であると考える。あくまで私の持論にすぎない訳なのだから、大層な事はない。唯の気の持ちようなのである。
私は散歩が好きだ。人が衣服を着こむ変化のように、植物たちもまた似たような変化をする。だが人とは逆に、着飾っていた緑を脱ぐ為の準備にしか過ぎない。しかし、その準備の段階が我々人にとって毎年感動をくれる。夏に瑞々しく華やいでいた緑は、秋には色を変え羽衣を散らす。街道に立つ木々も季節にそってその行為をする。道はそれぞれ特有の葉の色葉の形で染まり、今までと違う雰囲気を作れ出す。華やかでもあり、そして憂いも感じる。赤や黄色は温かさ快活などの元気なイメージを持つが彼らの放つ色にはそうは感じさせない。不思議である。極僅かな時間だけ身着くお洒落をすぐさま脱ぎ去る気分はどんなものであろうか。その先の冬を過ごす木々を想像すると寂しくなるからだろうか。いずれにせよ、彼らは一年を全うする為に決められた行為を繰り返すだけだ。私もそれは同じ、季節によって決められたように動くのみ。秋にこうして彼らを眺めるのも、また然り。