この人は、だれ?
「本日、このような天候に恵まれたことは・・・・」
朝礼台の上で堂々と児童に話す恭弥さまは、とても大学生には見えない。すごい大人っぽくて、私などがいくら手を伸ばしても届かないように思える。
「小夜。帰ろう」
いつの間に終わったのか、気が付くと恭弥さまは隣に立っていた。腰に腕が回される。
運動会を見ようと集まった人たちに見られるのが恥ずかしいので、腕から逃れようとしたが、恭弥さまが、腰が折れそうなぐらい力を入れたのであきらめる。
「もう、いいのですか?運動会は、今、開会式が終わったばかりでしょう?」
「いいよ、もう。あと閉会式まで用無いし、汗がひどいから風呂に入りたいしね。
まぁ、自分の子がいたら、絶対に残ってるけど。今は、まだ居ないし、いいんじゃない」
恭弥さまの「今は、まだ・・・」のところに反応して、頬が赤くなる。
そんな簡単に子供が出来るわけないっていうのは分かっている。私の体が人より弱い――と恭弥さまが言って、聞かない――から、夫婦の営みも、毎晩、出来ないし、まだ、結婚して二か月しか経ってないんだから。
でも。
でも、村治家の子孫繁栄のために嫁いだようなものだし、恭弥さまも望んでいるのだから、早くできないものかと、自分のお腹を見る。早く、妊娠しないものだろうか。
* * *
「ただいま-」「ただいま戻りました」
家の中は、いつもの雰囲気と違い、なんだか異様に緊迫した雰囲気だった。
恭弥さまもそう思ったのか、思わず、二人で顔を見合わせる。
「・・何かあったんでしょうか?」
「さぁ?
とりあえず、上がってみようか。ただ、姉さんと兄さんがケンカしてるだけかもしれないし。」
「・・そうですね」
上がり、自分たちの部屋まで歩いていく途中、かすかに話し声が聞こえた。時々、香里さまの怒鳴り声なども聞こえて、思わず、ビクッと縮こまる。香里さまが怒鳴るなんて・・・。
「客間の方だな」
恭弥さまは冷静に場所を確認し、私の手首を握って、客間へと引っ張っていった。
* * *
客間の前につくと、恭弥さまは何かを決意するように、深い深い深呼吸をした。
中から、香里さまと兄さん、それと誰だか分からない、若い男の人の声がした。香里さまの声は興奮しているが、男の人の声は、すごい落ち着いていた。
コンコンと控えめに襖をたたく。向こうから返事がないので、恭弥さまを見上げると、恭弥さまは無言で頷き、シュッと襖を開けた。
中には、下手に香里さまと兄さん、上手には、誰だか分からないが青年が座っていた。
恭弥さまと同じくらいの年齢だろう。どことなく、顔や雰囲気も恭弥さまに似ている。というよりも、そっくりだ。双子みたい。
恭弥さまもそう思ったのか、戸惑いを隠せずにいる。
香里さまは慌てて立ち上がり、こっちに来て!と言いながら、部屋から出て行った。香里さまに付いて、廊下に出る。
香里さまは、みんなが集まったのを目で確認すると、風が吹けば消えてしまいそうな程小さな声で、話し始めた。
* * *
「今朝、早くから小夜ちゃんと恭弥は運動会に行っちゃったでしょう?
行っちゃった後、誠二さんと二人で掃除してたんだけど・・ああ、小夜ちゃん。謝らなくていいから。こっちが、やりたくてやったことだもの。
そしたら、あの男の人――〈ゆうすけ〉っていうらしいんだけど、あの人が訪ねてきたの。
『清さんの家はこちらですか』って」
香里さまは、ここで一旦、言葉を切った。
清というのは、恭弥さまのお父さん、先代の名前だ。
「だから、『そうですけど・・』って答えたら、すごい、満面の笑みを浮かべて――あの子、恭弥にすごい似てるけど、笑った顔は全然、似てないのね。恭弥の方が、よっぽどいい男よ・・・贔屓目じゃなくて!褒めたんだから、素直に喜びなさい!まったく・・・―――『じゃあ、あなたが清さんのお子さんですか』って聞くのよ。
だからね、また『そうですけど・・』って答えたら、あいつ、何て言ったと思う?」
恭弥さまと顔を見合わせると、香里さまは、「まったく、ダメねぇ。最近の子は頭を使わないんだから
」というような目でこっちを見た後、ため息と同時に、
「『じゃあ、俺の姉さんだな』って言ったのよぉぉ!!」
と、半泣き状態で叫んだ。部屋の中まで絶対、聞こえるぐらい。
恭弥さまが慌てて、香里さまの口をふさぐ。
「うるさい!!聞こえちゃうだろ、その・・ようすけ・・・だっけ?」
「ゆうすけ、だよ」
突然、後ろから声がしたので、慌てて、振り返ると、ゆうすけという人が襖を開けた状態で立っていた。
「ゆうすけ。雄に一介の介で雄介。よろしくね」
ニコッと、花のように微笑みながら自分の名前を紹介する。
確かに、笑い顔は恭弥さまに似ていなかった。恭弥さまも花のように笑うが、恭弥さまと雄介さま(?)の笑い方は、何かが違う。何かが。
「あなたの名前は?」
雄介――よくわからないが、香里さまの弟になるのなら〈さま〉が必要だろう――さまの視線で、私に質問しているのだと気づく。
「あっ、小夜です。小さい夜と書いて、さよ」
「ふぅん。小夜かぁ。かわいい名前だね。もしかしてだけど、その隣の・・・名前、分かんないけど。その彼の彼女?」
私の隣というと恭弥さましかいないから、恭弥さまのことだろう。
思わず、頬が熱くなる。
「いえ。あの・・・彼女というか・・」
「恭弥と小夜ちゃんは、結婚してるのよ!!」
香里さまのストレートな一言。雄介さまの顔が一瞬、強張ったが、すぐにもとの微笑みに戻り、
「そうかぁ。ずいぶんと若いね。いつから?」
「エッと・・・2か月ほど前に結婚式を挙げました」
「そう。小夜ちゃんの旦那さん、雄介です。よろしく」
と言うと、
「雄介か。分かった。とりあえず、中に入ろう。話はそれからだ」
恭弥さまが冷静に――いや、違う。恭弥さまにしては珍しく動揺している。
それは、長年見てこないと分からないくらいの微妙な変化。香里さまとに兄さんも、もちろん雄介さまも気づかずに、部屋の中に入っていく。
恭弥さまは一歩も動かずに、じっと雄介さまの立っていた場所を見つめている。
隣に近づいて、恭弥さまの右手を包み込むように両手ではさむ。恭弥さまは驚いたように眉を上げ、こっちを見つめ、すぐに俺は何やってんだろうなというように自嘲気味に微笑んだ。
「恭弥」
囁くように言うと、その微笑みはより優しげになり、
包んでいた私の両手を器用に片手で外して、右手だけをギュッと強く握った。
手で繋がったまま、部屋に入るために歩き出した。