お飾り正妃のセレブでぼっちで丁寧な暮らし
☆
王宮主催の建国記念パーティがようやくお開きになったのは、間もなく日付が変わる時間帯だった。
まったく、日頃ろくな運動をしていないだろうに、貴族というのはこういうときだけ体力を発揮する。乾杯、ダンス、おしゃべり、また乾杯……。椅子に座ってニコニコしていればいいだけの私でもすっかりくたびれてしまった。
軽食を口にする以外やることがなく、かといって人目があるので食べてばかりもいられない。王妃だから無理に酒を進められることがなかったが、これなら酔っぱらっていたほうがましだった。
ああ、疲れた。
本当に退屈だった。
ただ笑っているのも楽じゃない。唇をある角度に保ち続けるというのは一種の筋トレだと思う。おかげで顔が引きつって戻らなくなった。尻と腰も痛い。調子が悪いからと嘘をついて最大限コルセットを緩めてもらったが、それでもダメージはゼロじゃなかった。
まったくお姫様も楽じゃない。
でも国内外から賓客の集まるこの一大イベントを乗り越えたから、当分はゆっくりすることができる。
とりあえず今日は念入りにマッサージしてもらって、そのまま寝てしまおう。明日は朝寝坊して、それでゆっくりお風呂に入って、今日食べれなかった分、たっぷり昼食を――――
と、そこまで考えたところで、前を歩いていた侍女が急に脇へ避けた。
なんだろう、と顔をあげると、目の前に派手なドレスをまとった女が立っている。
女は優雅な笑みを浮かべ、軽く膝を折る。
「あら、キャサリン様」
私は笑みだけを返し、女の名を呼んでやる。
この国では目上のものから声をかけなければならない。道ですれ違って挨拶をするときも、こちらが促さない限り目下の者は目を伏せていなければならない。ましてや私は王妃。この国で一応二番目に偉い存在だ。面倒なお貴族様ルールだが、破ることは許されない。
まあこの女は絶妙に破っているんだけどね。
膝は折ってるけど、視線は下げていない。挑発的にまっすぐ私を見つめている。
度胸があるなあ、ほんと。
それによくも毎度飽きないことだ。
本当は無視して立ち去りたかったが、角を立てる方があとあとさらに面倒なので、とりあえず相手に促してやる。
しゃべりたいことがあるならどうぞ、と。
「今宵は良いパーティでしたね、キャサリン様」
「そうですわね、エリザベス様。王国の威光を感じられる、素晴らしいパーティでした」
「すこし長丁場でしたけれどね」
「陛下があの調子でしたから、皆さま帰るに帰れませんわ」
この国の王で、私とキャサリン様の夫である男は酒癖が悪い。
酒乱、というわけではないが、一度手をつけるとなかなか盃をおろすことができない。また主君自ら酒を注いでやることが臣下へのなによりもの褒美になると本気で考えている。
つまり性質の悪い飲ませたがりなのだ。
「キャサリン様に感謝しなくてはなりませんわね。陛下の酒瓶に栓ができるのは貴方だけ。キャサリン様の忠告がなければ、パーティはきっと夜が明けるまで続いたことでしょう」
わりと心からの言葉だったが、これを聞いたキャサリン様はほんの少し眉を吊り上げた。
どうやら皮肉と捉えられてしまったらしい。
「夫の身体を気遣うことは、妻として当然の務めですわ。でしゃばりと思われるならそれで結構。わたくしはわたくしの行動をなにひとつ恥じてはおりません」
また始まった。
どうしてこの人は私のいうことを素直に受け止めてくれないんだろう。
なにを言っても皮肉か当て擦りか嫌味と捉えられて、怒りを買ってしまう。
そんなつもりは全然ないのに。
私は貴方に見栄を張るつもりもなければ微塵の嫉妬も抱いてないのに。
「素晴らしい心がけですね」
疲れているところに苛立ちをぶつけられて、私も黙ってはいられない。
今度は心を込めて、皮肉をお返しする。
「キャサリン様もお疲れでしょうに、これからまたお務めでしょう?」
キャサリン様は勝ち誇ったように笑みを深くし、ええ、とその豊満な胸を張る。
「熱の冷めやらぬ夫を慰めにいくのも、妻の大切な役目ですから」
何時間もパーティをした後だというのに、彼女の開かれた胸元には真珠のパウダーがきらきらと瞬いている。
ヘアメイクヘアセット共に崩れ為し。
わずかな動作で漂うどぎついジャスミンの香りは、まだトップノート。
間違いなくキャサリン様は、一度居室で身支度を整えなおしている。
そして彼女がこれから向かおうとしている先は、皇帝の寝室だ。
「同じ妻として面目ありませんわ。キャサリン様にばかり役目を押し付けてしまって」
「あら、お優しいエリザベス様は、人に面倒をかけるようなことはされませんわ。お気になさらず。これはわたくしが望んでやっていること。それにもし陛下がエリザベス様を御指名でしたら、わたくしもでしゃばるような真似はいたしません」
でもパーティでは、正妃の私を差し置いて陛下にべったりだったよね。
いやまあ、いいんだけど。ダンスとか疲れるだけだし。陛下の飲み過ぎを嗜めるのも面倒だし。玉座の隣で置物であることが、正妃として一番無難な振る舞いだから。
けどあんまり貴方に目立たれると、正妃派の連中に私が怒られるから勘弁してほしい。
立場を弁えてほどほどに私を立ててほしい。
「頼もしいですわ。キャサリン様のような方が同じ妃で、本当に良かったと思います」
「歴史ある名家の姫君にそう言っていただけで、わたくし鼻が高いですわ」
うん。全然無理そう。
なにを言っても火に油。どう転んでもレスバっぽくなってしまう。
仕方ないか。私とこの人とでは生まれも立場も価値観もかけ離れているから。
「お引止めしてしまいましたわね。夜更かしはお肌の大敵。私はもう休ませていただきますわ。貴方も――――いえ、ここで言っても仕方ないですわね。陛下によろしくお伝えくださる?ご婦人を遅くまで付き合わせるものではありませんよ、と」
「あら、女の中には、陛下と同じで夜が長い性質の者もありましてよ」
私たちは鏡映しにしたみたいにそっくりの作り笑いを向け合う。
まったく。親切心で忠告をしてあげてもこれなんだから。
プライドばかりを優先してると十年後に痛い目を見るっていうのに、なにもわかってないな。
まあ仕方ないか。
前世でアラフォーだったとはいえ、いまの私は十八歳の小娘。
二十五歳の女が耳を貸すわけはないのだ。
☆
私はいわゆる異世界転生者というやつである。
前世は貧乏なアラフォー女。令和の日本社会のわりと底辺で慎ましく暮らしていた。
なんで転生したのかはよくわからない。
人を庇ってトラックに轢かれたわけではないし、魔法陣に引きずり込まれたとかもない。
ある日目が覚めると、私はこの世界でお姫様になっていた。
お姫様。
とある王国の第二王女。
十八で政略結婚のため隣国へ嫁いだ姫。
それが私、エリザベスだった。
突然お姫様になった、というより、アラフォーの日本人だったことを思い出した、という方が正確かもしれない。
十八歳になるまでは、私はただのエリザベスとして生きていたから。
前世など持たない、等身大のお姫様。お利口さんで礼儀正しく、自我というものをほとんど持たない、まさしく理想のお姫様。
それがどうしたことか、十八歳の誕生日、結婚式当日の朝に、前世の記憶が蘇ってしまった。
中世ヨーロッパ風のこの世界とはまったくちがう、令和の日本を生きていたアラフォー女の記憶が。
しかし思い出したからといって、エリザベスの運命が変わることはない。
いきなり結婚式を取りやめにすることなんてできないし、そんなことをすれば、ようやく結ばれた両国の休戦協定が破られることになる。
私はいわば人質なのだ。
大切な姫を差し出すから攻めてこないでね~。
そっちこそおかしなことをすれば姫の命はないぞ~。
という実父と義父のやりとりのもと交わされた婚約。
私の意志はそこにはないが、逆らうことは許されない。
王女という生き物は政争の駒でしかないから。
お国柄というか時代性というか、これはどうしようもない。
下手に逆らえば酷い折檻を受けるか、頭がおかしくなったと幽閉される。最悪殺される。そんなのは御免だ。
だから私は前世を思い出した後も、運命に逆らうようなことはしなかった。
大人しく隣国の王(当初はまだ王子だったけど)と結婚し、王女様から正妃様へとジョブチェンジした。
正妃になったからといって、王女時代とやることは変らないんだけどね。
男の人の後ろに立って、ニコニコ笑顔を振りまく。お飾りの后としてただ華やかであること。それが私に求められる役目。
女といえども貴族社会のパワーゲームから逃れることはできない。
正妃ではあるが隣国と強い繋がりを持つ私は不本意ながら強い影響力を持っている。
私が誰かと特別親しくしたり、ある派閥を贔屓にすると、それだけで国が大きく動いてしまう。
そのため私は空気であることが求められた。
私がなんの意志も持たないお人形であることを、夫も、隣国から補佐官(という名のお目付け役)として付いてきた侍従たちも、望んでいた。
だから私はその通りにした。
前世を思い出す前の私がそうであったように、いつも無感動な笑顔で、最低限の意志表明だけを示し続けた。
人形でいることは、多少窮屈ではあったが、さほど苦ではなかった。
前世からそうだったしね。
人の言いなりに生きるのは。
私は子供を奴隷と思っているタイプの毒親に育てられた。
家事と妹弟の世話は当たり前のヤングケアラー。
反抗はしなかった。暴力は振るわれなかったけど、すごい被害者面されるから。
お母さんたちはこんなに大変なのに助けてくれないの?とかいって。
冷たいね、家族が大切じゃないんだね、って泣かれると、罪悪感がすごくて、結局言いなりになっちゃう。
我ながら単純な子供だった。
さすがに高校生くらいになると、親の泣き落としはうっとうしいとしか思わなくなったけど、その頃にはもう感覚が麻痺してて、反抗する意欲もなくなってた。
面倒だからこのままでいいやって、全部親の言いなりになってた。
親のすすめで介護系の大学に行って(潰しがきくから、自分たちの面倒をみてもらいたいから、という最低な理由で)、学費は出してもらえないので、奨学金とバイトでどうにかやりくりした。
そのまま介護職についたけど、奨学金の返済に加えて不景気やら物価高やらで生活は苦しかった。
節約生活をしているうちに友達とは疎遠になって、当然恋人もできなくて、気づけば喪女まっしぐら。
唯一の趣味は月に3000円までと決めたガチャガチャのミニチュア集め。それとSNSで異次元の金持ちの生活を眺めること。
夢も希望もないまま気づけば三十代後半。
親が身体の不調を訴えることが増え、ああいよいよ介護か。こりゃ結婚は無理だな、となにもかもを諦観し、受け入れた惨めな女。
それが前世の私だった。
同じ言いなりのお人形でも、金があるとないとでは天と地ほども差が生まれる。
誰も私という個人に関心がなくても、友達がいなくても、夫に愛されていなくても、それどころか夫には溺愛するべつの女がいたとしても、私は十分満足していた。
お飾りのお后様生活は、控えめにいって、最高だった。
☆
ああ、疲れた。
居室に戻った私はビロードのハイヒールを脱ぎ捨て、ふかふかの絨毯に裸足で降り立つ。
毛足の長い絨毯は、浮腫んだ足を優しく受け止めてくれる。
ミンクの毛皮を繋ぎ合わせて作られたものだと聞いたときはちょっと引いたけど、この世界ではリアルファーに対する規制とかはないので、合法らしい。
高級品のミンクをファーどころかコートどころか敷物にできてしまうのは、お后様だけの特権だろう。
数百頭のミンクたちの骸を、私は今ではすっかり気に入っている。
きついヒールを脱ぎ捨てて、このふわふわに足を沈める解放感といったら!
私は強張っていた表情を弛緩させて、控えていた侍女たちに命じる。
「湯あみがしたいわ。遅くに悪いけど、お願いできる?」
侍女たちは嫌な顔一つせずすぐに支度を始める。
すぐに寝てしまうつもりだったけど、ヒールを脱いだらちょっと気力が戻ってきた。
まあ気力がなくても侍女が全部やってくれるからお風呂には入れるんだけどね。
着替えも頭洗うのも髪を乾かすのも全部侍女任せ。私はただ脱力していればいい。
慣れるまでは気恥ずかしかったけど、慣れてしまえばこんな楽なこともない。
お風呂は気力がいるからね。マジで。
前世ではまず湯船に浸かることがほぼなかった。シャワーで精いっぱい。
それも家に帰ってからやる気が起きなくてぐずぐずしているうちに夜遅くなって、さらに面倒になって、もう明日でいいやって朝に回しちゃう。でもその時点で夜更かししちゃってるから、次の日シャワーのために朝三十分はやく起きなきゃいけない。
毎朝、前の日の自分を殺してやりたくなってた。
なのに結局その日の夜も同じことを繰り返しちゃう。
学ばない生き物だよね。
気持ち的にはいつも、しっかり湯船につかって、アロマとか焚いて、音楽聞きながらのんびりしたかったけど、全然無理だった。
疲れすぎて自分を労われないの。
今考えると前世の私、かわいそうだったな。
「お加減はいかがですか?」
それに比べたらここは天国だ。
退屈なパーティで体力気力共に底を尽きてるけど、セルフケアをする必要はないんだから。
全部メイドさんたちがやってくれちゃうんだから。
「ちょうどいいわ。続けてちょうだい」
「かしこまりました」
重たいドレスを脱がせてもらって、結いあげていた髪を丁寧にとかしてもらって、部屋に運ばれてきた湯船に身を沈める。
脱力している私の手足を丁寧に持ち上げて、侍女が身体を洗ってくれる。
石鹸を含ませたガーゼで、赤ちゃんを洗っているかのように優しく清められる。
ミルクバター入りの石鹸は泡立ちはいまひとつだけどしっとりと肌に馴染む。もちろん無添加。この世界ではほとんどの食品も美容化粧品も自然由来だ。
科学が発展していないから当然なんだけれど、かといって値段が安いわけでもなく、私がふだん使いしている石鹸ひとつで庶民のひと月分の食費くらいにはなるだろう。
なんていう贅沢。
でもお后様だから、むしろ贅沢は積極的にしなきゃいけない。
同盟国から贈られてきたお姫様に節約なんてさせたら、この国の権威に関わる。
我が国の宝を冷遇してどうのこうのと、外交上でなにか言いがかりをつけたいときの出しにされてしまう。
だから私は遠慮なく贅沢をさせてもらう。
というか石鹸を惜しみなく使うことくらいじゃ全然足りていなくて、もっと金を使えと国王に言われるくらいだ。
側妃のキャサリン様がけっこうな浪費家なので(無類のパーティ好きで、しょっちゅう夜会やらお茶会やらを主催している)、私も同じだけ使わないと釣り合いがとれないんだとか。
というわけで、私は日常の細々したところに惜しみなく金を使わせてもらっている。
特に調度品にはこだわっている。
正妃という立場上、私は王宮から出ることがほとんどない。さらにいえば一日の大半をこの居室で過ごすので、インテリアは好きなもので固めさせてもらった。
好きなものに囲まれていれば、引きこもりも苦ではない。
部屋全体を明るくしたかったので、ベッドもドレッサーもガラス棚もベージュが基調。
そしてところどころに動物モチーフの装飾を施してもらっている。
ベッドの天蓋を支える柱にはイタチが、ドレッサーの取っ手にはウサギが、ガラス棚には猫の足がついている。
どれも特注品だ。
前世でも凝った作りのアンティーク家具が好きだったけど、そんなもの買う余裕なんてなかったから(そもそも三十年以上住み続けたボロマンションの部屋にそんなものは似合わないし)、ガチャガチャでミニチュアを集めるのがせいぜいだった。
それがいまでは本物に囲まれて暮らしている。
部屋のどこを見ても目の保養。
こんな最高なことってない。
しかし気に入った家具を頻繁に入れ替えたくもないので、私が日常的に心掛けている散財は、侍女へのお小遣いがメインだった。
宝石やらなんやら現物支給だけど、彼女たちはそれをとても喜んでくれる。
当然だけど給料が良ければその分尽くしてくれるので、みんな私がどんなわがままを言っても応じてくれるし、熱心に世話を焼いてくれる。
というわけで、夜遅くに湯あみを頼んでも、彼女たちはいつも通り、というかいつも以上に丁寧に対応してくれる。
こういうとき私はいつも特別手当をあげるので、それを期待してのことだろう。
まったく現金な娘たちめ。
でもこれだけのサービスをしてくれるんだから、労働の対価として正当だ。むしろプロ意識が高いとまでいえる。
前世の私も、そのあたりもっとしっかりするべきだったなあ。
夜勤終わって帰ろうとしたところで入居者のご家族がクレームつけにきて(職員への暴力行為が絶えないので退去の検討をお願いしたところ先にお前たちが虐待したんだ訴えるぞという理不尽極まりないやつだった)、管理職が病欠、新人ばかりの日だったのでやむなく私が対応、結局お昼近くまでかけてなだめすかさなければならなかったのだが、それを報告しても施設長は大変だったねといってどら焼きをひとつくれただけだった。
残業代どら焼き一個って。
夜勤明けの三時間で200円って。
ふざけてる。
でも疲れ果てて怒りもわかず、あんこ好きなんで嬉しいですう、なんてへらへら笑って受け取ってしまった。
あれはよくなかったな。
なにがなんでも残業代もらうべきだった。
それか薄情だけど日勤の人らに任せて帰るべきだった。
「疲れがとれるわ。腕の良い、働き者の侍女に囲まれて、私は幸せものね」
とろけるように気持ちがいいヘッドマッサージを受けながら、私は働き者の侍女たちを労わる。
彼女たちは謙遜も驕りもみせず、ただ控えめな笑みを返してくれる。
そうそう。私もこうあるべきだったんだよな。
今日の手当てにはいつになく色をつけよう、そう思いながら、私は身体の力を抜いた。
☆
特に予定のない一日でも、午前中はなるべく行動することに決めている。
夜会などで遅くなった日は昼近くまで惰眠を貪ることもあるけれど、朝活をした日とそうじゃない日とでは充実感が桁違いだし、美容にも健康にもいいので、朝はしっかり起きることにしている。
目覚ましはない。けれど決まった時間にメイドがカーテンを開けてくれるので、朝日で自然に目を覚ますことができる。
メイドさんたちが朝の身支度セットを持って待ち構えているが、すぐに起き上がることはしない。
キングサイズのベッドの上で何度か寝返りを繰り返す。
毎日取り換えてくれるシーツからはお日様のにおいがする。
窓から入ってくる風はすこし冷たいが心地良い。
羽毛たっぷりの枕に顔を沈めると、二度寝の誘惑にかられる。
今日はもうとことんだらける日にしちゃおうかな。でもいい天気なのにもったいないかな。
お昼には気温もあがりそうだし、ひさびさに庭園でランチしたいな。
そうだ。とことんオシャレして、ランチという名のアフタヌーンティーしよう。
私は起き上がり、のびをする。身体が軽い。前世ではこんなにすっきり起きられたことなんてなかった。
いや若いころはあったかもしれないけど、もう忘れてしまった。
起きても布団の中でギリギリまでスマホいじらないと起き上がれなかった。低血圧のせいで立ち眩みがひどいし、だるいし、食欲なんて皆無だった。
それがいまでは覚醒一分でベッドから降りられる。
視界はクリアで、起き抜けにもう空腹を感じるられる。
若さもあるだろうけど、心身のケアの賜物だろう。
私は寝衣のまま朝食をとる。本当はいつ国王からのお呼び出しがあってもいいように、起きたらまず身支度を整えるものだけど、朝食はリラックスしてとりたいのでそのしきたりは無視している。
お目付け役の侍女頭は嫌な顔をするけれど、手当を多めにやって見逃してもらってる。
国王が私を呼び出すことなんてまずないのだから、なにも心配することはないのだ。
野菜たっぷりミネストローネにブルーベリーのヨーグルト、焼きたてのクロワッサン、蜂蜜たっぷりの紅茶。
お后様の朝食にしてはシンプルだが、このくらいでちょうどいい。
それに味は極上だ。新鮮な食材をたっぷり使った、出来立ての料理に勝るものはない。
朝食を終えたら今日の装いを決める。
ドレスも宝飾品も把握しきれないほどあるので、メイドさんたちが今日の気候、近頃のトレンドに合わせたものをピックアップしてきてくれる。私はその中から選ぶだけでいい。
このときほどセレブを実感することもない。
インスタで見たアラブの石油王の妻もこんなかんじで外商を相手にしてた。
立場が立場だからか、私自身が買い物をすることはない。
王室には御用達の商人が定期的に通ってくるけど、相手をするのは侍女頭だ。
街に買い物にでることもまずありえない。私の前に置かれるのは、すでに私の所有物となったものだけ。
前世では買えもしない高級ブランドの通販サイトを眺めることで満たしていた買い物欲が(手に届く価格帯だと衝動買いしてしまうのであえて高級ブランドに絞っていた。くそったれ貧乏ライフハック)、今生ではなにも買わなくても常に満たされていた。
まあこんな環境にあっても、人間の本質というのは変らないもので、いざ手に入るとやっぱりいらなかったかも、となる。
手持ちの服を全部一軍にできる人が心底羨ましい。
私は金のなかった前世でも、手持ちの服の三割は箪笥の肥しだった。
いまだってドレスは山ほどあるけど、結局お気に入りを着まわすことがほとんどで、一度も袖を通すことなく侍女へ下賜するものの方が多い。
侍女たちの方でもそれを見越して、明らかに私好みじゃないものを仕入れていたりするが、それも福利厚生ということで目を瞑っている。
さてそんなわけで、私が今日チョイスしたのはピンクベージュのマキシ丈ドレス。
プリンセスラインで、スカートのボリュームは控えめだがギャザーはたっぷり。ハイネックでハーフスリーブ。胸元から肘にかけては白いレースで覆われていて、袖はボリュームが出るようにリボンで引き締められている。ところどころに縫い込まれたパールがアクセントになって、上品さと可愛さが両立している。
お気に入りの春ドレス。
コルセットもクリノリンもいらない手軽さは、今日みたいなリフレッシュデーにふさわしい。
パーティがある日は、もっと格式ばったドレスを着なくちゃならないからね。
オフの日くらいは着心地優先で。
着つけはもちろんメイドさん任せ。鏡の前に立っていれば、メイドさんがてきぱきと着替えさせてくれる。
ドレスの次はアクセサリー選び。
これもドレスに合うものをメイドさんたちがピックアップしてきてくれる。ダイヤモンド、ゴールド、サファイア、翡翠に真珠。どれもまごうことない本物だ。
私は細い金のブレスレットと、オリーブの葉を模した翡翠の髪飾り、それから真珠の耳飾りを選ぶ。
正直、宝飾品は苦手だ。
きれいだと思うし前世で憧れも抱いていたけれど、実際与えられると壊したり失くしたりしたらどうしようという気持ちが勝ってしまう。
さんざんお姫様生活を謳歌していながら、未だに変なところで小心というか、貧乏思考が抜けきらない。
選んだ宝飾品は一度脇によけられ、待ちに待ったメイクアップタイム。
この身分になって思い知ったが、お化粧をしてもらうのは本当に気分がいい。
リラックスできる、というよりはドキドキするかんじ。
そわそわ?
ぞわぞわ?
言語化が難しい。
前世ではセルフメイクだって最低限だったから、化粧というものに対して強い憧れがあったせいかもしれない。
なにせうちの両親は私を介護要員としてしか見ていなかったから、少しでも女っ気を出そうものなら罵詈雑言の雨嵐。
似合ってない、見ていて恥ずかしくなる、ブスが際立つだけ、身体を売ってると誤解されるぞ、などなど。
実の娘によくこれだけ言えたもんだ。
見せる相手なんていないのに。自己満足さえ許されないって、本当にどうかしてた。
でも、いまでこそあんな親に振り回されてどうかしてたなって思うけど、当時は一理あるんだろうなって受け入れてた。
腐っても親は親。私を本気で傷つけようとしているはずがない、きっと本当のことなんだって、どこかで思ってた。
というかそう信じなきゃ自分を守れなかった。
馬鹿な私。可哀そうな私。
まあ、いまはもう大丈夫だけどね。
当たり前だけど、化粧をすればきれいになれるし、テンションあがるし、いいことしかない。
化粧となるとそわそわするのは、前世のトラウマのせいだろう。
緊張と背徳感で胸が締め付けられる。
でも気づけばそれは高揚感に変わっている。
今生でまだ記憶が戻る前、王妃様、つまりこちらの世界でのお母さんに口紅を塗ってもらったことがある。
私はまだ十歳とかで、化粧をするには早かったけど、口紅のケースが可愛かったので眺めていたら、母は内緒よといって塗ってくれた。
その時のドキドキを、記憶を取り戻してから化粧のたびに感じている。
美しい母が自分をまっすぐ見つめている。
頬に触れる母の手は、唇に触れる紅より冷たい。
鏡に映る自分が特別きれいになったとは思わなかったけれど、ふだんより大人びて見えることは確かだった。
似合うわ、といってくれた母の声は優しかった。
前世の母には一度も言ってもらえなかった言葉だ。
記憶が戻る前は忘れかけていたその情景は、いまとなっては繰り返し夢に見るほど大切な思い出になっていた。
化粧できれいになることよりも、化粧という人を美しく変身させる魔法そのものが、私は好きなのだ。
この世界の化粧はそれほど発達していないので、パウダーをはたいて、眉を描いて、頬と口に紅を差すことがせいぜい。
急げば10分くらいで終わるだろう。
しかし私はこの魔法の時間を堪能したいので、あえて時間をかけるようお願いしている。
「濃くしないで。自然なかんじに。時間をかけていいからとにかく丁寧にやってちょうだい」
いつも通りの注文に、化粧担当の侍女はかしこまりましたと慇懃に答える。
下級貴族であるこの侍女は、正妃付きの侍女の中で一番の美人だ。
天然ものとは思えない切れ長の瞳にシャープな鼻筋と輪郭ライン。セルフケアで保たれているとはとても信じられない左右対称の眉。まつ毛の量とカールは、まつエクどころかまつパどころかビューラーすらないこの世界であっていいものではない。
侍女たちも化粧は許されているが主人より目立ってはいけないため、基本的に薄化粧の私の侍女たちも必然薄化粧になる。
それにも関わらず、この侍女はいつも華やかだった。
すっぴんが化粧顔のタイプなんだろう。
いまの私も前の私に比べればずっと美人だけれど、どちらかといえばベビーフェイスなので、こういう気の強そうな美人顔には憧れがある。
けれどもちろん、背伸びをして似合わない化粧はしない。
身の丈にあったものでいい。
地の良さを最大限生かしてこそのメイクアップだ。
「お肌を整えさせていただきます」
準備を整えた美人メイドさんは、サロン店員よろしく声をかける。
私が頷いて目を伏せると、まず水で濡らしたコットン顔全体を優しく拭きあげてくれる。
次に化粧水代わりのレモンオイルを馴染ませる。ペタペタと小さな吸着音が聞こえる。長く滑らかな指に頬を包まれると、頭の奥がじんわり痺れて瞼が震える。
美人の顔が至近距離にあって緊張するので、化粧中は極力瞼を伏せるようにしているのだが、そうすると感覚が敏感になって、マッサージを受けているような心地になる。
「お粉、失礼します」
お次はファンデーション。
パール入りの透明感ある白粉をパフで顔全体にまぶされる。それから全体にリスの毛で作られたブラシで、ムラを整えられる。
ぽんぽん。
ぽんぽん。
ブラシのこそばゆい感覚に、私はますます瞼を震わせてしまう。
くすぐったい。
小さいリスが顔を駆けまわっているみたいだ。
気づかぬうちにファンデーションは終わり、チークに移っている。
同じリスの天然毛ブラシで、頬を明るく染められる。
童顔に拍車がかかるので私はあまり好きではないが、チークは濃いめが流行なので、念入りに塗りたくられる。
ブラシが頬を何度も行き交い、それでも足りないと指で直接塗りたくられる。
この手つきが本当に極上で、化粧中だというのに顔の筋肉が弛緩してしまう。
チークを塗るときはすこし頬を持ち上げた方がいい、というのは前世の知識で、サロンのメイクアップ動画なんかを眺めていても、店員はチークのさい、すこし笑ってくださいとお客さんにお願いしていた。
だから私も笑うべきなのだが、無理。
きれいなお姉さんの長い指でほぐされた私の頬は、もうすっかり脱力してしまっている。
メイクされているんだかフェイシャルエステを受けているんだかわからないな、これじゃ。
その後も手際よく化粧はすすめられていく。
細筆で眉が描かれ、メイドさんの小指でアイシャドウが、人差し指で口紅が引かれる。
「いかがでしょうか」
そう言われて、私はようやく目を開ける。
正直そこまで劇的な変化はない。
全体的にトーンアップして明るい印象になっただけだ。
でもこれで十分。
派手な化粧の方がこの国の男には好まれるが(もちろん国王も例外ではない)、モテるために化粧をしているわけではないので、今日の気分にあった顔色であればよし。
「御髪を」
さてお次はヘアメイク。
腰までの長い髪を、櫛とブラシで丁寧に梳いてもらう。
薔薇の香りのオイルをたっぷり馴染ませてもらいながら、今日の髪型を考える。
フィッシュボーンのゆるふわまとめ髪か、きっちり夜会巻きか、バレリーナ風三つ編みシニヨンか。
でもせっかく翡翠の髪飾りを選んだので、それを一番活かせるアレンジがいい。
「三つ編みのハーフアップにしてちょうだい」
「かしこまりました」
前世では時短のためにショートヘア一択だったが、美容にいくらでも時間の割ける今生ではたっぷりと髪をのばしている。
ヘアアレンジのしがいがあってとても楽しい。(手入れもアレンジもメイドさん任せだが)
特にお気に入りは三つ編みだ。
すこし癖のある、ボリュームたっぷりの栗毛は、太い三つ編みが作れて楽しい。
今日はハーフアップにまとめたところの根元に翡翠の髪飾りをつけてもらった。
耳飾りとブレスレットもつけて、ようやく今日のおめかしが完成。
「いかがでしょうか?」
「そうね……」
私は鏡の前でくるりと一回転する。
お后様というよりは、自然豊かな田舎で暮らすお嬢様といったかんじだ。
「よくお似合いです」
侍女たちが口々に褒めそやす。
お世辞だとわかっていても嬉しい。
それに自分でも、めちゃくちゃかわいいと思っている。
「気に入ったわ」
どうもありがとう、お疲れ様、と侍女たちに労いの言葉をかけたいところだけれど、それは后の振る舞いとしては正しくない。
私が腰を低くすれば彼女たちはつけあがる。
主人といえども私を軽蔑し、いくら贈り物をしたところでこれまでのような働きは見せてくれないだろう。
后である私は偉そうでなければならないのだ。
侍女の顔色を窺うことなど言語道断、堂々と彼女たちを使役しなければならないのだ。
お礼のひとつ許されない、不自由な身分社会。けれど悪いことばかりではない。
彼女たちは私がよほど理不尽な命令を下さない限り、私の味方でいてくれる。
正妃の侍女とは貴族社会において格別の地位を持つのだ。
彼女たちのほとんどは下級貴族の出身だが、私の庇護下にあるということで上級貴族の娘たちと変わらない扱いを受ける。
お茶会や夜会の招待が絶えず、破格の縁談がいくつも持ち込まれる。
私が正妃としての立場を、例えお飾りであっても保っている限り、彼女たちはその威光にあやかれるのだ。
だから彼女たちは私を一生懸命飾り立てる。
王は側妃を寵愛しているが、それは王の趣味の問題で、決して側妃より私が劣っているわけではないとしらしめるために。
また私の悪い噂は決して流さず、お飾りである私の立場を、政治的に動けないだけなのだと、思慮深く貞淑な方なのだと擁護さえしてくれる。
私たちは主従であり、仲間でもあるのだ。
彼女たちがいなければ私はお飾りですらない置物になってしまう。
私が惨めさも虚しさも感じず正妃として立つことができるのは、彼女たちという宝石で身を固めているからだ。
私たちは友だちではない。
お礼も挨拶も気軽に交わせないような関係だ。
それでも私は彼女たちのことを、とても大切に思っている。
お茶くらい一緒に飲めたらいいな、とは思うけどね。
「新しいドレスが欲しいわね」
私のこの言葉に、侍女たちはぱっと瞳を輝かせる。
「季節も変わるし、いくつか新しいものを見繕う必要があると思わない?」
「来週、商談があります。ご要望があれば伺いますが」
「いつも通りおまかせするわ。それよりも、新しいドレスを仕舞うためのスペースを作る必要があるんじゃない?」
「左様で」
侍女頭と私のお決まりのやりとり。
新しいドレスが欲しいわけではない。クローゼットにはまだ袖を通していないドレスがたんまりある。それにクローゼットには十分ゆとりがある。足りなければ収納スペースを増やせばいいだけのことで、古いものを処分する必要はない。
つまりこれは方便だ。
侍女たちにドレスを下賜するための言い訳だ。
「私はすこし休むわ。貴方たちはお片づけをお願い」
「かしこまりました」
侍女たちそそくさと控え室に下がる。
表情を殺し、口を必死につぐんではいるが、その足取りは踊るように軽やかだ。
きっと誰がどのドレスをもらうかで、これから大騒ぎをするんだろう。
その輪に交ぜてもらえないのは、ちょっと、いやかなり寂しい。
けれどこればかりは仕方ない。
お后様とは孤独なものなのだ。
彼女たちが報酬に満足してくれて、また一生懸命働いてくれるなら、それでよしとしなければ。
☆
ご褒美を選び終えた侍女たちを連れ、王宮にある庭園をのんびり散歩して、小腹が空いたところでお昼にする。
東屋にはすでにリクエストされた昼食が並んでいる。
三段のスタンドに、サンドイッチ、スコーン、スイーツがそれぞれ並んでいる。
サンドイッチはキュウリとチーズとマスタード、ローストビーフとオニオンスライスの2種。
スコーンにはたっぷりのイチゴのジャムとクロテッドクリームが添えてある。
スイーツは一口サイズのガトーショコラ、かぼちゃのパイ、レモンタルト、マカロン、蜜漬けのさくらんぼがいくつか。
食べなくてもわかる。
絶対おいしい。
それに味だけじゃなくて見た目も完璧。
スタンドは磨き抜かれた金色で、鳥籠モチーフ。ティーカップには小鳥の絵、ティーポットにはバラの木と雛たちが待つ巣が描かれている。レースのクロスが敷かれたテーブルの上には、ティーポットに描かれたものと同じピンクローズが散らされている。
都内だったらこれいくらするんだろう。
一万近くするんじゃないかな。
私は柔らかいクッションの置かれた椅子に腰を下ろす。
すかさずメイドさんが紅茶を淹れてくれる。
香り高いダージリン。もったいないのですぐには飲まない。まずはカップを手に取って、香りを楽しむ。
ああ、最高。
ぬん茶、お金ないし一緒に行く友達もいなかったから行ったことなかったけど、ずっと憧れはあったから、よくインスタで漁ってたな。
行ってみたいお店のリスト作りながら午後ティーをすすって自分を慰めてた。
いつか行こう、いつか行こうと思って、結局行けずじまいだったから、いまこうして好きなだけ楽しめるのが本当に嬉しい。
紅茶で喉を潤し、サンドイッチを手に取る。
ゆっくりと咀嚼しながら、しみじみと思う。
こんな生活がいつまでも続けばいいな、と。
もちろんすべてに満足がいっているわけではない。友だちはいないし、常に人目を気にしていなきゃいけないし、好きでもない人と結婚しなくちゃいけなかった。
私はお飾りだけど、それでも正妃なので、果たさなければならない義務がある。
夫は週に一度は私を夜伽に誘う。
生理でもない限り私はそれに応えなければならない(ちなみ生理はお付きの侍女に把握されているので、嘘をつくことはできない)。
向こうもこちらに気がないので、なんというかとても味気ない、最低限の、機械的なセックスをする羽目になる。
私は前世では経験がないままだったので、今生での夫が初めての相手になったわけだが、このままいけば最後の相手にもなってしまう。
身分的に自由恋愛がそもそも許されないとはいえ、別に女がいる男に抱かれ続けるというのは、なかなか苦痛だ。
いっそのことさっさと身ごもってしまいたいとさえ思う。
一人でも子供を産めば、とりあえず定期的な夜渡りからは解放されるはずだから。
しかしそういった諸々の面倒を差し引いても、やはりこの生活は手放しがたいと思う。
前世に未練はあるが、戻りたいとは思わない。
もしこれが前世の自分が見る長い夢だったら最悪だ。
仕事では他人の世話をして、プライベートでは家族の世話をする。
誰にも労われない、自分を労わることもできない日々。
思い返すたびにうんざりする。
どうして抜け出す努力をしなかったんだろう。
かといって、いまのこの生活はなにひとつ私の自身の手でつかんだものではないけどね。
でも遠慮はしない。
神様が与えてくれたのか、運命のいたずらかはわからないが、もらえるものはもらっておく。
したたかで図太くあること。これは前世からの学びであり、同時にお后様としての心構えでもある。
「あら、キャサリン様。ごきげんよう」
サンドイッチを終え、スコーンに取り掛かっていたところで、お友達を連れたキャサリン様がやってきた。
「ごきげんよう、エリザベス様。――――申し訳ありませんわ、お食事中のところ。たまたま姿が見えたものですから、ご挨拶に、と思いまして」
白々しい嘘だ。
キャサリン様は今日、お友達の貴婦人方と一緒にお茶会をするといっていた。場所は王宮内にあるサロン。庭園に用などないはずだ。
私がひとりでランチ中だと聞きつけてわざわざやってきたのだろう。
彼女はお友達と一緒に私を見物するのが大好きだから。
「キャサリン様のお気遣いには敵いませんわね。みなさんのお手を煩わせることのないよう、いつもこっそり息を潜めているつもりですのに」
せっかくの優雅なティータイムを邪魔されたので、つい嫌味っぽくなってしまう。
でも、たまにはいいだろう。
本当はまず、キャサリン様の後ろで挨拶の許しを待っている婦人たちに声をかけるべきなのだが、ぱっと見たところ今日の面子の中に立場上無視できない、高級貴族の女はいない。
ならいいだろう。
たまにはこういう、虫の居所が悪いところを見せておかないと、キャサリン様どころか取り巻きたちにまで舐められることになるから。
「息を潜めるだなんて、とんでもない!我が国随一の淑女たられるエリザベス様が、こと王宮内において、なにを遠慮なさることがあるのです?」
キャサリン様は私が取り巻きに声をかけないので、すこし焦っているようだ。
そりゃそうだろう。自身が主催の茶会で、賓客に恥をかかせたとなれば、当面のあいだ陰口をたたかれることになるのだから。
身分があろうがなかろうが、女の世界のそういうところは変らない。
側妃であるキャサリン様が目に見えたイジメを受けるようなことはないが、一度軽んじられてしまえば立場の回復は難しい。
お友達がたくさんのキャサリン様とて私と同じ。
舐められたらおしまいなのだ。
そのために虚勢を張り続けなければならないのだ。
「わたくしたちもこれからお茶をするんです。よろしければエリザベス様も、ご一緒にいかがですか?」
でも同じ虚勢をはるなら、私は一人のほうがいい。
友だちがいないのは寂しいけど、頼れるメイドさんはいるし、そもそも前世からおひとりさまには慣れっこだったし、正直ひとりのほうが落ち着く。
「嬉しいお誘いですけれど、いまから私の席を用意するのは大変でしょう」
私はそう答え、行く気はさらさらないと強調するために、レモンタルトをつまむ。
大人数でのお茶会、それも自分が中心なんて最悪だ(立場上そうなることしかないのだが)。
常に話題をふられ続ける。笑顔を絶やせない。お菓子をゆっくり味わう暇もない。
誰かと一対一のお茶なら、まだいいんだけどね。
正妃の私とサシでお茶ができるほどの人はなかなか見つからないし、いたとしても形式ばった、堅苦しいものになるのは必然。
皮肉だけれど、私が気兼ねなくお茶をできる対等な相手は、同じ妃のキャサリン様くらいなものだ。
いつもいがみ合ってるから、多少雑に扱っても許されるし、会話が続かなくても気にならない。
でもまあ、疲れそうだけど。
誘ったらキャサリン様は乗ってくれるだろう。そしてすこしでも私より優位に立とうと、あらゆる皮肉と自慢話をこさえてくるだろう。
それを相手にするのは、いささか、いやかなり面倒だ。
「エリザベス様のための席でしたらいつでもすぐにでもご用意できますわ」
キャサリン様は笑顔で誘いを続けるが、私が本当に乗ってくるとは思っていない。
ぼっちで付き合いの悪い私を茶会での話のタネにするために、こうして見世物にしているのだ。
「お心遣い感謝いたしますわ。ですが、今日はここが私の特等席ですの」
もう十分だろう。
私は取り巻きの方々ににっこりと笑みを向ける。
「皆さんも、わざわざご丁寧にありがとう。次は是非ご一緒させてくださいね」
いまさら声をかけられた取り巻きのご婦人たちは、媚びへつらうような愛想を我先にと口にする。
内心はおもしろくないだろうに、ご苦労なことだ。
「皆さんと一緒に、次の機会を楽しみにしておりますわ」
キャサリン様はそう言って軽く膝を折った。
「ええ。キャサリン様もお疲れのところ、わざわざありがとう」
いつにも増して化粧の濃いキャサリン様に、私は労いの言葉をかけてやる。
しかしキャサリン様はそれを負け惜しみととったらしく、勝ち誇ったように胸を張った。
「あら、エリザベス様には隠し事はできませんわね。――――そうなんです、ここのところ、寝つきが悪くて」
「それはいけないわ。寝不足は寿命を縮めますのよ」
「本当にお優しいのね。ですがわたくしは、これで寿命が縮むなら、女の誉だと思っていますの。男の武功と同じ。わたくしは長寿より名誉を選びたいんですの」
「勇ましいですわね」
「はしたないとお思い?でも陛下はわたくしのこういうところが好きだと仰ってくださいますわ」
「尊敬しますわ、キャサリン様のそういうところ」
キャサリン様の頬が引きつる。
煽ったつもりはない。これはけっこう本心だ。
私はキャサリン様に嫉妬なんてしていないし、むしろ面倒な夜伽の相手を引き受けてくれる分感謝さえしている。
お世継ぎもキャサリン様の方に恵まれればいいと思う。
この人にとっては王様は本当に愛する人で、妃という立場には私とは段違いのプライドを持っているから。
なにかと張り合ったり噛みついたりしてくるところはまあ、犬かなにかだと思えば許せるし。
私がお飾りを謳歌し続けるためにも、彼女にはがんばってもらわなくちゃいけないのだ。
「そろそろ行かないと、お茶が冷めてしまうんじゃなくて?」
「……そうですわね。ではこれで失礼させていただきますわ」
ごきげんよう、と私たちはにっこり笑顔を交わし、それぞれの茶会に戻る。
貴婦人たちが去ると、庭園にはもとの静けさが戻ってくる。
柔らかい真昼の日差し。心地よい風。鳥のさえずりと、葉ずれの音。
私は新しい紅茶を淹れてもらって、のんびり残りの菓子をつまむ。
嵐が去ったあとみたいだ。
まったくキャサリン様のあのエネルギーはどこから出てくるんだろう?
昨日も遅くまで王様のお相手をしていたみたいだけど、今日のあの飾り立てぶりからいって、朝はきちんと起きて身支度したんだろう。
えらい。
けど真似はしたくない。
絶対どこかで皺よせがくるから。
まだ二十代のうちはいいけど、三十代にはいると無理がきかなくなってくるものだ。
疲れは隠しようがないくらい肌にでるし、肌が痛むと途端に老け込んでみえる。
そして実際そうなってしまってからリカバリーしようと思っても難しいのだ。
睡眠時間の確保、徹底した日焼け予防、バランスのとれた食事、適度な運動。
いつまでもきれいな人というのは、規則正しい生活を若いうちから積み重ねているものだ。
まあなかには若いうちに無茶しながらいつまでもきれいな人もいるが、そういうのは特別恵まれた体質の人に限られるので参考にならない。
少なくとも私の実体験からいえば、若いうちの無茶は十年後に利息を求められる。そして令和の日本でもそれを払うことは大変難しく、膨大なお金と時間が必要だった。
化粧水代わりにオイルを塗るようなこの世界では、一度失った若さは二度と戻らないといっても過言ではないだろう。
まあ、先の心配をしたって仕方ない部分もあるけれど。
ここは戦争も革命もいつ起こったっておかしくない世界なのだ。(私がこの国に嫁いだのも休戦協定締結のためだったし)
いくら健康や美容に気を使ったところで、その成果が現れる前に首と胴体が切り離されてしまえば意味はない。
お飾りとはいえ私は王妃。
なにかあれば国王と一緒に責任をとらなくちゃならない。
国庫の負担になるほどの散財をしているつもりはないし、パンがないならケーキを食べれば?なんて向こう見ずな発言もしたことないけど、民の窮状を知らず贅沢をしていたと追及されれば、言い逃れのしようはない。
この異世界転生は私にとって都合の良いものだったけれど、決してご都合主義ではないから、甘い汁を吸った分の見返りを払えと迫られたら、私は従うしかないのだろう。
だから、のんびりセレブの丁寧な暮らしごっこに興じる私と、妃らしく生き急ぐキャサリン様、どちらの方が正しいかなんてわからないのだ。
まあキャサリン様の方が正しかったとして、あんなふうに生きるつもりはないけど。
それはキャサリン様とて同じだろう。
最後にとっておいた大好物のマカロンをちびちびと齧りながら、私は思う。
これから先のことはわからない。
でも前世みたいに、ほとんど打ち止めのキャリアとか年収とか、親の介護とか、憂鬱な将来に縛られて生きたくはない。
これから先、なにがあるかはわからない。
でもなにがあっても、自分を大切に生きようと思う。
前世の分まで自分を労わって、なるべく楽して生きていこう。
だって私はお飾りのお后様だから。
いつでもきれいに飾られていなくちゃね。
というわけで、邪魔も入ったけど、今日の唯一の予定だったおひとり様アフタヌーンパーティはおしまい。
今日はもうオフです。
居室に戻って寝着に着替えて、夜ご飯までベッドでごろごろします。
お供はこの前城下で仕入れてもらった、城下で流行の恋愛小説。
読むのに疲れたらうたた寝を挟んでもいい。
夕食のあとにはゆっくりお風呂。
今日はお風呂上りに全身マッサージもお願いしちゃおう。
なんて充実した一日。
最高だ。
どうかこんな生活が、一日でも長く続きますように!
そう願いながら、私は残った紅茶を飲み干した。




