表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

第2話「組長の初仕事」

1. 動かない歯車


組長就任から三日後。


雅は会議室の上座に座っていた。


黒崎が説明を続けている。縄張りの現状、収入源、人員配置。


雅は適当に頷いている。


「...組長、聞いていますか?」


「聞いてるよ〜♥」


嘘だった。


何も聞いていない。


だって、つまらないんだもん。


変わらない数字、変わらない報告。


...お父様は、こんな話を毎日聞いてたの?


退屈じゃなかったのかな。


「で、何の話だっけ〜?♥」


組員たちの顔が引きつる。


「縄張りの管理について、です」


黒崎が淡々と説明し直す。


「現在、我々の縄張りは都内の一角です。東雲会に比べれば小さいですが、先代が築いた基盤があります」


「ふ〜ん♥」


雅は欠伸をした。


「で〜?♥」


「縄張り内の店舗から、毎月の上納金をいただいています。その管理と、トラブル対応が主な仕事です」


「お金もらえるんだ〜♥ ラッキー♥」


大河内が低く唸った。


「...ラッキー、じゃねえんだよ...」


「あ〜、血圧おじさん、また怒ってる〜?♥」


雅が大河内を見る。


「朝から機嫌悪〜い♥ 寝不足〜?♥」


「...っ!」


「まあまあ♥ リラックスしてね〜♥」


雅はニヤニヤ笑っている。


橋本が間に入った。


「組長、大事な話なんですよ。縄張りの管理は、組の収入に直結しますから」


「わかってるよ〜♥」


雅は足を組み直した。


「でもさ〜、黒崎がやってくれるんでしょ〜?♥ 私は見てればいいじゃん♥」


「いえ、組長にも判断していただく場面があります」


黒崎が静かに言った。


「判断〜?♥」


「はい。例えば、上納金の額を変更するかどうか。トラブルが起きた時、どう対応するか。最終決定は組長です」


「え〜、めんどくさ〜い♥」


雅は頬杖をついた。


「黒崎が決めてよ〜♥ 私、そういうの苦手〜♥」


「できません」


黒崎がきっぱり言った。


「組長の決断は、組長にしかできません。それが組の掟です」


「掟、掟ってうるさ〜い♥」


雅がため息をつく。


「じゃあ、適当に決めるね〜♥ いいでしょ〜?♥」


「適当では困ります」


「え〜?♥」


「人の生活がかかっています。店舗のオーナーたち、その家族、従業員。上納金の額一つで、彼らの生活が変わります」


「知らないし〜♥」


雅は肩をすくめた。


「それ、私の問題じゃないでしょ〜?♥ あんたたちが考えてよ〜♥」


組員たちが黙り込む。


佐々木が小さく声を上げた。


「組長...俺たち、一生懸命やってます...」


「ふ〜ん♥ 頑張ってね〜♥」


雅は興味なさそうに言った。


神崎が爽やかな笑顔で言った。


「組長、そろそろ本題に入りましょう」


「本題〜?♥ まだ終わってなかったの〜?♥」


「はい。今日は、組長に判断していただきたいことがあります」


黒崎が資料を取り出した。


「縄張り内の居酒屋が、上納金の値下げを要求しています」


「値下げ〜?♥」


「はい。コロナ以降、売上が回復していないそうです。このままでは店を畳むしかない、と」


「ふ〜ん♥ で〜?♥」


「組長なら、どう思いますか?」


黒崎が静かに聞いた。


「え〜?♥」


雅は首を傾げた。


「どう思うって言われても〜♥ 知らないし〜♥」


「値下げを認めますか? それとも、認めませんか?」


「えっと〜...」


雅は考えるフリをした。


「...わかんない♥」


「わからない、ですか」


「だって、どっちでもいいじゃん〜?♥ 黒崎が決めてよ〜♥」


「組長の決断です」


黒崎の声は変わらない。


「私には決められません」


「え〜、めんどくさ〜い♥」


雅は頬杖をついた。


「じゃあ、値下げでいいよ〜♥ それで〜?♥」


「理由を教えてください」


「理由〜?♥」


「なぜ、値下げを認めるのですか」


「だって、店が潰れるって言ってるんでしょ〜?♥ 可哀想だし〜♥」


「それだけですか」


「それだけだよ〜♥ ダメ〜?♥」


黒崎が資料を見せた。


「この居酒屋は、実際には売上が回復しています。値下げの要求は、単に出費を減らしたいだけです」


「え〜?♥ 嘘ついてるの〜?♥」


「はい」


「じゃあ、値下げ却下〜♥」


雅があっさり言う。


「嘘つきは嫌い♥」


「...そうですか」


黒崎が頷いた。


「では、却下で」


「ね〜、黒崎♥」


雅がニヤリと笑う。


「最初から答え知ってたんでしょ〜?♥ 意地悪〜♥」


「テストです」


黒崎は無表情のまま答える。


「組長として、どう判断するか確認しました」


「テストとか、学校みた〜い♥」


雅が笑う。


「で、私、合格〜?♥」


「不合格です」


「え〜?♥」


「最初に『可哀想だから』で値下げを認めようとしました。判断の根拠がありません」


「だって〜...」


「感情で決めてはいけません。情報を集め、分析し、判断する。それが組長の仕事です」


情報を集める。分析する。判断する。


...私、情報は集めてるつもりだけど。


分析って、何?


判断って、何?


考えようとした。でも、頭が動かない。


...まあ、今は別に困ってないし。いいや。


雅はむくれた。


「黒崎、厳しすぎ〜♥」


「これが普通です」


大河内が鼻で笑った。


「ほら見ろ。やっぱりガキには無理なんだよ」


「うるさいな〜♥」


雅が大河内を見る。


「おじさんは何も考えてないし、何も発言してないのに〜♥ 黒崎が言うことに乗っかって、得意げに私を批判するだけだよね〜♥」


雅がニヤリと笑う。


「ザコっ♥」


「...テメェ...!」


「でもね〜、私、今回は失敗したけど〜♥」


雅は立ち上がった。


「次は間違えないから♥ 見てて〜♥」


「...は?」


「私、学習能力高いから〜♥ 一回言われたらわかるの♥」


雅はニヤリと笑った。


「じゃ、会議終わり〜?♥ 疲れた〜♥」


「はい。今日はここまでです」


黒崎が資料を片付ける。


「組長、午後は自由です」


「やった〜♥ じゃ、書斎に行ってくる〜♥」


雅は会議室を出ていった。


「お父様の本、読み返さないと〜♥」


扉が閉まる。


会議室に、重い空気が流れた。


「...ガキが」


大河内が吐き捨てる。


「でも、『次は間違えない』って言ってましたよね」


橋本が言う。


「学習能力が高い、って」


「口だけだろ」


「...かもしれませんけど」


黒崎が静かに言った。


「組長は、確かに学習能力が高い。先代もそうおっしゃっていました」


「...親父が?」


「はい。『雅は、一度言えばわかる子だ』と」


大河内が黙り込む。


「...俺は認めねえ。絶対に認めねえ」


「それは大河内さんの自由です」


黒崎は淡々と言った。


「ですが、組長は組長です。従ってください」


   ◇ ◇ ◇


2. 本の中の亡霊


雅は父の書斎に入った。


正確には、父が使っていた部屋。今は雅が引き継いでいる。


壁一面に本棚。歴史書、戦記物、戦略論がぎっしり詰まっている。


「お父様...」


雅は椅子に座った。


父がいつも座っていた椅子。革張りの、大きな椅子。


11歳の雅には少し大きすぎる。


「...ふふ」


でも、悪くない。


雅は本棚を見渡した。


「『戦争論』...『孫子』...『ガリア戦記』...」


父が読み聞かせてくれた本たち。


『雅、ハンニバルはな、5万で8万を倒したんだ』


『諸葛孔明は弱い軍を知恵で強くした』


『お前もいつか、こういう知恵を使う時が来る』


「お父様...」


雅は一冊の本を手に取った。


『ハンニバル戦記』。


幼い頃、父に読み聞かせてもらった本だ。


「カンナエの戦い...」


ページをめくる。


ハンニバルの軍勢5万。ローマ軍8万。


数で劣るハンニバルが、どうやって勝ったのか。


「包囲殲滅戦...」


中央を突破しようとするローマ軍を、両翼から包み込む。


逃げ場を塞ぎ、全滅させる。


「...でも、これ、どう使うの?」


雅は首を傾げた。


「今日の会議の、値下げの話とは関係ないよね...」


本を置いて、別の本を手に取る。


『三国志演義』。


諸葛孔明の章。


「赤壁の戦い...」


曹操の大軍を、孫権・劉備連合軍が打ち破った戦い。


火計。風向きを読み、火で敵船を焼き払った。


「これも、関係ないよね...」


雅はため息をついた。


「お父様は、何でこんな本読んでたの?」


戦争と、ヤクザの仕事は違う。


...違う、よね?


「...わかんない」


雅は椅子に深く座り直した。


「黒崎は、『感情で決めるな』って言ってた」


『情報を集め、分析し、判断する』


「でも、それって具体的にどうすればいいの?」


本には戦争のことしか書いてない。


居酒屋の上納金のことなんて、書いてない。


「...お父様」


雅は天井を見上げた。


「お父様なら、どう判断したの?」


答えは、ない。


「...まあ、いいや」


雅は立ち上がった。


...でも、頭の中ではまだ、居酒屋のことを考えていた。


「わかんないことは、黒崎に聞けばいいんだし♥」


本を棚に戻す。


「でも、ちょっと悔しいな〜」


黒崎に『不合格』と言われたのが。


「次は絶対、正解してやる♥」


雅はニヤリと笑った。


「見てて、お父様。私、ちゃんとやるから」


書斎を出る。


「...お腹空いた♥」


   ◇ ◇ ◇


3. 壁越しの真実


雅が書斎を出た後。


会議室では、組員たちが残っていた。


「...どう思う、黒崎」


大河内が低い声で聞いた。


「何がですか」


「あのガキだよ。本当に組長として、やっていけると思うか?」


黒崎は少し考えてから答えた。


「まだ、わかりません」


「わからない、だと?」


「組長は11歳です。今日の失敗は当然です。問題は、これから学べるかどうか」


「学べるわけねえだろ」


大河内が吐き捨てる。


「あのメスガキムーブ見ただろ。組員をザコ呼ばわり、名前も覚えない。ありゃ、人の上に立つ器じゃねえ」


「...そうかもしれません」


黒崎は認めた。


「ですが、先代は雅様を選びました。理由があるはずです」


「親父が間違ってたんじゃねえのか」


「それは言い過ぎです」


黒崎の声が少しだけ低くなった。


「先代は、決して間違いません」


「...ちっ」


大河内が舌打ちする。


橋本が言った。


「まあまあ、落ち着きましょうよ。まだ三日目ですよ。様子を見ましょう」


「様子を見てる間に、組が潰れるぞ」


「そうならないように、俺たちがいるんでしょう?」


橋本は穏やかに言った。


「黒崎さんが実務を仕切って、俺たちがサポートする。組長には、少しずつ学んでもらう。それでいいじゃないですか」


「...甘いんだよ、お前は」


「甘いですかね?」


橋本は笑った。


「俺は、親父さんを信じてるんですよ。親父さんが選んだんだから、きっと理由がある」


「...」


佐々木が小さく言った。


「俺も...組長を信じたいです」


「佐々木...」


「親父さんが選んだんですから。きっと、雅様には...何かあるんだと思います」


「何かって、何だよ」


大河内が聞く。


「...わかりません。でも、親父さんは、俺たちなんかより、ずっと人を見る目があったでしょう?」


「...」


大河内は何も言わなかった。


神崎が笑顔で言った。


「佐々木くんの言う通りですよ。僕たちは、様子を見ましょう」


「...お前は、やけに落ち着いてるな」


大河内が神崎を見る。


「だって、慌てても仕方ないでしょう?」


神崎は肩をすくめた。


「黒崎さんがいる限り、組は回ります。僕たちは、自分の仕事をするだけです」


「...ふん」


黒崎が立ち上がった。


「では、解散です。各自、仕事に戻ってください」


「あ、黒崎さん」


橋本が言った。


「今夜、組長に夜食を持っていきますけど、何か要望ありますか?」


「組長は好き嫌いが多い。野菜が嫌いです」


「野菜嫌いか...困ったな」


「ですが、出してください。食べるかどうかは組長次第ですが」


「了解です」


橋本は頷いた。


「じゃ、俺は厨房に行きますね」


組員たちが会議室を出ていく。


最後に残った黒崎は、轟の遺影を見つめていた。


「...先代」


小さく呟く。


「私は、あなたの遺言を守ります」


黒崎は深く頭を下げた。


「雅様を、必ず誰もが認める強い組長にしてみせます」


   ◇ ◇ ◇


4. 温かい沈黙


夜。


雅は自室で本を読んでいた。


『君主論』。マキャヴェリ。


父の書斎から持ってきた本だ。


「...ん〜」


難しい。


言葉が古くて、何を言ってるのかよくわからない。


「『君主は愛されるより恐れられるべき』...?」


首を傾げる。


「でも、お父様は愛されてたよね...?」


轟は組員全員から慕われていた。


恐れられていた、というより、愛されていた。


「...マキャヴェリ、間違ってるんじゃない?」


雅は本を閉じた。


「お父様みたいになればいいんだし♥ この本、いらないかも〜♥」


そう思った時。


コンコン。


扉がノックされた。


「組長、橋本です。夜食をお持ちしました」


「...」


雅は無視した。


「組長?」


「...聞こえてるよ〜♥」


雅は扉を見た。


「でも、いらない♥」


「え?」


「お腹空いてないし〜♥」


嘘だった。


本当はお腹が空いている。


でも、なんとなく。


橋本の夜食を受け取りたくなかった。


「そうですか...でも、少しだけでも食べてください」


「いらないって言ってるじゃん〜♥」


「組長、ちゃんと食べないと、体壊しますよ」


「うるさ〜い♥」


雅は布団に潜り込んだ。


「私は組長なの♥ 命令には従ってよね〜♥」


「...」


扉の向こうで、橋本のため息が聞こえた。


「わかりました。ここに置いておきますね。冷めないうちに食べてください」


「だから、いらないって〜♥」


「はいはい」


橋本の足音が遠ざかっていく。


雅は布団から顔を出した。


「...」


お腹が鳴る。


「...うるさいな〜」


雅は起き上がって、扉を開けた。


廊下に、お盆が置いてあった。


おにぎり二つと、味噌汁。


「...」


雅はお盆を持って、部屋に戻った。


「別に、食べたかったわけじゃないし〜♥」


おにぎりを一口食べる。


「...美味しい」


シャケのおにぎり。


橋本の手作りだ。


「...80点♥」


雅は小さく笑った。


味噌汁も飲む。


「...美味しい」


体が温まる。


「...まあ、感謝はしないけど♥」


雅は全部食べた。


空になったお盆を、廊下に出す。


「ごちそうさま〜♥」


小さく呟いた。


誰にも聞こえないように。


   ◇ ◇ ◇


5. 闇の中の種火


深夜。


雅は布団の中で、天井を見つめていた。


眠れない。


「...」


今日の会議のことを思い出す。


『不合格です』


黒崎の言葉。


「...悔しいな」


でも、仕方ない。


確かに、私は間違えた。


「感情で決めちゃダメ...」


情報を集めて、分析して、判断する。


「でも、どうやって?」


雅は寝返りを打った。


「お父様なら、どうしてたんだろ」


轟は、いつも的確な判断をしていた。


組員たちは、轟の言葉を信じて動いていた。


「私には、まだ無理かな...」


そう思った瞬間、雅は首を振った。


「いやいや♥ そんなの、ダサいし♥」


できないって諦めるのは、私らしくない。


「次は絶対、正解する♥」


雅は拳を握った。


「黒崎に、『合格』って言わせてやる♥」


そう決めると、少しだけ眠くなってきた。


「...おやすみ、お父様」


雅は目を閉じた。


明日もまた、組の仕事がある。


少しずつ、学んでいけばいい。


「だって私、学習能力高いから〜♥」


雅は小さく笑って、眠りについた。


   ◇ ◇ ◇


第2話 了


   ◇ ◇ ◇


次回予告


学校でもメスガキ全開の雅。クラスメイトから総スカンを食らい、先生に呼び出される。保護者として駆けつけた黒崎は、雅に何を伝えるのか。そして、帰り道で不良に絡まれた雅は――


第3話「学校でのメスガキ」に続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ