5. 雪の季・終(2月)21日①
――次に目を覚ました時、視界に入ったのは白い天井とカーテンだった。
「えっ……」
小さく戸惑いの声をあげながら身体を起こし、手元を確認する。繊細な長い指、すっと浮き出た筋。ルカの手だ。思わずふうっと息を吐いた。
一瞬混乱してしまった……似たような空間が"自分"の世界にもあったから。
「目が覚めましたか?」
仕切られたカーテンの向こうから大人の男の人の声が聞こえた。こちらが何か答えるよりも早く、「開けますよ」という穏やかな声掛けとともに白布がそっと引かれる。
姿を見せたのは白衣姿の若い男性だった。シルバーグレーの髪は癖っ毛で無造作でありながら不思議と清潔感がある。目元は隠さずに、深紫の瞳からは知性が感じられた。
どこか現実離れした雰囲気は少しだけルカに似ているようにも思う。じっと見つめているとふっと微笑みを浮かべた。
「ここはアストラ魔法学園の医務室です。私は校内医のアルバート。……ルカくん、君は学園に着いてすぐ、気を失うように眠ってしまったんですよ。」
「あ……。」
言われてみれば、船に乗ってしばらくしてからの記憶が曖昧だ。レオンが肩を貸して支えてくれたような気もする……頼りっぱなしになっちゃったな。
「まずは水を飲んで。それからゆっくり話しましょうか。」
「……はい。」
差し出されたコップを受け取って傾ける。冷たい水が身体を潤し、そこで初めて喉が渇いていたことを自覚した。
飲み終わるのを見届けた先生はコップを回収し、ベッド横に置かれた椅子に腰掛ける。
「……さて。体調はどうですか?多少は落ち着いたかと思うのですが。」
「はい……かなり楽になりました。」
実際、この世界で目覚めてから一番体調が良かった。頭も重くないし、すぐに目眩を起こしてしまいそうな危うさもない。熱も微熱くらいまで下がっているような感覚があった。
「それは良かった。でも、油断は禁物ですよ。」
真っ直ぐにこちらを見据えながら、説明は続く。
「睡眠不足に栄養不足、体内の魔力循環の乱れ……心身共にかなり負荷が掛かっていたようです。丸1日近く眠っていました。」
「………。」
「完全な回復には時間を要します。よく食べてよく眠り、適度に身体を動かして、魔力も上手に放出する。それが今の君に必要なことです。」
魔力以外に関してはまるで現代の健康指導みたい。どの世界でも生活習慣は大切なんだなと、頭の片隅で呑気にも考えてしまう。けれど問題はここからだ。
「あの、アルバート先生……。」
「はい。なんでしょう?」
柔らかく答える先生は落ち着き払っていて、何でも受け止めてくれそうな安心感があった。信頼できる大人、だと思う。それにここまで付き添ってくれたであろうレオンから、先に話が伝わっているような気もしていた。
「変に、思われるかもしれませんが……僕には、記憶がないんです。」
目覚めたら宿にいたこと。荷物にあった許可証により、自分の名前やアストラ魔法学園について知ったこと。偶然レオンと出会い、ここまで連れてきてもらったこと――。
こちらが話し終えるまで遮らずに聞いてくれた先生は、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「君を、ここまで連れてきた生徒……レオンくんも言っていました。すみません、様子を見ていたんですが。話してくれてありがとうございます。」
「………いえ。」
お礼を言われるとは思わなくて面食らう。向けられた眼差しは見守る大人のものだった。
「目覚めた当初は、さぞかし混乱したでしょう。でも君は、不安そうではあっても落ち着いていますね。ルカくんの精神はかなり大人のようだ。」
「そう、でしょうか……?」
なかなか鋭い指摘だ。中身が現代社会の荒波に呑まれて来たOLだと、まさかバレたりしていないよね?そもそも転生の概念なんて存在するのかな。
けれど幸いにも、アルバート先生が言いたいのはそういうことでは無さそうだった。
「私は精神の専門家ではありませんが……そうならざるを得なかった事情、というのがあるのかもしれません。無理に思い出す必要はないと考えています。」
「………。」
「入学許可証の話も聞きました。君はたしかにこの学園に入学する予定でしたね。これからどうするのかは、学園長と話すことになっています。」
学園長……許可証の文言にあった『ロゼッタ・ミラー』という名前を思い出す。どんな人なんだろう。
「ですので私から伝えられるのは、君がこれから生活していくうえで必要なことです。……それは結果的に、ルカくんの出自の話にも一部触れることになります。」
ルカの出自。その言葉に胸の内がドクンと波打った。彼の何かが特別であることはなんとなく感づいている。――知りたかった。ルカに関することはなんでも。
「知りたい……です。」
「そうですね。……君が眠っている間に、入学試験の時の書類も確認させてもらいました。」
そこからの先生との会話は、ルカを形作る大切な事柄に触れるものだった。




