17. 花の季・始(3月)16日①
翌朝、約束通りの時刻に図書館へと向かった。
アリシアもほぼ同じタイミングで来ていて、二人でビオラさんから作業の説明を受ける。とはいっても初日は清掃だけしてもらえればとのことだった。
「毎日のことだから、念入りにする必要はないからね。お手数だけど、外のベンチ周りも簡単にお願いできると助かるわ。あ、もしもベンチや備品が壊れそうだったりしたら、それも報告してね。」
「わかりました。」
手分けして掃除をしながら、ついでに机や椅子の配置も整えていく。訪れる生徒のマナーも良いのか目立った異常はなかった。
担当していた地下をざっと周り終え、最後にベンチがある外へ出る。昨日話をした場所だ。
そしてそこには、森の方を向いてしゃがみ込むアリシアの後ろ姿があった。
「アリシア?」
どうしたんだろう、大丈夫かな。体調でも悪いのかと思い慌てて駆け寄ろうとすると、座ったままそっと振り向く。そしてその足元に――何かいる?白い影が動いて目を凝らした。
「犬……?」
いや、狼のようにも見える。まだ小さな子供だ。彼女がそっと手を伸ばすと、控えめに尻尾を揺らして鼻先を寄せた。
自分も一歩近づこうとすると、幼い狼はピンと耳を立ててこちらを見る。それですぐに足を止めた。
警戒、されている。まるで敵か味方かを見定めるみたいに。
ルカは人間と魔族との半血。そして魔族は魔獣を従わせることができる。けれどこの狼は別だ。魔獣とはまた違った……もっと別の高潔な生き物。だからこその相手の反応なのだと、本能がそう告げていた。
「……大丈夫だよ。」
ふいに発されたアリシアの声が、張り詰めた空気を和らげてくれる。狼は柔らかな金色の瞳で彼女と自分とを交互に見て、それからふっと力を緩めた。
どうやら問題ないと判断されたらしい。今度はゆっくりと歩み寄っても身構えられなかった。横に並ぶと、アリシアが白い毛並みを撫でながら口を開く。
「森から……急に出てきたの。迷子なのかな。」
「どうだろう……。」
言葉では上手く説明できないけれど、やはり普通の狼とは何かが違う。そして近づいてみると弱っている様子だった。特に外傷は見当たらないけれど、呼吸が浅くてひどく疲れているような……。
「なんだか元気がなくて……。」
アリシアも同じように感じているらしい。
「お腹が空いている、とか……。」
言ってはみるもののそれが全てではないような気がした。アルバート先生に診てもらえれば、光の魔法で癒してくれるかもしれない。少なくとも自分の氷や闇で何かしてあげることは難しそうだ。
「私が、ちゃんと……魔法を使えたら良いんだけど。」
ぽつりと漏らすような呟きに、思わず視線を向ける。彼女は俯いていた。
そういえば、それぞれが使う魔法の話はしたことがなかったな。今の言い方から推測するに、癒し系統の光の魔力を持っているということなのか……かなり珍しいはず。
ローズピンクの瞳が静かにこちらも見上げた。
「私……属性は、癒しの光魔法なの。でも……上手く使えなくて。」
「………。」
咄嗟に返す言葉が見つからない。視線を落としたアリシアも、何か言葉を求めているわけではなさそうだった。ただ愛おしむように小さな生き物を撫で続ける。
何かしてあげたい。本来なら出来るかもしれない。そう思うから次の行動に迷っているようにも見えた。
――それならば。
「こういうのは、どう?」
「え?」
それはふっと頭に浮かんだ、前世の記憶。小さく息を吸ってから言った。
「痛いの痛いの、飛んでいけ……って。」
冗談交じりに、おまじないを教えるみたいに。声に出してから少し恥ずかしくなる。
アリシアはきょとんとして目を瞬かせ、それからふっと笑った。
「……ふふっ。それ、なあに?」
その問いはからかいではなくて、ほどけた気持ちの表れだ。それが分かるから小さく笑い返した。
「なんでもない。ただ……言葉の力も借りるのも、良いんじゃないかって。」
魔法が存在しない世界で、魔法をかけるように使われていたこの言葉。実際に効果が無かったとしても、その優しい願掛けは心を温めてくれる。
事情は分からないし、本人が望まない限り聞き出すつもりもない。でも望みと可能性をアリシア自身が抱いているのなら、そっと背中を押してあげたかった。
それにこの世界の魔法には、扱う人の感情や心の状態も強く影響する。それならばあながち外れてもいないのかも。それが伝わったのか、彼女は少し迷った後で控えめに言った。
「それ……試してみても、いいかな?」




