司祭(別視点)
「教皇アマシャ様、お久しぶりです」
「司祭フレイティス、久しぶりですね」
夕刻、アマシャ様が乗った馬車が到着した。普段から各国を回り、教団の施設を視察している行動的な教皇様だ。すでに七十を超えた女性だと言うのに、祖母と同じようにしっかりしている。
黒いフード付きのローブを羽織り一見地味だ。だが、特筆すべきはその容姿。白髪だが見た目は二十代前半でも通るだろう。その奇跡のような姿が教皇という地位を盤石なものにしていると言っても過言ではないほどだ。
しかし、なぜ急いで来たのだろうか。本来の予定である隣国の大聖堂を視察することなくここまで来たと言う。視察の順番は国にとってかなりデリケートな問題だ。あの国を優先するのかと難癖をつけられることもある。巫女たちを管理している教団に強く出られる国など僅かだが、かなり危険な行為だと言えるだろう。
この国にも影響がでている。歓迎式典などを行う予定だったのにそれが頓挫してしまった。急いで準備を進めているが、そのおかげでこの大聖堂も国もてんやわんやだ。このまま何もできなければ、来賓をもてなせない国と言われ他国から下に見られる。そういう都合もあるので慎重にやっていたのに。
「申し訳ありません。せっかくの予定を台無しにしてしまいましたね。後で教団から教皇の名を出した上で謝罪をしますので」
「そうしていただけると助かります。ただ――」
「理由を教えて欲しい、ですか?」
「はい。単なる思い付きで行動したとは思えません。何か深い事情があるかと」
アマシャ様はそれには答えずに背中側で手を組み、外が見える窓に近づいた。特に何も言ってくれないので、その横に並び、同じように窓越しに外を見る。大聖堂の三階から見る風景は良いものだが、今はもう夜。外は魔力で動く街灯のわずかな光と、賑わっている飲食店の明かりくらいしかない。ただ、アマシャ様はそんな景色を嬉しそうに見つめている。
「夜でもずいぶんと人が出歩いているようですね」
「え? ええ、ここ最近、かなり治安が良くなりまして」
「馬車の中から拝見しましたが、王都は以前よりも綺麗になったようですね」
「はい。なぜか鳩が落ちているごみを咥えてどこかへ持って行ってしまうとか」
「……そうですか。鳩が」
アマシャ様がさらに嬉しそうな顔をする。その顔の意味が分からない。アマシャ様はこの王都に特に関りはなく、思い入れもなかったはずだが。
「この国、アデルラルドはずいぶんと発展しているようですね。四十年ほど前から徐々に国力が上がり、ここ十年の辺境の発展には目を見張るものがあるとか」
「おかげさまで隣国からのちょっかいもこのところ減りましたね」
「なんでも新たなに巫女となったマリアさんが関与しているとか」
「……そうなのですか?」
しまった。反応が遅れた。国家機密ではないが、その情報は我が国ではかなり制限されている。密かにマリアさんに護衛が付くほどで、教団にも秘密にしていることなのに。どこからか教皇様に情報が洩れていると考えた方がいいだろう。
「情報が洩れているわけではありませんよ。こんなおばあちゃんにも多くの目と耳があるだけです。単に女神エスカリテ様の巫女がどんな女性なのか知りたくて調べただけですので、そう警戒しないでください」
「……何を言っているのか分かりませんが」
「ええ、それで構いません。ただ、聞きたいのですが、貴方から見てマリアさんはどのような巫女ですか?」
「素晴らしいの一言です。多くの巫女が神の力を自分の力と勘違いする中、マリアさんだけは違います。巫女の中で誰が一番かと言われたらマリアさんを推しますね」
「そうですか。素晴らしい巫女ですか。ならエスカリテ様もお喜びでしょうね」
私利私欲のためではなく、多くの人のために神の力を使う素晴らしい女性。彼女のおかげで助かった人は多くいる。そしてこの王都に活気をもたらした。王都では笑い声が増え、犯罪行為が減った。そのおかげか出歩く人が増え、教皇様を目当てに来ている観光客もこの国は素晴らしいと褒めるほどだ。
十年前に辺境で改革をもたらしたのはマリアさんだというのは、今なら間違いないと思える。子供のようにも、聡明な女性のようにも思える巫女。たとえエスカリテ様のお力がなかったとしても彼女は王都に良い影響を与えてくれただろう。最近は彼女と話せるのが楽しい。今日は神々のことで色々と話をしたが、真剣に耳を傾ける姿は大変好ましいと思えた。
同じ巫女なのにディアナ様には困ったものだ。マリアさんに戦神マックス様の傘下に入るように迫ったらしい。神々の歴史を確認して、どうするか決めるという行動だけでも聡明だと分かる。普通なら特に考えることもなくその要求を受けてしまうだろう。祖母が手放したくないというのもうなずけるな。
「アマシャ様、ディアナ様を止めることはできますか?」
「戦神様の傘下につく、配下になるように迫っている件ですね?」
「はい、マリアさんはあまり乗り気ではなさそうでしたので」
「心配しなくてもそうはならないでしょう。むしろ心配なのは戦神様でしょうね」
「どういうことでしょうか?」
「エスカリテ様を配下にするなど不可能だということです」
「不可能? それはなぜ?」
私の言葉にアマシャ様の目が細くなる。普段から穏やかで感情的になるところを誰も見たことがないというほどの方が、なぜか射貫くような視線をこちらに送っている。その視線だけで身体が動かず息苦しい。
「聞きたいですか?」
「な、何を……」
「戦神様がエスカリテ様を配下にできない理由、それを聞きたいですか?」
知りたいとは思うが、肯定も否定もできない。それくらいアマシャ様の威圧に呑まれている。気を抜いたら気絶してしまいそうだ。本当に七十を超えた人なのか。我が国の英雄と呼ばれているロディス様と同等かそれ以上だ。
「この話を聞けば神への信仰を失うかもしれません。それでも聞きたいですか?」
アマシャ様はずっと私を見ている。これは単なる好奇心で聞いていい話ではないということだ。神への信仰を懸けて聞け、そう言っている。そして生半可な気持ちでは教えられないと威圧している。
ふとマリアさんを思い出す。成人した女性という割には小さく童顔、そして栄養が足りていないような体つき。それでも多くの人のために色々とやっていることは知っている。ただのお茶菓子を美味しそうに食べ、残った分をお土産として渡しただけで満面の笑顔になる。にもかかわらず、補助金を育った孤児院へ全額送るほどの巫女。時代が時代なら聖女と呼ばれてもおかしくない女性。神々への信仰を失ったとしても、マリアさんなら信頼できる。私にはそれだけで十分だ。
そう思うと、身体が軽くなった気がした。大きく深呼吸をしてからアマシャ様を見つめる。
「聞かせてください。エスカリテ様はマリア様がお仕えする神。何かしら問題があるというなら、マリアさんをお守りするためにも私は知っておかなければなりません」
その言葉にアマシャ様は驚きの表情を見せるが、すぐに笑顔になった。
「素晴らしい。マリアさんのために聞きたいのですね」
「はい。エスカリテ様になにか問題があるのでしょうか?」
「いえいえ、そうではないのです。問題があるのはエスカリテ様以外の神でしてね」
「エスカリテ様以外の神……?」
「これは教皇だけが受け継ぐ話です。信じる信じないは自由ですが、誰にも言わないようにしてください」
「……わかりました」
「いいでしょう。司祭であれば初代教皇コト様を知っていますね?」
「はい、もちろんです。教団を作り上げた初代教皇コト様。アマシャ様を含め、歴代の教皇はコト様の血筋だとか」
「その通りです。そしてコト様は二千年前の勇者の妹であり、エスカリテ様の巫女でもありました」
「そうなのですか?」
「はい、そもそもこの教団はエスカリテ様のために作られたとも言われています」
「エスカリテ様のために? しかし、エスカリテ様の名前は最古の文献に残っている程度で、一切出てこないのですが」
「それはエスカリテ様を守るために仕方なかったと言います。当時のエスカリテ様は邪神扱いでしたからね」
「エスカリテ様が邪神……?」
邪神のことは今日マリアさんに教えたばかり。神々に反旗を翻し、多くの神を屠った神。まさかとは思うが、エスカリテ様は女神ではなく邪神? だが、そんなことがあるだろうか。マリアさんとエスカリテ様は多くの人のために頑張ってくれている。
「不思議そうな顔をしていますね」
「エスカリテ様が邪神とは到底信じられないのですが」
「もちろんです。神々がそう言っているだけで、エスカリテ様は邪神などではありません。それどころか我々を見守ってくれている唯一の神と言ってもいいでしょう」
エスカリテ様が私達を見守ってくれている唯一の神? なんだ? この話の行き着く先が全く分からない。聞くことに後悔はないが、私の中の何かが大きく変わってしまう気がする……いや、そんなことはどうでもいい。マリアさんのためにも知っておかなければ。
「アマシャ様、結論から教えてもらえますか」
「では結論から言いましょう。エスカリテ様以外の神は神に非ず。エスカリテ様だけが真の神なのです」
アマシャ様の言っている言葉は理解できる。だが、意味が分からない。今の神々は神に非ず、エスカリテ様だけが神。言っていることは単純なのに頭が理解を拒否している感じだ。
「それは本当のことなのですか?」
「本当のことです。そもそも神々の歴史が間違っているのです。二千年前に平和な世界を創ろうとした勇者と魔王を相打ちにさせたのは邪神と呼ばれたエスカリテ様ではなく、当時の神々。それに怒ったエスカリテ様が他の神を滅ぼしたのです」
「何ですって?」
「生き残ったのは偽物の神――天使と呼ばれる神の遣いでしかありません」
「偽物の神……天使……」
「天使たちはエスカリテ様が天界にどこかに閉じこもって眠ってしまったことををいいことに神を名乗っているだけの偽物です」
「理解が追い付かないのですが……」
「理解は後にしてまずは聞いてください。天使たちは真実を知る者たちやエスカリテ様を倒そうとしています。真の神になるために」
「真の神……」
「初代教皇コト様もその事実を知っていましたが、天使たちに恭順を示すことで騙しました。教団をつくり、天使たちを神と崇め、巫女を保護しつつ、エスカリテ様が邪神と呼ばれないような工作や、真実を知る者を守ったのです。いつかエスカリテ様が目覚め、自身と同じ巫女が現れることを願って」
「その巫女がマリアさん……」
「そうですね。二千年ぶりに現れたエスカリテ様の巫女。エスカリテ様が目を覚ましたのが先か、波長の合うマリアさんが巫女になったのが先かはわかりませんが、コト様の悲願であることは間違いないでしょうね」
神への信仰をなくす話か。まさにアマシャ様の言う通りだ。今の神々は神ではなく天使と呼ばれる偽物。そして真の神はエスカリテ様のみ。不思議なことだ。傲慢な巫女たちは偽物の指図で動き、マリアさんのような人が真の神の声を聞ける。信じられない話だが、それに納得できてしまう。
だが、コト様の悲願が達成されたのなら、教団は?
「教団はこれからどのように動くのですか?」
「残念ながら我々の教団は長い時の中でその意義が大きく変わりました。天使を騙すには味方も騙す必要がありましたので」
「確かに」
「エスカリテ様が目覚めたことが分かれば、天使たち勢力も大きく変わるでしょう」
「勢力が大きく変わる、ですか?」
「天使たちも一枚岩ではないということです。それは仕えていた神によって違うようですが、エスカリテ様を討伐しようと考えている天使だけではありません。エスカリテ様を唯一の神と崇め、その下で繁栄しようと考える天使もいます。今は勢力が弱いですが、その勢力が大きく変わる可能性は高いですね」
「なるほど」
「そこで私達のように真実を知る者はこれまで通りを続けつつ、エスカリテ様やマリアさんのために動きます」
「……そのために私に話を?」
「はい。神への信仰を捨ててでもマリアさんのために話を聞きたいと言ってくれたので信頼できると思いました」
「分かりました。それでは今から私はアマシャ様の仲間です……いえ、どちらかといえばマリアさんの味方ですね」
「それで構いません。これから多くの仲間を集います。そしていつの日か――鳩?」
窓の外にある狭いベランダに鳩が迷い込んできた。最近王都でよく見る鳩だが何かを咥えている? 紙?
「エスカリテ様は鳩がお好きだったと聞いています」
それを聞いてすぐに窓を開けた。鳩は逃げることもなく、口にくわえた紙をこちらに差し出す。それ手に取ると何かが書かれているようだった。
「何が書かれているのですか?」
「……マリアさんがディアナ様に呼び出されたようです。もしもの時は大聖堂に逃げるので助けて欲しいと」
「用意周到ですね。ですが、鳩は首を横に振っていますが」
「え?」
「大聖堂に逃げるのではないのですね?」
今度は鳩が首を縦に振った。
「どこへ逃げるのです?」
アマシャ様の言葉に鳩は首を動かしている。それはついて来いということだろうか?
「ついて行けばいいのですね?」
今度も鳩は首を縦に振る。
「すぐに行きましょう。案内をお願いします、神鳥様」
アマシャ様の言葉に、鳩の顔が「まかせろ」と言っているようだ。こうしてはいられない、すぐに向かおう。




