王の母(別視点)
一口飲むだけで胸が温かくなる。これを一緒に飲んだ時のあの人の笑った顔や照れた顔、それに震える手で指輪を私の指につけてくれたときの顔だって思い出せる。美化されているとは思うけれど、当時に感じた幸福感は間違いなく同じかそれ以上、もうこんなおばあちゃんなのに恥ずかしいわね。
あの人が慣れない仕事で稼いだお金、それを全部つぎ込んで買ってくれた指輪。決して安くはないけれど、高価というほどでもない。知り合いのドワーフに頼み込んで作ってもらったというこの指輪は、私にとってこの世界のすべての宝石より価値がある。
無くしたときは絶望したけれど、マリアさんが見つけてくれて本当に嬉しかった。その時から私はエスカリテ様の信者ね。立場上、特定の神様を信仰しているとはいえないけど、心の中では間違いなくエスカリテ様が一番。それに今日はマリアさんとエスカリテ様のおかげで思い出のお酒を飲むことができた。しかも貴重なレシピを提供してくれるなんて、気持ち的には国教にしたいわね。
でも、残念だわ。お酒を飲ませてもらった時の幸福感までは良かったけど、その後のマリアさんとの会話では絶望感しかなかった。いえ、羞恥ね。人生であれほど恥ずかしかったことはない。顔から火が出るという言葉は本当だったのね。お酒を飲んで酔ってしまったという言い訳は通用したかしら。
それにしても自分が情けない。辺境には何度も行った。それなのにあんな状況だったなんて。私がやっていたことなんて自己満足でしかなかったってことね。見ただけで理解はしていなかった。マリアさんが私の顔を知らないのも当然だわ。
「エルドンナ様、ログギスタン様がお見えになりました」
「入ってもらって」
部屋の外にいるメイドの声にそう答えると、部屋の中にいたメイドが扉が開く。そして私の子が入ってきた。歳は五十前後だったかしら。ずいぶんと白髪が多くなったけど、それだけ苦労しているのでしょう。それでもやり遂げなくてはならない。それがあの人と同じ王の務めなのだから。我が子だからと言って甘えることは許されないわ。
「母上、お呼びと聞いたのですが」
「忙しいところ悪いわね。どうしても伝えておかなければいけないことがあって」
「いえ、お気になさらずに。それで今回は何事でしょう?」
誰かの言葉に耳を傾けられる王。それは素晴らしいところだけど、この子は王として少し優しすぎる部分がある。優しさは必要だけれども、今回のことで少しは冷酷さも持って欲しいところね。
「母上? どうされました?」
「ああ、ごめんなさいね。実は今日、とても恥をかかされたの」
「なんですって? 一体誰に?」
「巫女のマリアさんよ」
「巫女のマリア……たしか父から貰った指輪を見つけてくれたとか」
「そう、そのマリアさん。今日はね、思い出のお酒まで作ってくださったの。本当に幸せだったわ」
「昨日、そんなことを言ってましたね。それで、その巫女に恥をかかされたとは? 母上に不敬なことを?」
「そんな話じゃないの。オルエン、調査結果を」
長年仕えている執事のオルエンが音もなく動いて我が子に調査結果を渡す。
「これは?」
「現在も調査中なのだけど、分かっている部分だけまとめたわ。読んで」
眉間にしわを寄せながらもその調査結果に目を通している。正直なところそれを見たとき立ち眩みを覚えたわ。我が子も同じように思って欲しいところだけど。
「辺境への支援金を着服……!?」
「最初は巧妙に隠されてはいるけれど、最近は大胆になっているようね」
「い、いや、ですが、今、辺境は――」
「そう、辺境は十年ほど前から収益が上がり、最近ではこの国でもっとも繁栄していると言っても過言ではないほどの場所よ。でも、支援金の着服は間違いなく行われている」
「なぜこんなことが……いえ、それよりも母上はどうやって気付いたのです?」
「マリアさんとの会話よ」
「巫女との会話ですか?」
「ええ、マリアさんは辺境の孤児院で育ったの。そして成人して王都へ洗礼を受けに。その後、巫女になって教会に住んでいると言っていたわ」
「辺境の孤児院……英雄ロディスの孤児院ですか?」
「その通りよ。そのマリアさんから面白い話を聞けたわ」
「面白い話?」
「孤児院が貧乏過ぎて毎日食べる物に困っていたらしいの」
「英雄の孤児院が……? 馬鹿な! なぜそんなことに!?」
「馬鹿は私や貴方よ。こんな状況に気付かずに王族を名乗るのは恥ずかしいと思いなさい」
我が子が悔しそうに資料に目を通している。そうよね、私もそんなことは間違いだと何度も見た。でも、現実は違う。マリアさんの言っていた通り、辺境への支援金は私達が出していたと思っていた金額の半分以下。これに気付かなかった文官たちは私達ともどもギロチン台送りでも文句は言えないわ。
英雄ロディスの孤児院。あそこは魔物たちと戦える人材を教育する場所でもある。当然、向き不向きもあるから全員がそうなる必要はないけれど、それでも戦力になる子を育てるために資金を投入していた。それがこの結果。マリアさんの話ではロディスも細かいことが苦手な上に支援金が減っても国が大変だからとお金が足りないとは言えなかったとか。しかも出入りの商人に騙されていたとも言っていた。表情を崩さずに聞いていたけど、奥歯を噛み過ぎていまだに歯が痛いわ。
「まだ調べたばかりで誰がどうかかわっているのか完全には分からないのだけど、分かりしだい――」
「極刑にします」
「……それでいいわ。あの場所は我が国にとって大事な場所。そこに不正を働いた以上、たとえどんな相手でもしかるべき処置をしなさい」
「もちろんです。ですが、その、今の辺境は……」
「支援金が年々減っているはずなのに、それ以上に繁栄しているのが不思議?」
「ええ。十年前、税収が上がったことに喜んだ覚えがあります。支援金や辺境へ送り出した者たちの努力が実を結んだのかと思っていたのですが」
「調査中ではあるのだけど、辺境の繁栄にはマリアさんが関わっているらしいわ」
「は? たしか最近になって成人したと聞きましたが。十年前のことですよ?」
「そうよ。でも、彼女が孤児院に来てから色々と変わったと言う情報を得られたわ。それが孤児院の周辺、さらには辺境全体へ良い影響を少しづつ与えていたみたい」
「いやいや、待ってください。最近巫女になって十年前と言ったら、八歳とかそこらでしょう。それなのに周囲に影響を与えるなんてありえません」
当然よね。私もその報告を聞いたときにはあり得ないと思った。でも、調べてみると間違いないのよね。私の前でガチガチに緊張している割にはそれなりに作法を身に付けている不思議な子。今思い出しても笑みがこぼれる。本当に孫のお嫁さんになって欲しいわ。
「母上?」
「あら、またごめんなさいね。ただ、調べた結果、マリアさんは孤児院で色々やっていたみたいなの。自給自足の確立、魔物の効率的な倒し方や集団戦の考案、治安の改善、さらには知識を得るために優秀な人たちに教わったりと、やったことは多岐に渡るみたい。今では孤児院に学びに来る人も多いし、この十年の間に孤児院から優秀な人材がかなり輩出されているわ」
「そんなことが」
「もちろんすぐに結果が出たわけじゃないと思うの。でも、その積み重ねが徐々に大きくなって辺境の繁栄に繋がった……私達よりもはるかに優秀ね」
「……その巫女は何者なんですか?」
「分からないわ。でも、亡くなった両親の身元ははっきりしているし、いい子よ。他の巫女たちのように傲慢ではなく、偉いのは神様であって、自分ではないと言うほどだもの」
「演技ではなく?」
「巫女への補助金を孤児院に全額送るような子よ。演技でそれができるなら大したものだわ」
「ほ、補助金を全額?」
「ええ。それに、オルエン、貴方、教会を見てきたのでしょう?」
執事のオルエンが珍しく笑顔になって頷いた。
「昨日、教会の中へ入らせてもらったのですが、素人が補強したような状況でして補助金が使われた形跡はまったくありませんでした」
「それは単に補助金を着服したのでは――」
「私の恩人よ。たとえ憶測でも言葉に気を付けなさい」
「……申し訳ありません、失言でした」
その言葉に頷く。たとえ王でも言っていい事と悪いことがある。むしろ王であるからには慎重に言わないといけない。王にとって言葉は白でも黒と言える強権。だからこそ失言などは王としての信用を無くす行為。まあ、今はここだけの話だからいいけれど。
執事のオルエンが「続けてもよろしいでしょうか」と言ったので頷いて促す。
「確かに状況的にはそう見えますが、孤児院に全額届いていることは確認済みです。そして教会の中は大変お綺麗でした。毎日時間をかけて掃除しているのでしょう。女神エスカリテ様が調べてくださったレシピのことといい、関係は良好のようです。それらの状況から考えると、おそらくはエスカリテ様公認で補助金を孤児院へ送ったのかと思われます」
「そういうことか」
「どうやって補助金を送ったのかは分かっていないけれど、全額送ったという報告を受けたときも恥ずかしい思いをしたわね。お前達が無能だから私がやってやったんだと言われた気持ちになったわ」
「実際に言われてはいないのですよね?」
「当たり前でしょう。マリアさんは私を貴族の夫人程度にしか思っていないわ」
「王族の顔を知らないと?」
「それこそ当たり前よ。何でもないように話していたけれど、孤児院ではその日に食べる物にも困り、いつ魔物に襲われるのかも分からない危険な場所に住んでいたのよ。冬は寒さで死にかけたとも言っていたわ。その日、その日で生きるのに必死な子が、何の役にも立っていない王族の顔など覚えるわけがありません」
そう言うと我が子は項垂れる。そうよね、私も同じ気持ちよ。
「それにね、今日は思い出のお酒を作ってもらったお礼をしたいと言ったらね、お礼なら孤児院へ送ってもらっていいですか、と言っていたわ。あの子、年齢の割には小さいし、身体がすごくガリガリなの。栄養が足りていないのね。それでも孤児院の孤児たち――いえ、家族に美味しいものを食べて欲しいと言っていた。お酒のお願いなんてつまらないことした自分が恥ずかしくて仕方ないわ」
「……私も同じ気持ちです」
「そうよね。でも、マリアさんは優しいだけじゃないわ。私達に大きな試練も課している」
「試練?」
「分かるでしょう? 今、辺境はこの国で一番繁栄している。しかもこちらからの支援金が減っているにも関わらずよ。すでに支援なんて必要としていないわ」
「それが一体……ああ、そういうことですか……なんてことだ……」
「そうよね、私も息が止まりそうになるほどだったわ」
「その気になれば独立できるということですね」
「そうね、食料の自給自足ができるようになっているようだし、隣接する周辺国ともそれなりにやり取りがある。魔物が多い危険な場所ではあるけれど、抵抗できるほどの戦力がある。それに資源、とくに鉱山では良質な鉱石が取れるわ。さらに私達からの支援がなくても問題ないとなれば独立できる。あと数年も経てば完全に準備が整うわね」
我が子の眉間にしわが寄って苦虫を噛み潰したような顔をしている。いいわね、できることなら私もそんな顔をしたいわ。
「マリアさんにお前達なんか必要ないと言われているのも同じよ。この国の王として何をすればいいのか言わなくても分かるわよね?」
「……すぐに対処します」
「ええ、お願い。私達は辺境から見限られる寸前。多くの民にとって、暮らしがよくなるなら王なんて誰でもいいということを理解しなくてはならないわ」
我が子の顔が厳しいものになった。そして頭を下げると部屋を出ていく。
隣国との問題に注力しすぎて国内の状況把握をおろそかにした結果ね。色々と問題はあるけれど、それなりにやってきた国がいつの間にか危険にさらされていた。危機感を持たないようならひっぱたいたけれどもあの顔なら大丈夫でしょう。
それにしても今日は色々あった。恥ずかしい思いはしたけれど、マリアさんのおかげで修復不可能な状況までには至ってない。どれほど感謝しても足りないわね。
当然、危険な状況を作ったのもマリアさんだけど、マリアさんはただ孤児院の子達のために色々やっていただけ。それは私達が何もしていなかったから、自分でやるしかなかったってこと。ああ、あの子は巫女でなくとも自分の価値を示した。すでに教団の所属ではあるけれど、どこかに取られるわけにはいかないわ。
「オルエン」
「はっ」
「マリアさんの望み通り孤児院へお礼の手配を。今年度の私への予算を全て送って」
「承知いたしました」
「あと気付かれないようにマリアさんに護衛を付けて」
「承知いたしました。ただ、マリア様は巫女ですので先に教団に話を通した方が良いかと」
「そうね、それはフレイに相談を。あの子があそこにいてくれて助かるわ」
「承知いたしました」
「他国からの巫女が来ているのもそうだけど、来月には教皇も来ます。今の状況を考えると何かしかけてくるかもしれないわ。影を使って調査させなさい」
「承知いたしました」
「以上よ」
そう言うと、オルエンやメイド達が部屋から姿を消した。王である我が子を差し置いてちょっと出しゃばりすぎかもしれないけれど情報は多い方がいい。
それにしてもマリアさんには頭が上がらないわね。辺境を救ってくれたのもそうだけど、巫女になってからの活躍もかなりのもの。最近王都に活気があるのもマリアさんのおかげだと言う話もあるし、昔いたという聖女様みたいね。
聖女という言葉でふと思い出した。部屋の中にある等身大の像へと視線を向ける。
名もなき聖女の像。二千年以上前の遺跡から発掘された魔力を帯びた像で、あの人がこれを手に入れたときからこの国は少しづつではあるけれど繁栄してきた。神の像とも言われているけど、詳細は分かっていない。聖女でも神様でもいい、マリアさんにいい事があるように祈っておきましょう。




