酒神とレシピ
『マリアちゃん、見つけてきたよー』
『お疲れ様です。早かったですね』
今は午後三時。夜までかかるかと思ったんだけど予想よりも早かった。
『意外と整理整頓されてて見つけやすかった。私の家では飲んだ後に散らかし放題で帰ったくせに……!』
『まあまあ、それもいい思い出ってことで』
『……マリアちゃんは昔の彼氏をいい思い出にできるの?』
『家を燃やしましょう』
『こわ! そこまでの悪い思い出じゃないから! よ、よく考えたらいい思い出かな! うん!』
おっといけない。私の暗黒面があふれ出した。でも、確かにエスカリテ様の言う通り。いい思い出なんかにしてたまるか。というか、すぐにでも完全消去したい。そういう魔法ってないかな。
でも、なんというか、エスカリテ様にも思い出ってあるんだ。言われてみたら当然なんだけど、存在が違うと人とは生活も色々と違うように感じて上手く想像できないや。もしかして私達とそんなにかわらないのかな。でも、他の神様との思い出か。今の神様たちとはなにか違うみたいだし、エスカリテ様は天界にたった一人で住んでいるってことだよね。たとえ神様でも寂しそうな気がする。
『マリアちゃん、聞いてる?』
『え? あ、すみません、なんですか?』
『レシピがあっても再現は難しいんじゃないって聞いたんだけど?』
『まあ、そうでしょうね。私もカクテルを作ったことはないので、専門の人に作ってもらいましょうか。それを執事さんに確認してもらいましょう』
『カクテルを作れる人を知ってるの?』
『カフェの店長さんが夜はバーをやっているとか聞いたことがありますので、頼んでみようかと』
『ああ、カップルを助けたときに保護してくれた元冒険者ね』
それもあるが、初めて王都に来たとき、私を追い剥ぎと間違えた人でもある。慰謝料を貰っていたか弱い女性なのに。それはともかく、元冒険者という肩書の人は結構いるんだよね。孤児院の先生もそうだし。冒険者がお年寄りになるまで生き残るって結構すごい事なんだけど、戦ったら強いのかな。
『でも、いいの?』
『なにがです?』
『このレシピで一儲けできるんじゃない? 誰かに教えちゃっていいのかなって』
『昔からあるカクテルなんですよね? なら王都ではともかく他の国では普通にあるレシピなのでは?』
『あー、そっか。完全に消滅するレシピなんてそうないもんね』
他の国では普通に飲まれている可能性が高い。前世みたいに調べれば欲しい情報がすぐに見つかるような環境じゃないし、最速の移動が馬とかそんな感じだから情報の伝達も遅い。この国では途絶えたってだけで、遠くの国では普通にありそう。情報を得るって難しいね。
『それじゃ他にもいくつかレシピがあるからそれも作ってもらおうよ』
『他にもレシピが?』
『うん、いっぱいあったから片っ端から持ってきた』
『え? いいんですか?』
『いいの、いいの。あの子の研究結果が埃をかぶってるよりも皆で楽しくお酒が飲めた方がいいじゃない。あの子もそんな風に言ってたし。それにすでに広まってるレシピかもしれないし、問題ないと思うよ』
『なるほど』
『それに女神の吐息って言うカクテルは、私が知っているのとは違うかもしれないし、いくつか作れば当たりがあるかも』
『それもそうですね』
私もお酒を楽しく飲めたらいいんだけど、前世はともかく今はまだ飲める歳じゃない。まあ、お酒なんて嗜好品みたいなところがあるから、お金を使ってまで飲もうとは思わないけどね。今は酒より肉だ。
さて、まだ日も高いからすぐにカフェに行ってレシピ通りに作ってもらおう。仕事料は教団に払ってもらうので領収書を切ってもらえばいいかな。
さっそくカフェに向かって大通りを歩いているんだけど、初めて王都に来たときよりもずいぶんと人の行き来が多いというか、活気が増えたような気がする。来月には教皇様という教団のトップが来るらしいし、そのせいで人が多いとは聞くけど、それ以上に皆が元気だ。というか、鳩が多くない? 建物の屋根の上に結構な鳩がいる。獲物を見逃さない狩人の目をしているけど。鳩なのに鷹なの?
『あれってエスカリテ様の鳩ですか?』
『あー、そうだね。調子に乗って召喚しすぎたかな……』
『それはいいんですけど、なんで捕食者のような目を?』
『ポップコーンを食べたいから落とし物を見つけようとしてるんじゃない?』
『大量にいるから気味が悪いとか思われてないですかね?』
『それは大丈夫だと思うよ。カラスを追っ払ったり、ゴミとかも拾ってるみたいだから王都の人には感謝されてるとか』
『ああ、だから道が綺麗なんですね……なんでゴミ拾いを?』
『落とし物だと思って拾ってるんだと思う。どんなものに価値があるのかまでは分かっていないみたいで、キラキラする物以外も片っ端から拾って勉強中っぽいよ』
『勤勉な鳩たちですね』
なるほど、キラキラする物に価値があるのは分かったけど、それ以外は分からないか。お財布とかも鳩から見たらただのゴミと変わらないからね。でも、私がお財布に対してポップコーンの対価を渡したから何でもいいから拾っていると。お掃除しているならちゃんと対価を払うべきかな。自主的に掃除をしているわけじゃないけど、結果的にそうだし。
まあ、それは後で考えよう。まずはカクテルだ。
カフェに入るとコーヒーのいい香りがした。センスが良さげな家具に座り心地がよさそうな椅子、こういう場所ってなんだか時間の流れが違うよね。ゆったりとした時間の中でコーヒーを片手に小説を読む……したことないけど、見た目はカッコ良さそう。私は形から入る派です。
昼間はカフェなんだけど、夜になるとお酒を出すバーに変わる。雰囲気もちょっと変わり、ハードボイルドが似合う店になるとか。怪しげな雰囲気は危険な香りがしそう。ちょっと憧れちゃうよね。それはともかく今の時間帯はお客さんがいないみたいだ。お昼を過ぎたから皆はお仕事中かな。
「おや、お嬢ちゃんは……」
なんてこったい。ガラスのコップを拭く姿が様になり過ぎてちょっとくらっとした。課金したい。でも、そんなことはできないのでしっかり猫をかぶって交渉だ。
「こんにちは、おじさま」
「いらっしゃい。今日はどんな面倒事かな?」
くう、笑顔がまぶしい。言われていることはかなり遺憾だけど、この笑顔なら許せる。それにこの間はカップルさんたちを保護してくれたり、ギルドに申し出てくれたりと、面倒事でしか関わっていないことは確かだ。しかも今回も面倒事だからね。これまでお世話になった分までお金を払おう。教団が。
そんなわけで単刀直入にカクテルを作って欲しい話をする。一応、依頼者の情報は伏せておく。いまだに執事さんのご主人が誰なのかしらないし、守秘義務みたいなものだ。
「女神の吐息かい? 今回もかなりの面倒事を持ち込んでくれたね」
「そうなんですか?」
「知っている人は少ないが、女神の吐息はかつて酒神様が人に教えたカクテルなんだよ。それを作れるのは神様に認められたってことだから、教わった人たちも自分が認めた相手にしか継承せず、そのレシピは秘匿され門外不出となったんだ。そしてごくわずかな人たちにしか継承されなかったので、今では誰にも作れないと言われているんだ。もちろん、私も作り方は知らないよ」
「レシピはあります。なのでお酒の専門家でもあるおじさまに作ってもらおうかと」
なんだろう。おじさまが固まってしまった。目の前で手を振ったら気付いてくれたけど。
「レシピを知っている……?」
「はい、エスカリテ様に調べてもらいまして」
「あ、ああ、そうだね、巫女様なら神様に聞けば分かるね……でも、おかしいな、酒神イシュラグ様は二度と教えないと巫女様を通して宣言したはずなんだが」
「酒神イシュラグ様?」
「お酒の神様だよ。お酒を提供する店の店主ならこの神様を信仰することが多いね。私もそうだったよ、今はエスカリテ様を信仰しているけどね」
「それはありがとうございます。エスカリテ様も喜んでいます。でも、そうだったんですか、酒神イシュラグ様か……」
一応エスカリテ様に確認してみよう。
『エスカリテ様が向かった家って酒神イシュラグ様の家ですか?』
『違うわね。私が知っている女神の名前はギザリア。天界にある家もギザリアが住んでた家だし』
『……今の神様ってなんなんでしょうね?』
『さあ? でも、何でもいいんじゃない? ほら、あれよ、触らぬ神にってやつ』
『それもそうですね』
司祭様に聞いたけど、この国は巫女が少ないとかで他の神様にかかわることはあまりないらしい。今は隣国から巫女が来ているけど、それはかなりレアケースらしいし。でも、酒神様がもう教えないって言ったのを勝手に教えるのは問題なのかな?
「女神の吐息を作っては駄目って話なんですか?」
「いや、そんなことはないよ。作り方を教えないと言っただけで、再現自体は推奨している。お前達だけで作ってみろって激励みたいなものだと言われているね」
「酒神様以外の神様に教えてもらったレシピで作るのは問題でしょうか?」
「それはないよ。神様は究極の自由。何をしても許されるってことらしいからね」
それは確かに。神様が他の神様がすることを咎めることはないと聞いたことがある。それならいいかな。もし何か言われたら司祭様に泣きつこう。権威は使ってなんぼだ。
よし、それじゃ早速レシピを伝えて作ってもらおう。でも、よく考えたら特殊な材料が必要なのかも。先にレシピを確認しておけばよかったかな。




