第5話:「動き出す影と風」
◆ 静かな始動
黎明帝国の旗が翻る新都の南門近く。
その城壁の内側に設けられた戦術指令所では、今、新たな作戦の準備が密やかに始まっていた。
蓮は地図を前にし、周囲に立つ仲間たちに視線を送る。
「まず、南方の交易路を確保する。王国と帝国の間に横たわるこの“灰の峡谷地帯”は、軍事的にも政治的にも絶対に押さえなきゃならない要衝だ」
蓮の言葉に、ミストが頷く。
「ここを制圧すれば、王国との安定的な補給路を確保できる。周辺にはまだ“旧勢力”の残党が点在しているけど、最新のデータでは、その数は多くない」
「ただし油断は禁物だよ」
と、カイエンが身を乗り出して地図を指差す。
「この辺り……“風の異族”の気配がある。地脈の流れが乱れているし、空気が不自然に重い。彼らが動き出す前に、手を打つべきだ」
その言葉に、ネフェリスが首をかしげながら口を開いた。
「風の異族って、あの……空を流れるように消えたり現れたりする、あれ?」
「そう。正式には《ソラリード》。空気と一体化して存在を半ば無効化する、極めて特殊な種族だ」
と、イリスが説明を補足する。
「彼らはこの世界の“情報層”そのものに干渉してくる。物理攻撃が通用しにくいどころか、“存在認識”が曖昧になる……厄介な相手よ」
蓮はしばし思案し、頷いた。
「ならば、先制する。戦闘ではなく、対話の余地を残して――」
彼の判断に、皆が頷く。
蓮が築こうとしている国家は、ただ力で押し切るだけではない。
共存と秩序、その理念に基づいた選択が、今後のすべてを左右する。
◆ 襲来、風の無音
数日後。
蓮たちは小規模の偵察部隊を引き連れ、灰の峡谷へと向かっていた。
地形は荒く、強風が常に吹き荒れている。
足場の悪さに加え、音が風にかき消されるため、意思疎通にも支障をきたす環境だ。
「このあたり……妙だ」
シャムが低くつぶやいた。
彼女の槍が、無意識に微細な振動を帯びている。
「……風の流れが、逆転している?」
リーナが空を仰ぎ、警戒の構えを取る。
その瞬間――
突如として辺り一帯が“無音”になった。
鳥の声も、風のうなりも、仲間たちの足音さえも――完全に遮断される。
「――来た!」
ミストが声を発したのは、テレパス式の魔導通信だった。
霧のように漂う気配。空間がきしみ、砂塵が揺れる。
その中心に、現れたのは――
風をまとった一人の少年の姿。
銀白の髪がゆらめき、淡く光る目が蓮を見つめる。
「この地は、我ら《ソラリード》の領域。立ち入りは、即ち侵略」
少年は静かにそう告げた。
「待ってくれ。俺たちは、ここを奪うために来たんじゃない」
蓮が声を張る。
「お前たちに“共にこの地を守る意志”があるなら、力を合わせたい。俺たちは“新しい秩序”を築こうとしている」
しばし、沈黙が流れる。
風の少年はゆっくりと首をかしげた。
「君は……“この世界の者”じゃない」
「……ああ。異世界から来た。だが、今はこの世界の一員として、未来を築こうとしてる」
「ならば……試す」
少年が手をかざした瞬間、空気が凍りつくように停滞した。
無数の刃のような風が、蓮たちに襲いかかる――!
◆ 混戦、そして共鳴
だが、その瞬間。
蓮は無限アイテムボックスから、一本の小太刀を取り出した。
「《鏡打の霞刃〈シャドウ・ヘイズ〉》。風を視るための、霧の目だ」
風の軌跡を“視る”力。
彼はわずかな気配を見極めて、回避と指示を同時に行う。
「ミスト、風の渦を解析しろ! ネフェリス、歌を――“風を鎮める旋律”を!」
「了解! 風の共鳴波、解析中!」
「了解だよ~っ!」
ネフェリスの歌が響くと、少しずつ風が穏やかになり始めた。
そこに割って入ったのは、風の少年。
「その歌は……風と通じ合う旋律。まさか、“風語の記憶”を持っているのか」
「えへへ、昔拾った古い歌だけど、風さんとは友達になれる気がしてたの」
少年は、その言葉に目を見開いた。
「……通じ合える、のか。ならば、我らにも居場所があるのか……この世界に」
蓮は、静かに頷いた。
「あるさ。君たちの居場所は、俺たちが創る」
そして、風は、沈黙を破ってそよいだ。
少年は名乗った。
「僕は《ヴァレイン》。風の記録者であり、孤独なる境界者。……君に、賭けてみるよ」
◆ 拠点構築、風と共に
数日後――
灰の峡谷に、新たな砦が築かれ始めていた。
《風霊庁》。
ヴァレインたちソラリードが管理を担い、帝国との連絡と防衛を両立する特殊部隊として機能することになる。
蓮は、砦の上から風を感じながらつぶやいた。
「これが、“共に創る”ということか」
隣に立つイリスが頷いた。
「あなたの選択が、風すらも導いた。これが世界の再構築。
……ただの改革じゃない。これは“共鳴”による進化よ」
「なら、もっと進もう。この世界が、あらゆる種族にとって“居場所”になるまで」
夜明けが近い。
風は、かつてないほど穏やかに吹いていた。