第3話:「暁の炎と氷の王宮」
黎明帝国の使節団が神聖都市を出発したのは、主祭礼の三日後の夜明けだった。朝霧が立ち込める街路には、未だ祭礼の余韻を感じさせる灯が揺れており、神殿前には幾人もの信徒が、蓮に手を振って別れを惜しんでいた。
「王国民の一部には、確かに“変化”が芽生えている。それだけは間違いないわね」
イリスが微笑む横で、ミストは馬車の揺れに合わせて手元のデバイスを操作していた。
「ただ、王都は別です。首都は政治と軍事、宗教の三重の派閥が蠢く“王国の中枢”。まともな対話は期待できません」
「だからこそ、まずは“揺さぶり”をかける」
蓮は馬車の窓越しに遠ざかる神殿を見つめながらつぶやいた。
「ここまでの行程で得た最大の収穫は、あの祭礼に王都の使者も立ち会っていたってことだ。今ごろは摂政評議会の中で“意見の衝突”が起きてるだろう」
「わざと王都からの返答を保留にしていた可能性もあるわね。“我々が主導権を握っている”という政治的姿勢を示すために」
リーナの分析に、蓮は静かにうなずく。
「でも、それも“こちらに交渉の余地がある”ってことだ」
◆
王都。
古代の氷河地帯の中に築かれた、壮麗にして冷厳なる王国の首都は、その威容を遠くからでも感じさせた。氷と白銀の城壁が連なる姿は、まるで巨大な氷竜の背中のようであり、同時にその内部で何かが蠢いている気配すら漂わせていた。
蓮たちの使節団が城門前に到着すると、即座に十数名の武装騎士団が展開され、荘厳かつ形式的な検閲が始まった。
出迎えたのは、摂政評議会筆頭にして王国軍最高司令官――ヴァルデリオ=シュタイン将軍。
黒銀の鎧をまとい、眼光鋭い将軍は、無言のまま蓮と視線を交わした。
――その眼差しは、氷のように冷たく、そして鋼のように重い。
「……帝国陛下の王都来訪を歓迎する」
口にした言葉に敵意は含まれていなかったが、そこに“敬意”の欠片もないことは明白だった。
「こちらこそ、王国の受け入れに感謝する。王の名代として、貴殿に礼を」
蓮は微笑を浮かべ、柔らかく返した。
その応酬は、まさに“政治の剣戟”だった。
◆
使節団は、王城内の外郭宮へと案内された。
本来、外国の王が滞在するには内郭の迎賓殿が用意されるのが通例である。しかし蓮たちが通されたのは、王宮でも古い区画、いわば“政庁と無関係な”場所だった。
――これは明らかな「隔離」だった。
「まぁ、予想通りとはいえ、分かりやすい扱いね」
リーナが皮肉をこぼす。
「相手がどう出るか探ってるだけ。警戒と同時に、我々を試しているんだろうな」
カイエンが腕を組んで窓の外を見やった。
その視線の先には、王城の中央区画、氷のように透き通った塔がそびえ立っていた。
「……あそこに“王女”がいるのか?」
蓮の問いに、ミストがうなずく。
「王国には“唯一の王位継承者”がいます。王女アシュリー=グラディス・アルダ。だが、政治の場に出ることはほとんどなく、病弱とされている」
「病弱ね……ふぅん。それもどこまで本当かは怪しいものよ」
イリスは神霊の視点を使いながら、城内の“空白の領域”を把握していた。
「確かに、王女がいるとされる塔は“神気”で封じられてるわ。一般の魔術師には干渉できない領域ね」
「その塔に踏み込むのは、現段階ではリスクが高すぎる」
蓮は結論を出した。
「なら、まずは“正面”から攻める。俺たちの存在を、王都全体に知らしめよう」
◆
翌日、蓮は王城の正門広場にて、帝国の“技術展示”を実施した。
精霊融合式動力車両、魔導光通信、そして《無限アイテムボックス》による物流圧縮術。
王国市民たちは目を見張り、貴族たちは驚きと警戒を交錯させた。
「無限アイテムボックス……あれが噂の……!」
「物資を“消費せずに保存”し、空間すら支配する術理……なんという、異端!」
だが、それを見て最も表情を動かしたのは、ヴァルデリオ将軍だった。
鋭い眼差しの奥に、確かな“戦略的関心”が芽生え始めていた。
「……帝国とは、単なる異世界の新興勢力ではない。技術、魔術、軍事、すべてにおいて“体系”を持っている」
将軍はその夜、摂政評議会にて発言した。
「放置すれば、王国は確実に時代に取り残される。だが、我らが手を取れば――王国の未来は再び動き出すかもしれない」
◆
その夜、蓮の元を一人の使者が訪れた。
氷の塔より届いた、青き封蝋の手紙。
そこには、たった一言だけが記されていた。
「“私に会いに来てください。――アシュリー”」