第1話:「暁を運ぶ使節団」
帝国歴元年・第7月・第一日。
暁光に包まれた帝都ノヴァリアの中央広場には、早朝にもかかわらず多くの民衆が集まっていた。これから行われるのは、新生黎明帝国による“初の対外外交使節団”の出発式。その中心に立つのは、若き帝王――蓮=アークライトだった。
純白の儀礼衣装を身にまとい、皇帝の証である銀の印章剣〈クラウン・レイピア〉を腰に佩くその姿は、異世界から来た少年とは思えぬ威厳を放っている。背後には、副宰相のイリスをはじめ、護衛を兼ねる選抜団員たちが整列していた。
正面の演壇に立った蓮は、周囲に広がる視線を静かに受け止めると、澄んだ声で語りはじめた。
「この日を、我々は忘れることはないだろう。黎明帝国が、世界へと歩みを進める最初の一歩――それが今日だ」
集まった人々は、誰もが息をのんで耳を傾けていた。
「我々の国は、戦いと再生の中から生まれた。神々の記録と、それを超えた選択。星霊の導きと、人々の意思。そして、ここにいるすべての仲間たちの力によって、この国は築かれた」
蓮の声は、まるでその言葉に力を宿すように、広場全体へと染み渡っていく。
「だが、我々はまだ独り立ちしたわけではない。この世界には多くの国があり、それぞれの文化、歴史、信仰を持っている。帝国が存続し、繁栄していくためには、他国と手を取り合い、ときには衝突を超えて理解し合わなければならない」
蓮は一拍置き、拳を胸に当てた。
「だからこそ、我々は“使節団”を送り出す。これは、単なる外交ではない。信頼と、未来への種をまく旅だ。すべての者が、共に生きる道を模索するための一歩――我々の国が、世界の中で何者であるかを示すための第一歩なのだ」
静寂を破るように、拍手が起こる。それは一人、また一人と連なり、やがて熱を帯びた万雷の喝采となった。
「……ありがとう。必ず、この旅を“意味あるもの”にして帰ってくる」
蓮は深く一礼し、静かに演壇を降りた。
◆
「……どう? 緊張は解けた?」
馬車の揺れに身を任せながら、イリスが柔らかく問いかけてきた。
「うん。正直、あの広場に立ったときは、逃げたくなったけどな」
蓮は苦笑しながら答える。その表情は、演壇上での威厳ある姿とはまた違った、年相応の柔らかさに満ちていた。
「でも、あなたの声は届いていたよ。人々の目が希望に変わっていったもの」
「だったら……いいけどな」
使節団は、総勢12名。護衛、書記官、通訳、戦術顧問に外交官。彼らを乗せた魔導馬車5台は、街道を南方へと進んでいた。
第一の目的地――グラン・アルダ王国。大陸南西に広がる緑豊かな農業国家であり、かつての諸侯連合の盟主的な存在でもある。
かつて星霊神戦で失われた多くの文明が眠る地でもあり、黎明帝国としては、過去の神話遺産を共有できる可能性を見込んでいた。
◆
その頃、別の馬車では、シャムとリーナが並んで座っていた。
「……俺が行けないってのは、やっぱり納得いかねえな」
腕を組みながら不満げなシャムに、リーナは少し笑いながら答えた。
「貴方が行くと外交じゃなくて戦争になりそうって判断でしょうね」
「おい」
「冗談よ。でも、陛下が最も信頼してるのは貴方。だからこそ、帝都を任せたんだと思う」
「……そっか。ま、信用されるってのも悪くないな」
窓の外を見ながら、シャムはふと口にした。
「……リーナ。もし戦いのない未来があるなら、俺たち、何をして生きていくんだろうな」
その問いに、リーナはゆっくりと答えた。
「私たちが何者であっても……平和な時代になったら、それにふさわしい生き方を見つけるのがきっと“人間”ってものよ」
「……そうか。なら、その時が来るまで俺は剣を握ってるさ」
◆
一方、使節団の後方では、ミストとカイエンが通信晶石の調整をしていた。
「……グラン・アルダとの距離だと、リアルタイム送信は難しいか」
「だが、記録の送信と状態報告程度なら可能だ。帝都との連絡網は維持できる」
「やっぱり君は頼りになるね、カイエン」
ミストが淡く笑うと、カイエンは照れたように目をそらした。
その様子を見ていたネフェリスが、突然歌いだした。
♪ カイエンくーんは〜 いつも照れてる〜
♪ ミストの前で〜 赤くなる〜〜♪
「やめろ、ネフェリス! 本当に歌にするな!」
「だって、見てるだけで面白いんだもん!」
その笑い声が、揺れる馬車の中に温かく響いた。
◆
そしてその夜。使節団は街道沿いの宿場町に一泊することになった。
蓮とイリスは、一室で地図を広げながら、明日の行程を確認していた。
「……ここから王都セレナリアまでは、あと三日。途中、国境検問と、アルダ教団の巡礼地がある」
「アルダ教団……」
イリスがわずかに眉をひそめる。
グラン・アルダ王国は、主神アルダを信仰する宗教国家でもあり、その権威は王権と並ぶ。つまり、外交交渉には“宗教的な同意”も必要となる可能性があった。
「心配か?」
「……いいえ。でも、私の出自や神性が問題視されるなら、慎重に動いたほうがいいかもしれない」
「それなら俺が前に出るさ。お前は俺の大事な人で、副宰相だ。それ以上でもそれ以下でもない」
蓮の言葉に、イリスの頬がほんのり染まる。
「……うん。ありがとう」
二人は、しばし静かな時間を共有する。
だが、その安らぎは、唐突に打ち破られることとなった。
◆
夜明け前、使節団の周囲で魔力振動が感知された。
「これは……転移魔術? 違う、空間跳躍だ!」
ミストの声が響くと同時に、宿の外に黒い影が出現する。
「伏兵!? このタイミングで!?」
カイエンが結界を張り、ネフェリスが歌で仲間を鼓舞する。
蓮とイリスも、すでに戦闘態勢に入っていた。
敵は、完全武装の傭兵部隊――しかし、明らかに“ただの傭兵”ではなかった。
「この装備……帝国技術を模倣している!?」
イリスの声に、蓮の眉がぴくりと動いた。
「まさか……俺たちの情報が漏れてる?」
戦闘は短時間で制圧されたが、敵の背後関係は明らかではなかった。
残された傭兵たちは口を閉ざし、なにも語ろうとしない。
だが、蓮は確信した。
この使節団の旅路は、“平穏な外交”などでは終わらない。
――世界は、黎明帝国を“異物”として認識し始めている。
新たな物語が、音を立てて動き出していた。