第9話:「交渉と戦慄」
《蒼渦の港町ルメナ》での調律神〈アクアリウス〉との邂逅から数日が経過した。
帝国本土への帰還途中、蓮たちは辺境警備砦〈ガルドライン〉に立ち寄っていた。この砦は、帝国と東方諸国との交易路を抑える重要拠点であり、かつては盗賊や亡命貴族の隠れ蓑でもあった場所だ。
「しかし……ここまで静かだと逆に不気味だな」
シャムが砦の見張り塔から周囲を見渡しながら唸る。
「不自然よね。交易隊や監視班の動きがほとんどないわ」
リーナも同じく眉をひそめ、隣で手元の魔導端末に情報を書き込んでいた。
砦中央にある司令室では、蓮とイリス、そしてミスト、ネフェリス、カイエン、ノアが集まっていた。
「交易ルート周辺の監視魔法陣が、一部ダウンしているようです。外部からの干渉……または内部妨害の可能性が高いですね」
ミストの報告に、蓮は無限アイテムボックスから一枚の古代式結界札を取り出した。
「これを砦全域に貼る。既存の監視陣とは別系統だから、突破されにくいはずだ」
「相変わらず、便利なアイテムを無限に持ってるわね」
イリスが少し呆れたように笑う。
蓮は苦笑しながらも、結界札を手渡しつつ言った。
「便利だけど、整理が地獄なんだよな。五万件近いアイテムタグ管理はそろそろAI補助入れないと……」
「五万件!?」
ネフェリスが素っ頓狂な声をあげ、カイエンは静かにため息をついた。
「ともかく、内偵を進めるべきだ。現地司令官との面談を急ごう」
◆
砦司令室。
蓮たちを出迎えたのは、警備砦司令官――ライネル・ドレイク大尉だった。短く刈り込まれた灰色の髪に鋭い黒曜石の瞳、軍歴二十年を誇る堅物の騎士だ。
「帝国陛下……まことに申し訳ありません。交易隊護衛任務に不備があり、多数の遅延と損失が発生しております」
彼は机上に膨大な書類を並べ、己の無力を悔いるように頭を下げた。
「ライネル大尉。事情を聞かせてくれ」
蓮の声は冷静だったが、その背後に漂う“帝王としての重圧”に、部屋の空気が張り詰める。
「……はっ。実は、ここ二週間ほど、交易商団が次々と襲撃される事案が続発しておりまして……」
「襲撃者は?」
「それが……各商団の護衛騎士や傭兵たちで……。つまり、仲間割れ、あるいは内乱に近い……」
イリスが鋭く問い詰める。
「洗脳や支配魔術の線は?」
「帝国から派遣された監察官が調査中ですが……未だ証拠は出ておりません」
蓮は無言のまま、机上の地図に視線を落とした。
「つまり、外部犯行ではなく、内部崩壊を誘発させる“思想戦”か……」
彼の脳裏を過ったのは、かつて遭遇した“虚神”の記憶だった。あれほど極端ではないにせよ、因果干渉型の呪術や精神汚染が存在する世界だ。人の意志を奪う存在が、再び蠢いている可能性は高い。
「大尉、この砦にいる全兵士、全商人に“神譜安定化検査”を実施しろ。異常反応があれば即座に隔離する」
「はっ、かしこまりました!」
ライネルが敬礼すると同時に、砦全体に警報が響き渡った。
◆
その夜。
砦北門で、ノアとマリルが監視交代をしていた。
「ねぇノアくん。こんな静かな夜って……逆に怖いよね」
「そうだね。でも、静寂は一つの兆候でもある。“嵐の前の静けさ”って言葉、知ってる?」
「いやだぁ……やめてよ……」
マリルが身を震わせた瞬間、砦上空に黒い影が走った。
「っ……!!」
二人が見上げたそこには、巨大な黒翼を持つ異形が降り立とうとしていた。
「敵襲! 防衛陣展開!」
ノアが叫び、砦中に魔力警報が鳴り響く。
◆
司令室で地図を確認していた蓮は、緊急通話で全指揮権を掌握した。
「全砦兵に告ぐ! 防衛結界を最大展開し、砦外部への侵入を阻止! 魔導砲台は空中掃射に切り替えろ!」
イリスが隣で結界補助術式を起動しながら、険しい表情で言った。
「蓮……あれはただの魔獣じゃない。神格級の因果密度を持ってる……!」
「まさか……“古代神獣”……!?」
彼らが見上げる夜空には、星を覆うほどの黒翼と、紅い双眸が輝いていた――。




