7
梯子を上った先は、期待していたものとは違い、言わば何の変哲もないただの屋根裏部屋だった。
物置として使われていたようで、年代ものの古いアンティーク家具などが、埃をかぶって置かれていた。
「なんだこりゃ、ただの物置じゃねぇかよ……」
アロンは落胆の色を隠せない様子でそうぼやいているが、 そんな風なことを言いながらも警戒を解いていなかった。
そもそもどこに潜んでいるか分からない敵のことだ。ほんの少しの油断が命取りになることを、彼もわかっているのだろう。
「……アロンは今までこういう敵と、戦ったことはなかったの?」
「 こういう、って?」
「だから何て言うか……、隠れるのが上手くて、巧妙な敵?」
「そうだなぁ……。 いないことはなかったな。森の木々に上手く擬態するやつとか。あとは――」
アロンはそこで言葉を途切れさせ、真剣な顔で何かを考え込みはじめた。
「……アロン?」
「――……そうか、そういうことかもしれない」
彼はぼそりと呟いた。
「何? どういうこと?」
「ルシウス、近くに鏡か何かはないか?」
「鏡?」
ルシウスは彼に言われた通り周囲を見渡す。だがそれらしいものはないように見えた。
――本当にそうかしら、ルー?
ふとルシウスの目に、布を被せられた家具のようなものが映った。それに近付いて、その埃まみれになった大きな布を、ひっぺがした。
「――げほっ、っおい、ルシウス!?」
大きく舞い上がった埃を吸い込んだのか、アロンは後ろでゲホゲホと咳き込んでいる。ルシウスも腕で口元を覆いながらその埃が落ち着くのを待つ。
「……あった」
「何?」
「鏡だよ」
ルシウスの目の前には立派な鏡台があった。埃避けの布のおかげか、鏡は曇りなく周囲を映し出している。
しかしおかしなところがあった。
はじめルシウスはそれに気がつかなかった。その家具の形状から見ても、それが鏡台なのは間違いがないし、その鏡台についているの名前の通り鏡であるはずだからだ。だが――
「……映ってない?」
鏡はその目の前のものを須らく映すはずのものだ。そこに何かの意思は存在しないはずであるし、実存している以上、それに映らないはずのものはないはずだ。
しかしそこにルシウスの姿はなかった。いや、ルシウスだけではない。アロンの姿もまた、そこには映っていない。
「やっぱりな」
驚くルシウスの後ろで、アロンはそれを当然のように受け入れていた。
「やっぱり?」
「前にこんな奴がいたんだ。魔物じゃなくて、魔導師だがな」
その魔導師は、幻影を作る魔法を得意としていた。幻影というより虚像と言った方が的確だったかもしれないと、アロンは言う。
「そいつが作った『偽物』は、本当に何もかもそっくりなんだ。人間を作れば、家族はもちろん、本人でさえ『鏡を見ているようだ』と言った」
もちろんただの幻影であるため、喋ることはできなかったらしい。だが仕草や歩き方、そういったものは本当に鏡写しのようだったという。
「でもそいつを見分ける方法がひとつだけあったのさ。――鏡、だよ」
「どういうこと?」
「その幻影は鏡には映らないのさ。『鏡を見ているようだ』とまで言わせたのに、笑えるだろ?」
「……それで、この状況とどういう関係が? 僕らがその幻影だとでも?」
「その逆だよ。オレたち以外が幻影なんだ」
「は?」
「本物の鏡には、本物の人間しか映らない。逆に考えれば、幻影でできた鏡には、幻影しか映らない……。そういうこともあるんじゃないかと思ったんだ」
「……つまりここは幻影の世界だと?」
「敵は現実にいる。でもオレたちは、現実にはいない。だから敵の気配も感じられないし、見つけることもできない。そう考えると辻褄が合うと思わないか?」
「……まあ、たしかに」
アロンの言っていることは、筋が通っているように思えた。
「でもそれってつまり、ここから出ない限りはどうすることもできないってことじゃないの?」
「……そうなんだよなぁ」
もしアロンの仮説が正しいとするならば、そもそも最初に倒した魔物でさえ本物だったかどうか怪しいと思われた。この屋敷の中自体が異空間のようになっているのは、入る前の時点でアロンが言っていたことだ。それならばもうこの中に足を踏み入れた時点で、敵の術中に嵌っていたのかもしれない。
「アロン、無策が過ぎたんじゃないのか?」
「どういうことだよ」
「だから、屋敷に入る前にもっと対策を練るべきじゃなかったのか、って言いたいんだ」
「オレが悪いっていうのか!?」
「そうは言ってないけど……」
「言ってるだろ!」
「言ってないってば! 」
ルシウスはアロンとしばし睨み合いをした。だがこんなところで言い争っていても仕方がないというのはお互いわかっていたことだ。ルシウス達はどちらからともなく溜息をつき、怒りの矛先を納めた。
「そんなことより、ここからどうやって出るべきか、だよな」
「そうだね……。さっき言っていた魔術師に何か対策は聞いていないのかい?」
「あー……」
アロンは天井を仰いで、それから目を瞑り思考を巡らせる。
「とはいっても、あいつは異空間を操るタイプの魔術師じゃなかったからな ……」
ルシウスもアロンに倣って、自分の持っている知識を総動員させて何か対策がないか考えた。時折村に来ていた魔導師たちはどんなことができただろう。一体何を言っていただろうか。
―― 魔物はどんなものだったかしら、ルー。
「なあ、アロン。ここにいる魔物はどんなやつだと思う?」
「はあ? なんだいきなり」
「いいから」
「んー……。野生動物が変化したタイプとはまた違うだろうな」
森に生息する魔物の多くは、何らかの突然変異のようなもので野生動物が凶暴化したようなものが多い。少し前にルシウスが倒した黒い狼もそれの一種だ。
「じゃあここにいるのはどんなのなんだ?」
「 そうだな、魔物が死ぬときに粒子になることは知ってるだろ?」
「もちろん」
「その粒子と、お前みたいな魔導師が使う魔法が変に作用して、おかしな魔物ができるっていう研究があるらしい。特に、そこに人の負の感情とかそういったのが絡むと、魔物が発生しやすいって話だ」
「……ここにいるのもそういうやつだ、ってこと?」
「その可能性高いだろうな。……それで? その話がどうかしたのか?」
「うん、この魔物って、屋敷全体を支配しているようなものだろ? それを維持し続けるためには何か媒介がいると思うんだ。それを壊せば出られるんじゃないかと思って」
「媒介、か。なるほどな」
「それで、多分その媒介も、俺達と一緒で鏡が映らないと思うんだけど、しらみつぶしに探すには物が多すぎる。だからちょっとでも、当てを絞ろうかと思って」
「意図は分かった。それでその「当て」とやらに見当はついたのか?」
「 はっきりと分かったわけではないけど……」
ルシウスの頭にある光景が浮かんだ。今いる屋根裏部屋の下、主寝室に来る前にアロンがしていた行動だ。
「日記帳、とかどう思う?」
使用人の部屋でアロンが捲っていた日記帳のことだ。
「……あぁ、確かに人の思念は集まりやすいかもしれない。……当たってみる価値はあるかもな」
よし、と言って立ち上がったアロンは、鏡台を見て動きを止めた。
「なあ、ルシウス」
「なに?」
「お前どうやって鏡を運ぶつもりだ?」
「……あ」
鏡はこの鏡台に 取り付けられたものしか、今のところない。だがこれごと運ぶのは現実的ではないし、取り外すのも簡単ではなさそうだ。
「……割る、とか?」
苦笑いでルシウスがそう答えると、アロンは肩を竦めた。
「…………確か二階のどこかに令嬢の部屋があっただろ? そっちで手鏡か何かを探す方が早いんじゃないか?」
「……そうしよう」
ルシウスは少し項垂れながら、梯子を降りようとするアロンの後ろついて行った。