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ああ、また夢の中だ。
ふわりと浮上してきた意識の中、ルシウスはそう思った。現実と見紛うような鮮明のその夢は、一人の男を視点にルシウスはただ傍観するだけの夢だった。
男の視点で夢は進んでいくが、こちらの意思ではしゃべることもできないし、動くこともできない。この身体を動かしているのは、後に「勇者」と呼ばれる男だと、何度かの夢を経て気づいていた。そして――
「ルー!」
いかにも嬉しそうな顔でこちらへ走り寄ってくる少女がいた。
「ティア、走ったらまた転ぶぞ」
ティアと呼ばれた少女は、ルシウスがずっとレイティアと呼んでいた女だった。
「大丈夫よ、それにほら」
少女は指にできた切り傷をこちらに見せて、にっこりと微笑む。するとその傷がたちまち消えてしまった。
「私は『人間』ではないもの。怪我なんてへっちゃらだわ」
「そう言って、怪我したのをごまかすんじゃない」
後に勇者と呼ばれるルーと呼ばれる男――ルドは、少女の頭を拳でグリグリと する。だが大して痛くはないのか、長女もキャッキャと嬉しそうに微笑んでいた。
仲睦まじい恋人同士。そんな言葉が似合う二人だった。
一度目に夢を見たのは、レイティアとの別れから半月ほどが経った日だった。その日の夢は、ルドと少女が出会う夢だった。
ルシウスにはすぐにその少女がレイティアだと分かったが、ルドは彼女を見てこう言った。
『月の精霊……?』
満月の夜、小さな湖で水遊びをしているところを見たのだ。
それからすぐ二人は仲良くなった。月の精霊に名前がないことを知ると、ルドは彼女に「レイティア」という名前をつけ、「ティア」と呼びかけるようになった。
「ルー」が、「ルド」の愛称だと気づくのにそう時間はかからなかった。
そして何度目かの夢でルドが成長した頃、彼は世界を脅かしつつあった魔物を、掃討する旅に出た。
彼は何の変哲もない青年だった。「勇者」の 代名詞である光の力は、レイティア――いや、月の聖霊によってもたらされたものだったのだ。
レイティアは、ルドの旅に当然のごとくついていった。彼を助けたのも二度や三度ではない。旅に出た頃の「勇者」は、本当にただの凡庸な青年だったのだ。
月の精霊の加護を与えられたルドは。次第に自分でもその力を使えるようになっていった。その頃から彼は「勇者」と呼ばれるようになっていったのだ。
魔物を倒し、人々を救い、仲間を増やして強敵に立ち向かっていく――。まさに物語の勇者そのものだった。
元々は月の精霊のものであった力を、自身のものであるかのように振る舞うさまは、ルシウスには少々を解せないものがあったものの、彼の役に立つことが本当に嬉しそうなレイテは見ていれば、それは瑣末なことのように思えるのも事実だった。
そしてついに「勇者」は、当時最も力を持っていた魔物――魔王と言っても差し支えのない知能、魔物たちの統率力などを兼ね備えた人型の魔物を討ち果たした。
そしてその魔王が占領していた地域に、勇者は新たな国を興したのだ。それを称える人々の熱狂は凄まじいものだった。
ルドの目を通してその様を見ながら、ルシウスは疑問が膨らんでいくのを感じていた。
数年かけてなされたこの偉業の傍には、いつもレイティアがいた。彼女はルドの役に立つことを心から喜んでいるようであったし、ルドの方も、振る舞い見る限りはレイティアを大切にしているようであった。
『ねぇ、ルー。私、これからもこの国をずっと守っていきたいわ』
『そうしてくれると嬉しいね。どうしたって俺は、精霊である君より先にこの世を去るだろうから』
ルシウスは二人がそうやって国を守っていくものだと思えてならなかった。だが現実には、レイティアは、この国をひどく憎んでいる。その現実との乖離が不可解でならない。
『それなら私、少しだけあなたのそばを離れて旅に出ようと思うの』
レイティアは、ルドにそういった。
『どうして?』
『国を護る結界を張ろうと思うの 。そのためには国の何箇所かに魔法陣を書く必要があるの。それは私にしかできないから』
『……分かったよ。それならば君が帰ってきたら、 式をあげよう』
『え?』
『 俺が死ぬ時まで、君にそばにいてもらわなければ困るから』
『……本当に?』
『ああ、俺が君に嘘をついたことがあった?』
レイティアは本当に嬉しそうに笑って、ルドの問いに首を振った。
『すぐに帰ってくるわ』
『待ってるよ』
将来の約束をした二人は本当に幸せそうだった。ルドはレイティアを抱きしめて、髪を撫でる。彼女もその手にうっとりと目を閉じていた。
幸せそのものだった。
これ以上見ていられない、そう思ってしまうほど。
この夢はシーンが途切れるように場面が移り変わることがある。ルシウスが似た二人の様子は、それほど多いものではない。
出会い、二人が交流を深め、勇者が旅立ち、魔物を倒し、仲間を集め、そうして魔王を倒す。
それらを断片的に眺めていた。ルドの視点でしか物事を見られないためか、見える部分が偏っているような気がした。主に見えたのはレイティアのことだ。
そして不思議なことに、視点人物であるルドの心はルシウスには伝わってこなかった。
だから、ルシウスは彼もまたレイティアを心から愛しているのだと信じて疑わなかった。だからこそ、彼に強い嫉妬心を覚えていた。
しかし――
『行ったか』
レイティアか国を守護する結界を張るための旅に出た後のことだ。
彼女が旅立つ寸前まで、その身を案じ無事を祈念して祈っていたはずの男が、うんざりしたような声音でそういった。
『はい、陛下』
後ろから近づいてきたのは純真そうな小柄な少女だ。魔王を倒した仲間であった男の妹だった。
『これから、どうなさるのですか?』
『さあ? 無事に帰ってくることを祈ろうじゃないか』
レイティアの無事を祈っているような言葉でありながら、どこかその言葉には嘲りの色が見える。
『陛下も人がお悪いわ』
少女もクスクスと小馬鹿にしたような笑い声を立てた。
ルドの突然の変わりように、ルシウスは戸惑いを覚えていた。何かこれから嫌なことが起こる――。そんな予感があった。
その疑念を払拭できぬまま、また場面は切り替わる。
執務をしていたルドの元に、レイティアの帰還が知らされたのだ。
『……そうか。ならば、手厚く迎えてやらねばな』
そうどこか冷たい声で言った彼は謁見の間へ場所を移した。
『……ルー!』
姿を現したルドに感激したようなレイティアの声が響いた。愛しい男に久方ぶりに会えたことが嬉しくてならないのだろう。
だが嬉しそうな彼女の表情も長くは続かなかった。
『……ルー? 私、やっと帰ってこれたの。喜んではくれないの?』
彼女の言うとおり、ルドは無言のまま玉座に腰掛けた。
『 ルー? お願い、何か言って……』
不安げなレイティアの声に、ルシウスも不安になった。どうしてルドは何も言わないのだろう。
しばらくの沈黙の後、ルドはようやく立ち上がった。階段を下りレイティアの前に近づいて行く。
それにやっと不安が軽減されたのかレイティアの表情も多少柔らかいものになる。
『ルー、帰ったわ』
『ああ、ご苦労だった』
ここに来てはじめて発した彼の声は、「王」のそれだった。かつてのような恋人に呼びかけるような、柔らかさは微塵もなかった。
それに気付いたのだろう。レイティアの表情も再び不安に曇る。
『ルー……、 ルド? どうしたの?』
不安に揺れるレイティアの瞳に、ルドの姿が映っていた。
ルシウスは息を飲んだ。
ルドのレイティアを見下ろす瞳が、あまりにも冷たいものだったからだ。
『ああ……、本当にご苦労だった、ティア 。だから――』
その時何が起こったのかルシウスは一瞬分からなかった。ただ気が付くとレイティアが胸から血を流していた。そこには剣がふかぶかと突き刺さっている。
その柄を握っているのはルドだ。
『ど、どうして……?』
口からも血を流しながら、信じられないような顔をしてレイティアがルドを見上げていた。
『「どうして」? 分からないか?』
ルドは、何のためらいもなさげにリーティアに刺した剣を引き抜いた。 血がそれまでの比ではなく流れ出す。その状態が見えているはずなのに、ルドは剣を一振りして血を払うとそれを鞘に収めた。
『お前が危険だからだよ、ティア。いや、「月の精霊」。平和な世に精霊の力は不要だ』
ルドの声はあまりにも冷たかった。ルシウスは信じられない思いでそれを聞いていたが、それも、その言葉を自分を愛していると思っていた男から言われたレイティアの比ではないだろう。
『だから、私を殺すの……?』
『そうだよ。俺が自ら手を下すのは恩情だと思ってくれ』
『おん、じょう……?』
その時、レイティアの目から一筋の涙がこぼれた。そしてそれを皮切りに狂ったように嗤い始めた。
『恩情!! これが!? これがあなたの恩情だというの!』
『愛している男に殺される。最高だろ?』
ルシウスはもう意味が分からなかった。レイティアは狂ったように嗤い続ける。
『ルー……、ルド!! 馬鹿にされたものね……!! 私はこの程度じゃ死なないわ!』
『ああ、知ってるとも。だから――』
ルドがレイティアに向かって手を広げた。
『なっ』
レイティアが、驚きに満ちた表情で足元を見た。ルシウスもつられるように下方を見ると、彼女の足が固まって言っているのがわかった。まさに以前、ルシウスが探していた女神像のような月の色をした石に変化していっていた。
『だから封印させてもらう。これから先、俺ほどの光の力の使い手は現れないだろうから、決してこれが解かれることはない。だから……、さよならだ、ティア』
そう言っている間にも、レイティアどんどん石になりつつあった。 足首から太もも、腰、胸と順に固まっていく。
その頃にはレイティアの瞳には、もはや一片の愛情もない。そこにあるのは憎しみだけだった。
『……呪ってやる。 必ず、何年、何十年、何百年経とうとも、必ずここから抜け出して、この国を呪ってやる! 焦土に変えてやるわ!!』
それがレイティアの最後の言葉だった。
もうそこには生きたレイティアはいなかった。ただ女神像が一体存在するだけだ。
『呪う……? ばかばかしいことを……』
だがルシウスは、ルドの手が震えているのを見逃さなかった。
その後、ルドのもつ光の力は、彼の子供そのまた子供そのまた――と、受け継がれていく。そしてその子らに、ルドは女神像の監視を命じていた。
ばかばかしいと言いながら、この男はレイティアからの報復を恐れていたのだろう。
そしてレイティアは、この時の言葉の通りルシウスを見つけ出し、今この国を呪おうとしているのだろう……。




