12
「アロン、いい加減教えてよ。どこまで行くつもり?」
彼は、いいからいいからと言いながら、屋敷の外へと出て行く。一瞬出られないのではないかと心配したがそんなことはなく、特に何の障害もなく外に出ることができた。
「魔物を狩るんじゃなかったのか?」
「狩るさ。――あれ、見ろよ」
アロンが指し示したのは、屋敷の裏手にある小さな物置小屋だった。屋敷と同じように長い年月を感じさせる以外は何の変哲もない小屋だが、その入口である扉は少し異様だった。
「あれ、さっきの虫?」
「やっぱそう見えるよな」
小屋の扉の下は、先ほどルシウスの袖についていた虫がびっしりと蠢いていた。
「ちょっと気持ち悪い……」
「あぁ、オレもそう思って、前に一人で来た時は違うのをやめたんだ。でも、あの虫が魔物だとしたら話は変わってくるだろ?」
「……まさか、一匹一匹 潰していくなんて言わないよな」
「そうじゃないことを願うが……。オレの見立てでは、中に親玉がいるんじゃないかと思ってるんだ」
「親玉?」
「そう、巣を統括する女王蜘蛛といったところかな」
「そいつを倒せばなんとかなる?」
「なる…と思いたいな」
ならなければ、さっき言ったように一匹一匹潰して回らなければならないのだろう。そう考えると少しうんざりした。
「でもやらなきゃ、だね……」
「 その通り。行くぞ!」
アロンは物陰から飛び出すようにして虫たちの方へと近づいていった。
「待って、アロン。僕がやる」
「はあ? お前、怪我人なの忘れたのか?」
「その小さいの剣で倒そうとするほど、無謀な君に言われたくないよ」
「おっと、誰が剣であるなんて言った?」
そういったアロンは、不意に人差し指を立て虫たちの方へそれを振り下ろすような動きをした。それに呼応するように指先に炎が現れ、それが虫たちの方へ飛んでいく。それは瞬く間に虫たちを覆い、だが小屋の方は傷つけることなく全ての虫たちを魔石へと還した。
「魔法が使えたのか……」
「お前ほどじゃないけどな」
「いや僕は、この光の力以外は使えないから」
そういうとアロンは不思議そうな顔をした。
「そうなのか? なら練習不足か、教師が悪かったんだな。オレの見立てじゃ、きちんと学べばすぐに俺なんか追い抜くさ」
ルシウスはアロンの言うことがいまいち信じられず、肩を竦めるに留めた。
「まあ、そんなことより。早速中に入ってみるか」
ルシウスは頷くと、先行するアロンについていった。
「そらよっ!」
扉の前まで辿り着いたアロンは、 小屋の扉を蹴破った。
古い木の扉だ。鍵も脆くなっていたのだろう。難なく扉は開いた。
「うわ……」
中は真っ暗だったが、その床には外にいた子蜘蛛のような魔物がびっしりと蠢いている。
量が尋常ではない。さっきのものに比べても、輪をかけた気色の悪さだ。
だがアロンの予想とは違い、親玉らしき魔物の存在は確認できなかった。
「あっれ……、ここだと思ったんだけどなぁ……」
アロンがそうぼやきながら小屋の中に足を一歩踏み入れる。その足の下で小蜘蛛がプチプチと音を立てて潰れる音がした。
「うぇ……」
それに気を取られたアロンが下を向いた時、ルシウスは何が嫌な予感を覚えた。その予感に突き動かされるようにルシウスは、 アロンを自分の体ごと押し倒した。
「っ!!」
背中に鋭い痛みが走る。何かに切り裂かれたようだった。
「なっ、ルシウス!?」
ルシウスの下敷きになったアロンは、ゆっくりと起き上がり、 そう叫んだ。
「一体、何が――、あ……」
ルシウスは痛みを堪えながら起き上がろうとする。その時はアロンが天井の方を見て、驚愕の表情を浮かべているのに気付いた。
「アロン……?」
「やっぱり、いやがったらしいな……」
ルシウスも痛みを堪えながら、アロンの視線の先へ振り返る。
「あ……、女王蜘蛛……」
そこには小蜘蛛とは比較にならないほど大きな、蜘蛛が天井に張り付いたままこちらを見ていた。その蜘蛛の足の内の一本に布が引っかかっている。先ほどルシウスの背中を裂いた足があれなのだろう。
「……下がってろ」
アロンはルシウスを引きずって壁際まで後退すると、剣を構えて蜘蛛と対峙した。
「アロン……」
どうするつもりなのだろう。痛む背中押さえながらルシウスはアロンの背中を見るしか出来ない。
その時ふと先ほど受けた怪我から流れた血で汚れた床に、子蜘蛛が群がっているのに気付いた。
地下の骨と服しか残っていない死体は、あの子蜘蛛が食べたものなのだと気付いた。あの小さいのが群がれば、肉片の一つも残るはずがない。
今その子蜘蛛は、アロンの足を伝って登ろうとしている。彼もそれに気付いてないはずはないと思うが、それを振り払っている余裕も無いのだろう。
先ほどの彼の表情から察するに、あの女王蜘蛛は決して弱い相手ではない。その上手負いのルシウスを庇いながらの戦いになる。いくら彼が強かろうとも、簡単な戦いにはならないだろうと予測された。
「なら……」
ルシウスは自身の体に鞭打って壁を背に どうにか立ち上がった。
そして、光の力を使って小蜘蛛を消し飛ばした。
「おい、下がってろって言っただろ、ルシウス!」
「このくらいできるよ。自分の身も守れる。それに、『後方支援を頼みたい』そう言ったのは君だろ」
「……お前」
アロンはルシウスの決意が変わらないのを見てとると、ニヤリと笑って女王蜘蛛の方へ向き直った。
「 なら、小物は頼んだぜ相棒!」
そう叫んで、アロンは女王蜘蛛の方へと走っていった。
後ろを気にしなくて良くなったアロンの動きは、目覚ましいものだった。
正直こちらも支援などいるのかと、そう思わされるくらいだ。
「これならすぐ片がつきそうだな……」
――本当にそうかしら、ルー。
ふとレイティアの声が聞こえた気がして、ルシウスはハッとした。
相手は幻術を使う。今目の前にいる大きな蜘蛛も本物かどうかわからないことに、気が付いた。
「どうにかして確かめないと……」
周囲を見渡したルシウスは、小屋の窓にガラスがはめられているのに気づいた。鏡には遠く及ばないが、あれでも反射を利用して幻術を見破ることができるのではないか、ルシウスはそう考えてその窓に走り寄った。
そのまま殴って割ろうとして、右手が痛むのを思い出した。だが、それを我慢して拳を振り上げる。
「怪我は今更だ……!」
ガラスに拳を叩きつけると、バリンッと大きな音がしてガラスが割れた。その細かな破片が、ルシウスの腕をさらに傷つける。だがかまわなかった。
割れたうちの手頃の破片を拾い上げ、ルシウスは蜘蛛を見た。
「アロンッ!! 本体は足の方だ! 僕の服の切れっ端が引っかかってる足!」
「……ッ、了解だ!」
アロンは言うが早いか地面を蹴り、ルシウスが指定した足を切り落とした。 だがまだ本体には傷がついていない。落とされた足の中に丸々残っているのだ。
ルシウスはその落ちてくる足の方に走り寄り、最後の力を振り絞って光の力を手のひらに集めた。
「これで、終わりだっ!」
その力を切り落とされた足に叩きつける。その足はビクリと一瞬はねた後、黒い粒子となって消えていった。
他の子蜘蛛たちも、それに呼応するように粒子となって消えていく。気がつけば辺りには魔石しか残っていなかった。
「 っあ~~! やっと終わったのか!?」
アロンは横にどさりと腰を落とし、大きなため息をついた。
「多分、もういないよ」
「それは良かった。――っと、そんなことよりお前、腕の傷……、おい? ルシウス?」
何? と返事したつもりだったが、それは声にならなかった。
意識が急速に遠のいていく。切羽詰まった声で名前を呼ぶアロンを最後に、ルシウスは気を失った。