10
「 ――ウス! ルシウスッ! 目を覚ませ、バカ!」
「いっ……、誰がバカだ……」
耳元で発せられた大声に頭を押さえながら目を開けると、目の前にアロンの顔があった。
「 よかった……。このまま死なれたら目覚めが悪い……」
素直に生きててよかったとは言えないのかと思いつつ、ルシウスは起き上がろうと右手を床についた。
「いっ……!!」
「あ、このバカ! 傷だらけなの忘れたのか?」
アロンの言葉に右腕を見ると、日記帳の浄化の際についた裂傷がそのまま残っていた。
「傷は本物なのか……」
「みたいだな。死ななくて良かったな」
ルシウスは肩を竦めた。
「そういえばここは?」
「玄関先。入ってすぐ幻術にかけられたらしいな。ここで仲良く二人とも寝こけてたみたいだぜ」
たしかにアロン の言う通り、後ろを振り返れば初めに入ってきた扉があった。
「ここは現実?」
「……だと祈ろうか」
確かめようにも手持ちの鏡などあるはずもない。
「まあ、十中八九、現実だと思うがな。オレ達がこんなところにいるんだ。浄化は成功したとみて間違いないだろう。……問題はここからだな」
「敵をどうやって倒すかってこと?」
「そ。 このまま突っ込んで行っても、さっきの二の舞だろうしな」
「 媒介は無効化したのに?」
「媒介を用意するような巧妙な敵が、次善の策を用意してないと思うか?」
「……たしかに。でもどうする? それとも、尻尾を巻いて逃げる? そんなこと、まさかしないよね」
「そうなんだよなぁ……。前金、 貰っちまったしなぁ……」
ルシウスとて女神像の情報があるから来たのだ。このまま逃げるわけにはいかない。
そう考えてルシウスはふと思った。
「前金? ……いやお金の事はいいんだ。それよりも、もしかして何か言ってない情報があるんじゃないのか」
いやそもそも、「言っていない情報」以前に、ルシウスはほとんど何も聞かされていないことを思い出す。ついて来いと言わんばかりに連れてこられてそのまま今ここにいる。
「 アロン、次の手を考えるにしても、きちんと情報共有してくれないと困る」
「……悪かったよ。ここまでの敵だと思っていなかったんだ」
項垂れるアロンを見て、ルシウスはそれ以上の追及は控えた。今大事なのは彼を責めることではない。
「それで? 依頼主から聞いた情報は? 何かあるだろう?」
「……ある、とはいえそう多くはない。そもそも、この屋敷には誰も入れなかったんだ。そこで得られる情報なんて大したものじゃない」
「聞いた情報全部教えて」
「まず、一ヶ月前までは何の変哲もない廃屋だったらしい。 ただ、盗賊か何かならず者が根城にしていたらしく、最初はそれを追い出すような依頼だったらしい。だがそれを引き受けた冒険者が、ならず者たちが慌てて出ていくのを見た」
「慌てて?」
「そう、何かに追われるみたいに。まあなんにせよその冒険者にとっては好都合だな。だがそれでも、一応中に誰も残っていないか確かめようとしたらしい。そうしたらもう扉は開かなかったそうだ」
「それから中に誰も入っていない?」
アロンは頷いた。
「そこで依頼主は、また別の人間を雇って、逃げ出していったならず者たちを探したらしい。捕まったならず者たちが言うには、地下にあった 壺を壊してしまった、と。するとその壺から、黒い煙のようなものが出て仲間の一人を絞め殺したのだそうだ」
「 その仲間を見捨てて逃げたってこと?」
「はじめは、助けようとしたらしいがな。その黒い煙とやらは、掴むことができなかったそうだ。だからなすすべなく逃げ出した、と言ったらしい」
「掴めなかったのに、人を絞め殺したのか?」
「ああ。不思議な話だろ」
「……それ以外に情報は?」
「ない」
そう言い切ったアロンに、ルシウスは溜息をついた。
「それだけの情報で、敵を『大したことない』と判断した理由は?」
そう尋ねると、アロンはバツが悪そうな顔をした。
「……正直、驕っていたことを認める。屋敷の中に入れさえすれば、なんとかなると思ってたんだ」
しゅんとしているアロンを見ていると、ルシウスはそれ以上何か言う気にはなれなかった。
「アロン、落ち込んでても仕方ない。とりあえずその地下に行こうか。何か分かるかも」
「けど地下も、さっき散々行っただろ?」
「『幻影の中で』ならね。でも俺たちは、死体を見てないだろ? ならず者たちがその絞め殺されたという人を、助けられずに逃げたと言うなら、何か残っていないとおかしい」
「……そうだな。よしわかった、行こう」
ルシウスは立ち上がり、アロンに右手を差し出しかけてそれが傷だらけなのを思い出す。だから代わりに左手を差し出した。
アロンは、ちょっと困ったように笑って、その手を握り返した。