009.空間の狭間5
「にゃーはははははっ!なーにを真剣な顔しとるのか!にゃふっ、にゃははは!」
一瞬走った緊張感は、一瞬で消えた。
「えー……くっそ笑うじゃん」
「だって、そんにゃ、今更な話で、ぶふっ」
「お前のツボがマジで分からん……」
しばし笑うルナを放置する。
げらげら笑うルナにそれなりにイライラするが、ここで突っかかると余計笑うのは目に見えてる。そう、我慢だ、俺はクール、大人、我慢強い子だ。
「はぁー……そんな心配するでないわ。我がその程度の初歩的ミスをする訳がないじゃろ」
そう前置きして説明する内容をまとめると、最初に行った契約の内容である『魂の共有』の時点で、この空間における俺達は『二人で一個の生物』と見做されるらしい。
「ちょおい待て!まさかよくある『どっちかが死んだらもう片方も死ぬ』とかじゃないだろうな?!」
「ハッ、そんな我に不利すぎる内容な訳がなかろ。そこはセーフティを設けておる。片方が死んだら片方に全て受け渡されるようにしとるわ」
「……てめぇ、俺が死んだら俺の魂総取りするつもりだったのかよ…。やっぱり悪魔の契約の類じゃんか……」
「お互い様じゃろ?我が死ねばお主がそうなっとったわ」
「ルナが死ぬ事とかあんの?」
こいつが死ぬイメージ湧かねぇよ。出鱈目に強い上に俺以上の『隠密』とスピードがあるからいざとなれば逃走能力も高いし。
「さぁどうかの。まぁ結果として二人とも無事なんじゃ。ぐだぐだ言うでない」
「へいへい……しかしそうなるとなんで何も起きないんだ?俺らでも察知出来ない魔物がいるとか?」
「うむ、その可能性が一番高いの。これだけ多種多様な魔物がおったんじゃ。そういった魔物が居てもおかしくないじゃろ」
まぁそれな。これまで毒ばらまく魔物や機械だろって魔物、あと天使もどきに幽霊もどきに妖怪もどきと多種多様にも限度あるだろってレベルだったし。
しかし俺達……特に戦力に乏しい俺なんかが重宝していた隠密で上をいかれる相手か。ルナはともかく、俺が相手をするなら地味に厄介そうだな。
「まぁどんな敵であれ、流石に攻撃してくるタイミングで気付かぬ事はあるまい。のんびり待ってれば良いのじゃ」
「そんな呑気な……」
「ずっと気を張るよりはその方が良いわ。最低限の警戒をして、長時間備えるんじゃよ。気張った後に疲弊した隙をつかれるかよりはマシじゃろうて」
まぁ一理ある。というより、今まで襲われてない点から考えると、これまでずっと行っていた警戒レベルでも大丈夫だったとも考えられるし。
「まぁ炙り出したいというならそれでも良いがの。他に目立つ敵がおらんし、溜めの時間がもらえるのなら我の秘奥の一つも使えるしの」
「なぁっ?!ひ、秘奥?!なんそれかっこいい!」
「お?むふ、にゃははは!そうじゃろう!にゃふふ、そこまで言うなら見せてやらんでもないぞ?」
「見てぇー!ちょー見てぇー!」
こんな会話だけどお世辞ではない。ここまで過ごしてルナの化け物ぶりはよく理解してる。
そのルナの秘奥とか素直に気になる。
「むふふ、仕方ないのー。では見せてやるから、しばらく周囲を警戒しておれ。集中するのでな」
「うっす!」
言われるがまま警戒して待つ。
ルナは目を閉じて沈黙したまま、ざっと10分弱ほどが経った。
「……夜よ、顕現せよ」
長い沈黙の末にぽつりと呟かれた言葉。
そんな些細な動作でありながら、起きた変化は劇的なものだった。
「っ?!暗っ!よ、夜になった?!」
光源も不明なくせにずっと明るかったこの空間が、突如暗くなった。
それは久しく見ていない夜そのもので、しかも空間の上空には三日月が浮かんでいる。
「月よ、満ちよ」
次いで紡がれたルナに呼応するように、早送りしたようにあっという間に三日月は満月へと変わる。
優しくほのかに蒼を含む銀の光が周囲を柔らかく照らした。
「……おったの。空間に干渉できる魔物のようじゃ」
「え、見つけたの?はっや」
「ふむ、ナギにも見えるにしてやろうかの。……月よ、照らし出せ」
【夜】の権能を共有され、『月』のスキルを使用出来るようになったからこそ分かる。
照らされる月光全てに、排他性の性質を持つ『月』の力が込められている事が。
その闇夜にありながら輝く事をやめない月を司る『月』属性の排他能力によって、空間干渉をしていたらしい魔物が虚空から弾かれたように出現した。
これは恐らく空間魔法なりを使っていたところを、『月』によって空間干渉が弾かれ、魔法を無理矢理破綻させられたのだろう。
……つまり、この空間において、ルナ以外の生物はろくに魔法が使えないという事を示している。
「お、おいおい……トンデモ能力じゃん」
「当然じゃ、秘奥じゃぞ。説明しておいてやるが、【夜】とはもともと『【夜】という世界』そのものじゃ。『隠密』や『月』といった力も【夜】の世界から力の一部を引き出したに過ぎぬ。そして秘奥は【夜】そのものを現世に召喚するのじゃ」
「すげぇ……スケールでかすぎだろ…」
「まぁその分制約や反動といったデメリットも生半可ではなく膨大じゃがの。まぁそれはいい、とりあえずナギよ、仕留めてこい」
「うっす」
綺麗な顔に大粒の汗を浮かべたルナを見やり、現れた魔物へと向かう。
……どうやらルナの負担も大きいようだし、急ぐとしようか。
といっても、隠れてなんぼの魔物から隠密はおろか魔法そのものを取り上げたのだ。
死神みたいなローブの中に青黒い光球が浮かんでるだけという謎生物だったのだが、それを近づいて『月』を込めた棍棒(ドラゴン牙)をフルスイング。
それだけであっさりカタがついた。
「おーい仕留めたぞー!」
とりあえず急ぎ報告すると、ルナは数秒目を閉じてから、再び目を開く。
それと同時に夜が解けて再び明るい元の空間へと戻った。
「にゃふぅ。もう他に魔物はおらんようじゃ。………ふむ、先程から少しずつ空間が解けておるようじゃし、あと1時間もすれば出れるじゃろ」
「っ……ついに、出れるのか…!」
思わず拳を握る。
長かった。
時間感覚なんてとっくにイカれたけど、ルナいわく一年以上経っているらしい。
寝ても覚めても、時には寝る事すら後回しにして戦い続けたのだ。
何度か死にかけたか。痛みを嘆く間ももらえず、次々に迫り来る死から必死に逃げ、戦う日々。
そして生き延びる最中でも、何度自殺しようと考えたか分からない。なんならここに来てすぐの俺ならとうに精神病患者になってた。
それらを越えて、ついにこの地獄から出れるのだ。
「うむ、うむ。よう頑張ったの、ナギ」
「ああ。……ルナのおかげだよ、ありがとう」
らしくもない優しい笑顔のルナに、不覚にも涙腺が緩みそうになる。
それを堪えて、改めて頭を下げた。
「消去法だろうがなんだろうが、ルナのおかげで生き延びれた。ここを出れる。お荷物でしかなかった俺を見捨てずにいてくれて……本当にありがとう」
「……ふふ、気にするな。我も後半では本当に助けられたしの」
そう言い、ルナは頭を下げている俺の肩を掴んでそっと持ち上げる。そして上体を起こした俺を、そっと抱きしめた。
「……我も、選んだのがナギで良かった。ありがとう、ナギ」
聞いた事のない程柔らかい声音と、暖かくも柔らかい体温に目頭が熱くなる。
ルナにそう言ってもらえる働きが出来て喜びと、達成感や充足感が感情を満たした。
なかば無意識の内に、ルナの華奢な身体に腕を回して抱き締める。
溢れた感情が一筋の涙となって流れ落ちた。
それからどれほどの時間、そうして抱き合っていたか。
示し合わせた訳ではないが、抱擁を解いたのは同時だった。
「……さて、いい加減準備でもするかの。おぉ、さっきの空間魔法を使う魔物の素材も持っていくぞ。恐らくあれがあればマジックバッグが作れるからの」
「え?!マジかよ!ここに来て異世界定番のアイテムゲットかぁ!やっべ楽しくなってきた!」
「地球の者はマジックバッグが好きじゃよなぁ。我の【夜】の収納でも騒いでおったし……あとあれか、鑑定とかいったかの?」
「そう!異世界特典あるあるだよな。けどルナ的に鑑定とかは難しいんだっけ?」
「まぁ次に行く世界は知らんがの。大体鑑定して出る情報は元々誰が記録して、どこに蓄積して、どうやって閲覧しとるというのか。そうした事前準備がないとすればアカシックレコードといった世界の根源に干渉して情報を閲覧する真髄魔法じゃぞ、個人が軽々使えるような代物ではないわ」
「そこはほら、神様とか世界そのものがフォローしてくれてるとか?」
「あー……そうじゃな、そりゃあその前提があればまぁ可能じゃろうがの…」
「次の世界は使えるといいなぁ。一回はやってみたいんだよね、鑑定。あ、あとステータスとか見たい」
「にゃはは、それも言っておったのぉ。戦闘能力の数値化だったかの……いやでもそれ絶対安定せんじゃろ。例えば寝起きだと下がるのではないか?あと数値の基準は何故固定された上に共有されておるのじゃ?力なんぞ見る者の感性によって変動するもんじゃろ」
「あーもーそういうリアルな指摘やめてくんない?いいんだよそこは。調子良いときの数値って事でさ。数値の基準も神様か世界が決めてるんだよきっと」
「雑じゃのお主……まぁこれも神か世界がフォローするなら不可能ではないかも知れぬがな。正直鑑定より意味不明な能力じゃけど」
「だろ?もしかしたらステータスも次の世界で見れるかもな。そしたらルナの見てみたいな、絶対高いだろ」
「む?にゃふふ、にゃふふふふふ……そう褒めるな。じゃがまぁすごい数値になるぞ?この空間で生き抜いた事で強くなったからの。ステータスでいうとレベルが倍くらいにはなっとるわ。お主に早く見せてやりたいのう」
「散々文句言ってたのにノリノリでステータス使う気満々じゃん」
などと他愛もない会話をしながら、俺達は思えば長く過ごした空間の崩壊を待つのであった。
こうして崩壊を目の当たりにすると愛着が……湧かないわな。
さよなら、二度と来ねぇよ。