第8話・神君甲賀越え
pixivに投稿した作品を修正・加筆したものになります。本能寺の変前後の1ヶ月を全18話にしました。
第8話・神君甲賀越え
6月2日、まだ、夜の明けきらない早朝。家康の部屋へ長谷川が慌ててやって来る。
長谷川「徳川様、今朝の出立は聞いておりましたが、まさか、こんなに早くとは」
家康 「これは長谷川殿、申し訳ありません。行程の都合上、急に決まりましたので、連絡が遅れてしまいました」
長谷川「私は良いのですが、徳川様は堺に来られてまだ1日。もう、堺見物はよろしいのですか?」
家康 「堺のお歴々による接待、この家康、充分に堪能致しました」
長谷川「徳川様が満足されたのなら良いのですが」
家康 「上様にお礼を申し上げてから三河へ帰ろうと思っております」
長谷川「お気遣い、ありがとうございます」
家康一行が急いで宿所の寺を出ようとすると穴山一行が旅支度をして門の前で待っている。
驚く家康
穴山 「徳川殿。おはようございます」
家康 「穴山殿。こんなに朝早く、どうされました。それに、その格好は・・・・」
穴山 「我らを置いて行かれるとは、あんまりではありませんか」
家康 「穴山殿は、まだお休み中と思っておりました。決して、置いて行く訳では御座らん」
穴山 「水臭う御座いますぞ。一言、言って頂いておれば」
家康 「失礼仕った」
穴山 「では、我らも、同行してよろしいか?」
家康 「遠慮なくどうぞ」
してやったり、と、得意顔の穴山。苦い表情の家康一行
酒井 「ところで長谷川殿。殿が四条畷神社に参拝したいと言っておりますので、我らは一旦、四条畷に向かいます」
長谷川「私は一向に構いません。徳川様のお思いのままに」
家康は長谷川が不信を抱かない様に理由を付けた。
夜明け前、本田は京街道を京へ向かい、東の空が白み始めた頃、家康達は東高野街道を一路、四条畷へ向かう。全員が緊張しているのが分かる。黙ったまま急ぎ足で歩く家康一行から張り詰めた空気が伝わって来る。
穴山 「徳川め。一体、何を隠しておる」
遅れまいと必死で付いて行く穴山一行
夜も明け、周りはすっかり明るくなり、四条畷まで来た家康一行は四条畷神社で休憩をする。
酒井 「殿。もし、本当に何事かあった場合、堺へ向かうであろう中川が我らの居ない事を知り追って来る危険があります」
家康 「うん。周囲への警戒を怠るな」
酒井 「はッ!」
小姓達が神社周辺の警戒を始める。
その様子を注意深く見ている穴山
穴山 「やはり何かある。皆も警戒を怠るな」
穴臣 「はッ!」
拝殿で三河への無事帰還を祈る家康。神社には長谷川が家康一行の参拝を知らせ、驚いた宮司が急いで接待の用意をする。休息をする家康一行。
神社に向け駆けて来る馬の一団。小姓達が集まり刀を構える。
小姓 「本田様だ!」
小姓の一人が馬上の槍で本田に気付く。
茶屋 「と、徳川様!」
家康の元へ駆けつける茶屋
家康 「動いたのか?」
茶屋 「はい。明智光秀様、御謀反に御座います!」
長谷川「えッ!謀反?明智様が?」
家康 「誘惑に負けてしまったか」
本田 「殿!最早、一刻の猶予もありません。三河へ急ぎましょう」
家康 「それで、明智殿が率いているのか」
茶屋 「それはまだ分かりません。ただ、兵の数は1000もいるかどうか。決して多くありません」
井伊 「1000?どういうつもりだ明智は。決して打ち漏らしの許されない謀反において全軍を率いていないとは」
酒井 「流石は明智殿ですね」
井伊 「どう言う事ですか?」
家康 「万を超える軍勢で動けば馬廻り衆に気付かれ、上様に逃げられてしまう」
酒井 「安土饗応での見事な配膳。明智殿は緻密なお方です。万に一つも討ち漏らす事は無いでしょう」
長谷川「待て待て。本当に、明智様が謀反を起こしたのか?」
大きく頷く家康
長谷川「し、信じられん。あの、明智様が・・・・」
唖然とした表情の長谷川
家康 「とにかく三河へ急ぐ。既に、明智殿の謀反は京周辺に伝わっている筈じゃ。誰か、宇治田原の山口殿に我らを受け入れてもらえる様、交渉に行ってもらえるか」
はッ!と、我に返る長谷川
長谷川「それなら、私が参りましょう。山口殿とは旧知の仲。良く知っております」
家康 「それは心強い。頼みます」
長谷川「お任せ下さい。私の役目は徳川様の案内です。徳川様を無事に三河へ送り届けるのも私の使命」
家康に頭を下げ、すぐさま宇治へ向かおうとする長谷川
茶屋 「あッ!長谷川様。私の馬をお使いください。宇治田原へは枚方より京田辺へ出て木津川を渡るのが最も早う御座います。渡しでは私の名前をお使い下さい。渡しの者達が協力してくれます。それと、店の者を案内役としてお付けします」
長谷川「それは有難い。ではッ!」
茶屋が乗って来た馬に跨り、茶屋の配下と共に駆け出す長谷川
茶屋 「徳川様にはこれより宇治田原まで、私が直接付き添います」
家康 「ところで茶屋。聞きたい事があるのだが」
茶屋 「何で御座いましょう」
家康 「甲賀に伝手は無いか?」
茶屋 「甲賀の信楽には懇意の取引が多くあります」
家康 「それはちょうど良かった」
茶屋 「成る程。近江、大和は明智側。宇治から甲賀を抜け、伊勢へ向かわれるのですな」
家康 「話が早い」
茶屋 「お任せ下さい。徳川様が甲賀へ着くまでに、この私が責任を持って、甲賀の国衆と話を付けておきます。それに、信楽小川城の多羅尾光俊様も織田様の家臣。確か、宇治田原の山口様とは血縁の筈」
家康 「それは運がいい。是非、頼む」
少し離れた場所にいる穴山一行
穴山 「ここからでは徳川が何を話しているのか聞き取り難い。誰か、聞こえた者はおるか」
臣1 「はい。どうやら、明智殿が謀反を起こした様です」
穴山 「明智殿が?で、どうなった」
臣1 「明智殿の事ですから、討ち漏らしは無いだろうと」
穴山 「結果は分からんのか?」
臣1 「それはまだ。とにかく、三河へ急いで帰るそうです」
穴山 「大変な事になった。大変な事になったぞ!」
臣1 「我らも甲斐へ急ぎましょう」
臣2 「しかし、我らは畿内に伝手がございません」
臣3 「我らはどうすれば」
穴山 「取り敢えず、徳川と行動を共にするのじゃ」
臣達 「はッ!」
家康に近づく穴山
穴山 「徳川殿、大変な事になりましたな」
家康 「穴山殿も聞いておられたか」
穴山 「我らも徳川殿と共に三河へ向かい、甲斐へ帰ろうと思っておるのだが、よろしいか?」
家康 「遠慮なくどうぞ。ただし、くれぐれも、遅れません様に」
穴山 「心得た」
冷たい表情で穴山一行を見る家康の家臣達
榊原 「で、どうします?全員が一緒に行動しますか?それとも、2隊か3隊に分かれて行動しますか?」
酒井 「ここは、全員一緒に行動した方がいいでしょう。少人数で行動すると、野党や明智に味方する地侍達に襲われる危険が高くなります」
家康 「そうだな。人数が多ければ襲う側も躊躇するだろう」
大きく頷く家臣達
家康 「まずは、牧方へ急ぐ!」
臣達 「はッ!」
急ぎ足で移動を始める家康一行。茶屋と話しながら歩く家康。
木津川の渡しで船の手配を始める茶屋
用意された船に次々と乗る家康一行
しかし、穴山一行の乗る船が用意されていない。
苛立つ穴山
穴山 「徳川殿、我らが乗る船が無いではござらぬか!」
家康 「穴山殿、我らは急ぎます故、これにて失礼いたす」
穴山 「待たれよ!徳川殿には我らを甲斐まで送り届ける義務がある筈。ここで置き去りとは、無責任ではないか!」
家康 「この家康、その様に言われる覚えはござらん」
穴山 「なにッ!」
徳川 「私は唯、穴山殿が上様に会いたいと言うので連れて来ただけ。もう、役目は済んでおります」
穴山 「徳川殿は織田様の同盟者ではありませんか!」
徳川 「ワシは信長様と同盟を結んだのであって織田と同盟を結んだのではない。その信長様が亡くなった以上、信長様と徳川の同盟は最早御座らん」
穴山 「何故、信長様が亡くなったと言い切れる!」
家康 「明智殿が謀反を起こしたのですぞ」
穴山 「うッ!」
悔しさを噛み締める穴山
徳川 「我らは先を急ぎます故、穴山殿も気を付けてお帰り下さい。では」
穴山 「あッ!お待ち下さい、徳川殿!」
次々と木津川を渡る家康達
穴山 「お、おのれ、徳川・・・・・」
無念を露わに立ち尽くす穴山とその家臣達。渡しに残る者に強い口調で確める穴山
穴山 「船はもう無いのか!」
渡者 「船が戻るのをお待ち下さい」
穴山 「それでは徳川達が行ってしまうではないか!」
渡者 「30人以上を渡すのに全ての船を使っていますので」
穴山 「くそ~、徳川め」
家臣 「殿。我らは、これからどうすればよいのですか」
穴山 「取り敢えず、船が帰るのを待つ。確か、徳川は宇治田原へ向かうと言っていた筈」
近くにいる渡しの者に問い掛ける穴山
穴山 「宇治田原は近いのか?」
渡者 「川を渡れば一本道で2里(8㎞)余りです」
穴山 「そうか」
厳しい表情で考え込む穴山
しかし、船は何時まで経っても対岸から帰って来ない。
穴山 「どうなっているのだ!船が一向に帰って来ないではないか!」
渡者 「そう申されましても、我々にも分かりません」
穴山 「何が分からんだ!」
怒る穴山。知らぬふりの渡しの者達
穴山 「ここで待っていても仕方が無い。我らはこれより京へ参る」
家臣 「京へ?」
穴山 「徳川は我らを甲斐へ送り届ける気は無い。明智殿を頼るのじゃ」
家臣 「明智殿を?」
穴山 「明智殿には安土の饗応で世話になっておる。しかも、今、明智殿は一人でも御味方が欲しい筈。喜んで迎え入れてくれる筈じゃ」
家臣 「成る程。では、早速、京へ向かいましょう」
穴山 「急ぐぞ!」
家臣 「はッ!」
気が付くと周りを武装した一団が囲んでいる。
穴山 「退け!我らは京へ行かねばならんのじゃ!」
囲みを抜け出る渡しの者達。じわじわと囲みを狭めていく一団
穴山 「お前達、唯の野盗ではないな!」
何も言わず刀を抜き、槍を構える一団
穴山 「さては、徳川の手の者か!」
川岸へ追い詰められる穴山一行
穴山 「待て!お前達、幾らで徳川に雇われたのか知らぬが、ワシは徳川の倍、いや、3倍出そう。しかも、ワシを甲斐の国まで送り届けるのなら、その後、家臣として召し抱えても良い。どうじゃ。悪い話ではあるまい」
何も答えず穴山一行に襲い掛かる一団
宇治田原へ急ぐ家康一行。前から長谷川が馬に乗って駆け戻って来る。
長谷川「徳川様!」
家康 「長谷川殿!」
一旦止まる家康一行
長谷川「お喜びください!山口殿は徳川様の来訪を快諾、迎えに向かっております」
家康 「長谷川殿のお働きに感謝します」
山口の率いる一隊が家康の前に到着する。
山口 「徳川様、良くぞ、ここまで無事に来られました」
家康 「山口殿。この度は世話になります」
山口 「ご安心ください。私も明智様の謀反を聞いて驚いたのですが、今のところ、明智様の与力衆にも動きは無く、明智様は一部の兵を京に残し、昼には近江へ向かったとの事。宇治は安全に御座います」
山口の用意した馬に乗る家康。家康一行は2日夕刻、宇治田原山口城へ着く。
夕食も終わり、部屋で寛ぐ家康一行
長谷川「何とか、ここまでは無事に来られましたな」
家康 「全ては長谷川殿の御かげ。お礼申し上げます」
長谷川に頭を下げる家康
長谷川「明日は甲賀になりますが、私が先行し、多羅尾殿と蒲生殿に徳川様の通行を知らせます。話がまとまりましたら知らせを送りますので、安全が確認でき次第、此処を御発ち下さい」
家康 「長谷川殿の御働きに感謝します」
長谷川「それでは徳川様。私は先に休ませて頂きます」
家康 「ごゆっくりお休み下さい」
家康に挨拶をして部屋を出る長谷川
それを待っていたかの様に部屋に入る井伊
井伊 「茶屋殿が参られました」
部屋に入る茶屋
家康 「苦労をかける」
茶屋 「いえいえ。此れしき、朝飯前に御座います」
周りを見渡す茶屋。家康にジワリと近づく。
茶屋 「穴山殿の事ですが」
周りを気にしながら小声で話す茶屋。耳を傾ける家康
茶屋 「武田の名跡に恥じぬ、見事な最期だったそうです」
家康 「そうか」
黙り込む茶屋と家康。近くにいた酒井が家康に問い掛ける。
酒井 「穴山殿が、どうかされましたか?」
家康 「自害されたそうじゃ」
酒井 「自害?」
黙って頷く茶屋。大きく息をして黙り込む酒井。
近くにいた家臣達も黙り込む3人が気になり話に加わってくる。
井伊 「そう言えば、穴山殿を見かけませんが、どうされたのですか?」
本田 「木津川の渡しまでは一緒だったのだが、その後、そう言えば、どうなったのだ?知っている者はいるか」
酒井 「野党に襲われたそうじゃ」
本田 「野党に?」
井伊 「穴山殿は家臣も含め7人でしたから狙われたのですかね」
黙り込む家臣達
井伊 「えッ?・・・・・・・あッ!」
何かを思い出したかの様に井伊も黙り込み、以後、穴山梅雪について語る者はいなくなる。
岡崎帰還後、家康は穴山の家臣達に梅雪自害を伝える。当然、穴山衆は家康を疑うが、今更
武田に戻る訳にもいかず、家康に臣従し、労せずして家康は穴山の領地と家臣を手にする。
6月3日、朝餉中の家康一行
酒井 「今朝方より、茶屋が長谷川殿と共に小川城の多羅尾殿、日野城の蒲生殿との交渉に向かっております」
家康 「多羅尾殿も蒲生殿も共に織田の家臣。長谷川殿の存在は心強い。上様は良い案内役を付けて下さった」
山口 「甲賀信楽の多羅尾光俊は私の父になります。長谷川殿には私の書状を持たせましたので、信楽での徳川様の受け入れは問題ありません」
家康 「山口殿のお心遣いに感謝いたします」
山口 「取り敢えず、甲賀の安全が確認できるまではこの城にお留まり下さい。何カ国も有する徳川様と違い、我ら田舎領主では30頭以上の馬を直ぐに揃える事ができませんので、その間に皆様方の馬を御用意致します」
家康 「お手数をお掛けして申し訳ありません」
山口 「ここから信楽までは6里(24㎞)。馬に乗れば一時半(3時間)とかかりません」
本田 「30頭以上の騎馬の一団ともなれば、野党がいても、そう簡単には手が出せないでしょう」
大きく頷く家康
山口城の門前に立ち落ち着かない様子で連絡を待つ井伊。既に正午を過ぎている。
一頭の馬が近づき、崩れ落ちる様に馬から降りる茶屋。
井伊 「茶屋殿が帰られました」
井伊に抱えられ部屋に入る茶屋
家康 「苦労を掛けた。大丈夫か?」
茶屋 「私にとって、徳川様への御奉公は快楽に御座います」
家康 「無理はするな」
茶屋 「ありがとうございます」
家康 「で、甲賀はどうであった」
茶屋 「はい。甲賀は織田様の伊賀攻めに組した側。話はすんなりと進みました」
家康 「それは良かった」
茶屋 「小川城の多羅尾様が徳川様の護衛として、国境まで迎えに来る事になっています。その後、伊勢の国境まで付き添う手配については、長谷川様が多羅尾様と詰めています」
家康 「難儀を掛けた」
茶屋 「いえいえ。徳川様の為ならば」
酒井 「これで、甲賀は心配ありませんな」
家康 「よし!今から甲賀へ向かう」
山口 「では、我らが甲賀の国境までお供仕ります」
家康 「かたじけない」
家康は甲賀での安全が確認できた3日午後、宇治田原から山口の率いる家臣団に守られながら馬で甲賀へ向かう。
山城と甲賀の国境。信楽小川の多羅尾光俊が甲賀衆を率いて待っている。
山口 「父上!」
多羅尾「おう。秀康。元気そうで何より」
山口 「徳川様に御座います」
後ろにいる家康を多羅尾に紹介する。
ゆっくり多羅尾の前に出る家康
家康 「徳川家康です。この度は世話になります」
多羅尾「徳川様。お初に御眼に掛かります。甲賀信楽小川領主、多羅尾光俊に御座います。以後、お見知りおきを」
二人の武将が多羅尾に続き家康の前に出る。
山岡隆「徳川様。お初に御目に掛かります。近江勢多領主・山岡景隆に御座います」
山岡佐「弟の山岡景佐に御座います。以後、お見知りおきを」
多羅尾「明智と所領を接する山岡殿は瀬田橋を焼き落とし、居城の瀬多城にも火を放ち、私を頼り甲賀へ逃れて来た次第」
家康 「瀬田橋を?」
山岡隆「明智の安土進軍を止める為に御座います」
自慢気な表情の山岡兄弟。
山岡佐「徳川様の甲賀での道中は、我ら山岡と多羅尾殿がお守りいたしますので、ご安心下さい」
自信たっぷりの山岡兄弟。
多羅尾「ところで、日野城の蒲生殿ですが、明智謀反を聞き、すぐさま安土城に赴き御台様をはじめ上様の御家族を保護。そのまま清州へ向かったので、今、日野城には留守居の者しか残っておりません。その為、今宵は、我が小川城にてお休みください」
家康 「御台様は無事なのか。それは良かった」
山岡隆「徳川様は我らがお守り致します故、安心して、お休みください」
黙ったまま頷く家康
3日夕刻、信楽小川城屋敷内
多羅尾 「間に合わせの物しかありませんが」
次々と運ばれてくる料理
多羅尾「山奥故、徳川様のお口に合う物がありますかどうか」
家康 「いえ。十分に御座います」
頭を下げて礼を言う家康
山岡隆「瀬田橋を焼き落としましたので、明智も暫くは動けますまい」
豪快に笑う山岡兄弟。愛想笑いの家康。
多羅尾「それでは、今宵は、安心してお休みください」
山岡隆「我らはこれにて、失礼いたします」
多羅尾と山岡が部屋を出るのをジッと見る家康
家康 「あの男、何を勘違いしておる」
酒井 「山岡殿ですか?」
家康 「橋を焼き落としたのが自慢か?」
酒井 「瀬田橋が無くなって困るのは明智殿ではなく、瀬多の領民です」
家康 「安土城は既にもぬけの殻。明智殿に何の影響がある」
酒井 「全く分かっておりませんな。しかも、自分の城にまで火を放つとは」
家康 「愚かな」
酒井 「ところで、明日の予定ですが」
家康 「出来れば、明日中に伊勢へ着きたい」
酒井 「大丈夫です。道中の安全さえ確認できれば、馬で甲賀を抜け、昼までに伊勢へ入れます。しかし、問題は、その後です」
本田 「何が問題なのだ?」
酒井 「伊勢・亀山より東海道で尾張を通るか、船で伊勢湾を渡るか、です」
家康 「・・・・・・・・・」
ジッと考え込む家康
榊原 「で、どちらが安全で速いのだ?」
酒井 「伊勢湾を船で三河の大浜へ渡るのが一番かと」
家康 「よし!船で伊勢湾を渡る」
一同 「はッ!」
酒井 「と、なりますと、船の手配ですが」
茶屋 「その心配は無用です」
後ろに置いていた箱を家康の前に出す茶屋
茶屋 「最期に物を言うのは」
箱を開く茶屋
茶屋 「金です」
一同 「おお~」
金を見て驚く一同
茶屋 「明日、私は一旦京へ戻ります。私の名前と、この金を遠慮なくお使い下さい。船の手配は直ぐに出来ます」
酒井 「流石だな」
榊原 「ところで、何処の港へ向かうのだ?」
酒井 「伊勢で最も船が集まるのは白子。亀山から白子へ向かいます」
家康 「よし。明日の夜明けと共に信楽を発ち、一気に伊勢を駆け抜ける!」
一同 「はッ!」
家康 「多羅尾殿に、信楽街道で東海道に出て伊勢に向かう旨、伝えてくれ」
榊原 「はい。私が知らせて参ります」
家康 「騎馬の一団が通る。街道沿いの宿場や村の者達が巻き込まれない為の手配も頼んでおいてくれ」
榊原 「はッ!」
部屋を出る榊原
6月4日早朝、信楽を発ち東海道で伊勢へ着いた家康一行は白子へ向かい、三河・大浜へその日の内に渡り、岡崎城へ無事帰還する。
後に家康はこの時の恩に答え、豊臣政権下で秀次事件に連座して失脚、謹慎処分となった多羅尾光俊を庇護。関ケ原の戦い後、甲賀に直接領地を持つ大身の旗本として復活させる。