第3話・決意
pixivに投稿した作品を修正・加筆したものになります。本能寺の変前後の1ヶ月を全18話にしました。
第3話・決意
5月28日夕刻、亀山城に戻った光秀達を斎藤が迎える。
斎藤 「お帰りなさいませ」
光秀 「うん。何か変わった事は無いか?」
斎藤 「はい。丹波衆の動員もほぼ終わっております。それと先程、安土より使いが来て、上様が明日、京へ向かわれる、との事です」
ドクンッ!と心臓が高鳴る光秀。動悸が激しくなるのが自分でも分かる。
斎藤 「徳川様接待役として、信忠様が2千の兵と共に妙覚寺にいるため、夕刻までに本能寺へ入られるそうです」
興奮した様に息が荒くなる光秀
斎藤 「殿。どうかされましたか?」
何も答えずにジッと前を見ている光秀に不審を感じる斎藤
斎藤 「出陣を控えているので迎えは不要、との事です」
光秀 「そうか」
怪訝な表情で光秀をジッと見る斎藤
斎藤 「殿?」
光秀 「・・・・・・・・」
明らかに光秀の様子がおかしい。
斎藤 「殿!」
ハッと我に返る光秀
斎藤 「いかがされました?」
光秀 「いや、何でもない」
斎藤 「どこか、お悪いのではないですか?」
光秀 「恐らく、山道で疲れたのであろう。心配を掛けてすまぬ」
斎藤 「本当に大丈夫ですか?」
光秀 「うん。ワシも、今日はこのまま寝るとしよう」
斎藤 「そうなさいませ」
そのまま食事もせずに床に就くが興奮して眠れない。
光秀 「ワシは今、悪霊にでも取り憑かれているのか?」
天井をジッと見る光秀。
考える事さえ許されない事が、自分の中でどんどん大きくなっていく。
光秀 「いかん!いかん、いかん、いかん!!」
頭を左右に振って思い浮かぶ考えを払おうとする光秀
光秀 「ワシは一体、何を考えておるのじゃ。いかん!絶対にいかん!!」
更に興奮して眠れなくなる光秀。眠れないまま29日の朝を迎える。
虚ろな眼差しの光秀の前に朝餉が用意されるが食が進まない。
斎藤 「どうされました?昨夜は余り眠られていない御様子ですが」
光秀 「うん。色々と考える事があってな」
斎藤 「殿の御心中、お察し致します」
光秀 「うん」
箸を置き、ゆっくり立ち上がり廊下に出て外を見る光秀
斎藤 「荷駄隊は既に準備を整えてあります。後は、出陣の日取りと編成を決めるだけです」
光秀 「そうか」
斎藤 「無理な動員は控える様に、との御指示に国衆達は感謝しておりました。しかし、その為、最終的に集まったのは1万3千程。近江衆を合わせても予定の2万には届かず、1万6千になります」
光秀 「今は田畑の管理の方が大事じゃ。それでよい」
斎藤 「はッ」
光秀 「あれから、上様の予定に変更は無いか?」
斎藤 「今のところ、特に連絡はありませんが、調べておきましょうか?」
光秀 「うん。頼む」
斎藤 「畏まりました」
光秀 「行軍の予定を決める。大将衆を集めておいてくれ」
斎藤 「はッ!」
部屋を出る斎藤
昼過ぎ、二ノ丸御殿大広間で軍議の準備を整えた斎藤は光秀を迎えに行く。
小姓 「あッ!斎藤様」
落ち着かない様子の小姓
斎藤 「どうした。殿に何かあったのか?」
小姓 「いえ。何かあったと言う訳ではないのですが、殿は朝からずっと座り込んだままなのです」
斎藤 「そうか」
大きく溜め息をつく斎藤
斎藤 「殿。軍議の準備が整いました。斎藤、入りますぞ」
襖を開け部屋に入る斎藤。ジッと一点を見たままの光秀。その前に座る斎藤
斎籐 「殿。最近の殿の様子は少しおかしく思います。何か、悩み事でもあるのではございませんか?」
光秀 「うん。実は、自分でもはっきりとせんのだ」
斎籐 「何がはっきりとしないのですか?」
光秀 「うん。それなのだ、問題は」
斎籐 「はあ?」
頭を捻る斎藤
光秀 「今、自分の中に二人の自分がいる」
斎籐 「要するに、どちらにするか、で悩んでおいでなのですな?」
光秀 「まあ、そう言う事だ」
斎籐 「で、その二人は何をしたいのですか?」
光秀 「うん・・・・・・」
黙り込む光秀
斎籐 「私にも言えない事なのですか?」
光秀 「うん・・・・・・」
返事が重い
斎籐 「それでは、私も相談に乗りようがありませんぞ」
光秀 「う~ん」
どうやら都合が悪く話辛い内容だと判断した斎藤は端的に問い掛ける。
斎籐 「今、殿が悩むとすれば、今回の出陣の事ですか?」
光秀 「実は、そうなのだ」
斎籐 「羽柴殿の目付に不満でも?」
光秀 「いや、その事ではない」
斎籐 「では、何を?」
光秀 「・・・・・・・・・・・」
厳しい表情で再び黙り込む光秀
斎籐 「思い切って言ってみると、気持ちも晴れるのではありませんか?」
光秀 「それもそうなのだが・・・・・」
このままでは話が進まないと判断した斎藤は強い口調で迫る。
斎籐 「殿!」
光秀 「うん。では、お前だから言う」
斎籐 「はい」
光秀 「実は・・・・・・・」
どうしても言葉が続かない光秀
煮え切らない光秀に大きく溜め息をする斎藤
斎籐 「殿。今更、何を迷われます」
諦めて話し始める光秀
光秀 「では、思った事を遠慮なく言ってくれ」
斎籐 「はい」
光秀 「実は、備中へ行く自分と、京へ行く自分がいるのだ」
斎籐 「えッ?」
光秀の返事に思わず戸惑う斎藤
光秀 「昨日からずっとその事で悩んでおる」
斎藤 「備中は分かりますが、京、ですか?」
光秀 「ワシは今まで、戦の無い平らな世を創りたいと思い戦ってきた」
斎藤 「それと京に、どういう関係が?」
光秀 「その為にワシは、多くの戦をし、多くの人を殺してきた」
斎藤 「それは何も、殿だけに限った事ではありません」
光秀 「しかし、その戦は本当に必要だったのか?」
斎藤 「と、仰いますと?」
光秀 「武田もそうだが、毛利も上杉も自分の天下を望んでいる訳ではない」
斎藤 「では、何故、戦をしているのですか?」
光秀 「それは、上様が従わせようとしているからだ」
斎藤 「ん?」
当然の事だと考える斎藤は頭を捻る。
光秀 「自分の思うがままにしようとする。だから、抗うのだ」
斎藤 「・・・・・・・」
それの何処がいけないのだと思いながら黙って光秀の話を聞く斎藤
一呼吸おいて話を続ける光秀
光秀 「皆、望んでいるのは安堵だ。争いではない」
斎藤 「確かにそうかもしれません。しかし、それも、上様が天下を統一すれば終わるのではないでしょうか?」
光秀 「はたして、そうであろうか?」
斎藤 「上様は力を誇示する事で戦を未然に防ごうとしています。私は、上様こそ、最も戦の無い世を望んでいると思うのですが」
光秀 「それはワシにも分かる。だが、問題は、そのやり方じゃ。何故、話し合いが出来ぬ。何故、相手の意見を聞いてやれぬ。何故、一方的に自分の考えを押し付ける?」
斎藤 「優しさの裏返しではありませんか?」
光秀 「その分かり難さが、多くの誤解と裏切りを生んできた。恐らく、これからも、戦は続くであろう」
斎藤 「それを巧く取り持っているのが、殿ではありませんか」
光秀 「正直言って、ワシはもう疲れたのだ。何も考えず、ゆっくり休みたいと思っている」
斎藤 「では、上様に暇願を?」
光秀 「それは許して貰えんだろう」
斎藤 「では、何故、京へ?」
光秀 「ワシは今、決して考えるだけでもいけない事を考えている」
斎藤 「考えてはいけない事とは?」
光秀 「今なら、上様を討つ事が出来るのではないか、と思っているのだ」
唖然とする斎藤
光秀 「まあ、驚くのも無理はない。所詮、戯言だ。忘れてくれ」
厳しい表情で考え込んでいた斎藤の目が輝く。
斎籐 「いえ、それは、良い考えです」
光秀 「えッ?」
予想もしなかった斎藤の返事に今度は光秀が戸惑う。
斎籐 「考えても御覧なされ。殿は上様から最も信頼されているからこそ、近江と丹波を与えられ、更に山城まで任されているのです。上様が数少ない供周りだけで移動するのも、殿が常に目を光らせているから」
光秀 「それが分かっているからこそ辛いのだ」
斎籐 「辛い御気持ちは分かりますが、何も恥じる事ではありません。むしろ、この機会を逃す事こそ、恥でございます」
光秀 「そう思うか?」
斎藤 「はい」
迷う光秀をジッと見ながら話を続ける斎藤。
斎藤 「今、織田家の主な家臣は皆、前線に赴いています。この畿内において、軍勢を動かせるのは殿だけです。もし、何事かが起きても、敵と対峙していれば直ぐに引き返す事は出来ません」
光秀 「う~ん」
大きく吸い込んだ息をゆっくり吐きながら唸る光秀
斎藤 「この様な好機。恐らく、二度とありますまい」
二人の間に沈黙が続く。前年の天正9年、光秀は明智家中法度を制定し織田家への忠誠を誓っている。その忠臣が故の悩みを理解した斎藤は、光秀に一つの提案をする。
斎藤 「殿。殿が迷われているのならその決断、いっその事、私に任せて頂けませんか」
光秀 「任せる?」
斎藤 「はい。上様を討つか討たないかの判断を私に任せて欲しいのです」
光秀 「う~ん」
更に迷う光秀。その表情に、光秀が思い倦ねていると感じた斎藤は具体的に話を進める。
斎藤 「宜しければ、私に、1000の兵をお与え下さい」
光秀 「1000?」
はっきりとした数字を示された事に反応する光秀
斎藤 「はい。上様は今、100人程の僅かな小姓と供周りしか従えておりません。上様がお泊りの本能寺は東西一町(109m)南北二町(218m)。しかも、防御に堀を巡らせた為、出入りは表と裏の2か所だけ。堀に沿って兵を並べる必要はありません。門に200ずつ配して400,攻め込むのに600、都合、1000です」
光秀 「たった1000でよいのか?」
斎藤 「はい。寺の中からでは全軍の様子は分かりません。速さを優先します」
光秀 「しかし、今日、明日の内には上様の馬廻り衆が到着する筈じゃ」
斎藤 「上様に同行する馬廻り衆は1500から2000。本能寺では狭すぎる為、これまでも分宿しています。恐らく、今回もそうなるかと」
光秀 「う~ん」
考え込む光秀。しかし、前向きな表情になったと感じる斎藤
斎藤 「万を超える全軍で向かえば移動と体制を整えるのに時がかかり、分宿する馬周り衆に気付かれてしまいます。あの逃げるのが上手い上様の事。異変を感じれば必ず脱出を計ります。もし、全軍で向かい、討ち漏らしでもすれば、それこそ、一大事では済みませんぞ!」
光秀 「討ち漏らしか。それが一番怖いな」
斎藤 「しかし、その点の心配は無用です」
光秀 「無用?」
斎藤 「先程も申した様に、謀反は私の判断で起こすのです」
光秀 「どう言う事だ?」
斎藤 「殿は一切、関係御座いません!」
光秀 「しかし、上様がそれを信じるか?」
斎藤 「そのための1000。先鋒の私が急に向きを変え京へ向かったのを知り、慌てて殿が追いかけて来て異変に気付く。上様は殿の言葉なら信じます」
光秀 「そうだろうか?」
斎藤 「それに、長曾我部の件で、私には上様を討つはっきりとした動機があります」
光秀 「とは言え・・・・・」
斎藤 「私を捕まえ上様の前に突き出して下さい。そうすれば、私は大声で上様への恨み辛みを捲し立てます。上様は逆上して、自らの手で私を成敗するでしょう」
光秀 「斎藤・・・・・・・」
斎藤 「兵は近江衆を連れて行きます。もし、討ち漏らした場合は直ぐに近江へ逃がします」
光秀 「うん。そうだな」
斎藤 「近江衆3000の内、2000は殿が従えています。私の従える1000は何も知らされずに私の命令に従っただけ。殿が寛大な処置を上様に願えば、上様も厳しい処分はしないでしょう」
光秀 「確かに、お前の言う通りかもしれん」
斎藤 「まだ暗い内では夜陰に乗じて逃げられる可能性があります。決行は明るくなる夜明けを待ってから。馬廻り衆が異変に気付き、集まって来るまでに決着を付けます」
光秀 「妙覚寺の信忠様も2千の兵を従えている。直ぐに本能寺へ駆け付けるのではないのか?」
斎藤 「妙覚寺からでは更に、こちらの全軍の様子が分かりません。自分達も狙われていると思い、迂闊には動かないでしょう」
光秀 「守りに入るか」
斎藤 「我らが狙うは上様のみ!」
光秀 「うん。で、その決行はどうやって決める?」
斎藤 「決行は、上様の滞在が確認できた時だけです」
光秀 「確認できるのか?」
斎藤 「はい。私が本能寺へ向かう理由は、殿の名代として備中出陣を報告の為。上様への挨拶を申し出た時の門番の対応で、上様が滞在しているかどうかが分かります」
光秀 「成る程。確かに」
斎藤 「もし、上様がいなければ、門番に出陣の挨拶に来た事を知らせる様に頼んで引き返します」
光秀 「引き返す、か・・・・・」
斎藤 「まだ、迷われているのですか?」
光秀 「謀反、と言う言葉が、ワシにはどうしても引掛かるのだ。上様の信頼を裏切る事になるのが辛い」
斎藤 「見事、上様を討ち取れば、殿が天下人ですぞ」
光秀 「天下人・・・・・か」
斎藤 「そうです。殿が上様になるのです」
強い眼差しで光秀を見る斎藤
斎藤 「殿が上様になれば、もう、無駄な戦は無くなるのではありませんか?」
考え込む光秀
斎藤 「殿。もう、これ以上は迷われますな」
光秀 「・・・・・・・・・・」
迷う光秀。決断を迫る斎藤。
斎藤 「殿!!」
光秀 「よし!ワシも心を決めた。もう、後へは引かぬ」
斎藤 「見事な御覚悟。殿が天下人になられた暁には、必ずや、平らなる世が実現するでしょう。この斎藤利三、命を懸け、殿に御奉公致します!」
光秀 「うん!」
大きく頷く光秀
二ノ丸御殿内で行軍の編成が決められていく。斎藤は前軍先鋒として1000の近江衆を従え、残る2000の近江衆は中軍本隊として光秀に従う。丹波衆は京に近い村を治める国衆から順番に前、中,後軍と分けていく。そこへ、京に信長の予定を伺いに行っていた家臣が早馬を蹴り帰って来る。
家臣 「申し上げます。上様は明日、6月1日、本能寺にて茶会を催すとの事」
光秀 「そうか」
家臣 「本日、上様の馬周り衆2000も京へ到着しましたが、分宿するそうです」
光秀 「2000が分宿か」
これは正に天が与えた好機、と思った斎藤は大きく頷き光秀を見る。光秀も斎藤を見て大きく頷く。
光秀 「では、出陣の日取りじゃ。斎藤が2日の朝、本能寺の上様へ出陣の挨拶をしてから備中へ向かう。その為、夜分の行軍となるが、1日の夕刻にこの城を出る。皆、充分な休息を取り、明日の出陣に備えよ!」
臣達 「はッ!」
謀反の企てを知っているのは光秀と斎藤のみ。
日本史に残る大事件に向かうとも知らず、出陣の準備を始める家臣達
歴史的瞬間が刻一刻と迫る。