第2話・愛宕百韻
pixivに投稿した作品を修正、加筆したものになります。本能寺の変前後の1ヶ月を全18話にしました。
第2話・愛宕百韻
家康饗応取り止め翌日の5月17日、近江坂本城に帰った光秀は、丹波と坂本に陣触れを出し出陣準備を始める。西国の雄、毛利との決戦である。秀吉の書状によれば毛利の兵は8万。秀吉の事なので、信長に救援を求めるからには毛利の兵力を多めに見積もっているに違いない。田植えを控えたこの時期、毛利に8万もの動員が出来るとは思えない。精々5万がいいところか。しかし、状況は自分達も同じで無理な動員は出来ない。取り敢えず、光秀は配下の丹後・細川、大和・筒井と摂津の池田、中川、高山、塩川に出陣を命じ、計4万の動員を計る。秀吉の率いる2万と合わせれば6万。兵力に問題はない。問題ないのだが、それが光秀には心配だった。京や安土で異変が起きた場合、直ぐに信長を守れる者がいなくなってしまう。信長が僅かな供周りだけで移動できるのは光秀が目を光らせているからだ。
光秀 「ワシがいなくなれば、誰が上様を守る・・・・誰が・・・・」
光秀には、それが不安だった。
慌ただしく出陣の準備が進められている坂本城御殿内。
光秀と重臣達が集まっている。
斎藤 「徳川様の饗応、お疲れ様でした」
重1 「上様の御命令ですから我々も疲れましたぞ」
重2 「しかし、何とか無事にお勤めが果たせ、一安心です」
斎藤 「それよりも今回の備中、また、急な出陣ですな」
光秀 「上様に『助けてくれ』と毎日の様に催促が来ているそうじゃ」
斎藤 「まあ、相手は毛利。西国一の大大名ですから、武田の比ではありません」
光秀 「今回の出陣は表向き援軍ではあるが、木下の目付が主な役目じゃ」
斎藤 「今は羽柴でございます」
光秀 「そうであったな。ころころと名前を変えおって」
斎藤 「殿は今回の出陣に不満でもおありですか?」
光秀 「不満、と言う訳ではない」
重1 「羽柴殿の配下ならともかく、あくまでも目付としての援軍です」
重2 「ただ、毛利との戦となれば、今まで以上に苦戦を強いられるのは必定」
重3 「羽柴殿の戦ぶりを物見遊山とはいきますまい」
重1 「我らにも、それなりの覚悟が要りますぞ」
光秀 「その代わり、上様は今回の毛利攻めが終わると、石見と出雲の2国を与えると約束してくれた」
斎藤 「石見と出雲とは、また、えらく気前の良い話ではありませんか」
重2 「丹波からすれば大幅な加増です」
重3 「石見と言えば銀山。銀山の価値は禄高には表れませんからな」
重4 「それは楽しみじゃ。遣り甲斐がありますぞ」
光秀 「うん」
重臣達は喜んでいるが、斎藤には何か悩んでいる様に見える光秀
斎藤 「どうされました?余り嬉しそうに感じませんが」
光秀 「いや、何でもない」
光秀の返答に怪訝な表情の斎藤
5月26日早朝、坂本で3000の兵を整えた光秀は丹波亀山城へ向かう。当然、兵を伴って京を通らなければならない。洛中を避ける為、五条大橋を渡り京の町に入った光秀は南下して七条通りを丹波口へ向かう。馬上で揺られながら違和感に囚われる光秀。
光秀 「・・・・・・・・・」
いつもの道、見慣れている筈の景色。しかし、何かが違う。嬉しそうに光秀を見上げる人々を見て、何故か胸の高鳴りを感じる。
光秀 「なんじゃ、この気持ちは・・・・・」
このまま行けば夕刻には亀山城へ着く。それなのに、どうもスッキリしない。
光秀 「ワシは興奮しているのか?・・・・何に・・・・」
桂川を渡河し、新しい草鞋に履き替えさせながら休憩を取る。再び動き始めた隊列は山陰道を西へ進む。亀山へは老ノ坂を超えるだけである。馬上で何度も振り返り京を見る光秀。
光秀 「何があるのだ。一体、京に何がある?」
夕日に向かい隊列が進む。光秀の帰りを喜ぶ家臣達。亀山城では初めて丹波を訪れる近江衆に夕餉の催しが行われた。
光秀 「遠路、ご苦労であった。贅沢な物は出せぬが、許してくれ」
近衆 「何を仰います。足軽に至るまでこの様なおもてなし、ありがとうございます」
光秀 「そう言ってくれると有難い。遠慮はいらん。今宵はゆっくり、酒でも飲んで休まれよ」
近衆 「しかし、ここは御殿内。我々の様な者が入れる場所ではありません」
光秀 「案ずるな。城内だけではなく、城下の神社や寺も集まって来た丹波の国衆で溢れておる。もう、ここしか開いておらんのじゃ」
近衆 「では、殿は何処で休まれるのですか?」
光秀 「ワシには何処ででも寝られる特技があってな。その心配はいらん」
近衆 「なんと勿体ない。我ら近江衆、命を懸け、殿に御奉公致しますぞ!」
光秀 「かたじけない」
女中達が慌ただしく食事を運ぶ。が、とても間に合わないので家臣達も酒を運ぶ。
盛り上がる御殿を満足気に出る光秀。
斎藤が心配そうに近づく。
斎藤 「明日は愛宕神社に参らねばなりません。殿も少し休まれてはいかがですか?」
光秀 「うん。そうするとしよう。ワシも少し疲れた」
斎藤 「そうなさいませ。どうも今の殿には、何時もの様な聡明さが御座いません」
光秀 「そう見えるか?」
斎藤 「はい」
光秀 「確かに、そうかもしれんな」
斎藤 「で、何処で休まれますか?城内にはもう、天守しか空いている場所はありませんが」
光秀 「良い場所が空いているではないか」
斎藤 「では、早速、お休みの支度をさせます」
光秀 「そうしてくれ」
床に就くがなかなか眠れない。京を通る時のあの興奮は何だったのか、何故か嫌な胸騒ぎがする。空気が重い。今にも押しつぶされそうだ。うつらうつらと迎えた27日の朝、朝日に照らされた愛宕山が見える。
光秀は嫡男・光慶と側近4名の6人だけで愛宕山に登る。愛宕神社に祀られている勝軍地蔵菩薩は軍神として崇敬を集めていた。
光秀 「急な事なので来られる者だけで良い。4,5人もいればいいだろう」
出発前、光秀は連歌会を28日に開き、百韻を詠んで先勝祈願をする事を決め連歌師に参加を求める。求めに応じたのは里村紹巴など4名の連歌師だったので、2名の愛宕権現住職に自分と嫡男、1人の側近を加え9名で百韻に臨んだ。参加した連歌師達も、単に光秀からの謝礼目当てで、光秀と特別関係が深かった訳では無い。光秀一行は蒸し暑い梅雨時の為、軽装で山道を登る。
側1 「殿!簡単な出で立ちで良いと仰っても、もし、今、敵に襲われますと、我らひとたまりもありませんぞ」
側2 「近江、山城、丹波は殿がしっかりと押さえていますので心配は無用と思いますが、もう少し、警戒された方が良いかと思います」
光秀 「そうじゃな」
どことなく上の空、と言う感じで簡単に答え、石段を踏みしめる様に登る光秀
光秀 「うん。なるほど。そう言う事か」
急に立ち止まり納得した様に頷き石段に座る光秀。家臣達も小休止に入る。
側3 「何か分かったのですか?」
光秀 「いや、上様じゃ」
側4 「上様?」
光秀 「上様は兵を伴う事を嫌い、安土と京を何時も僅かな供周りで行き来されておる」
側1 「それは、殿が周囲に目を光らせているからではありませんか?」
側2 「上様も安心しての事と思われます」
光秀 「確かにそうかもしれん。だが、それ以上に、上様は泰平を感じられているのではないかと思うのだ」
側3 「上様が、ですか?」
側4 「平らなる世は万人の願い。上様にとっては、それを実感できる行動、と言う訳ですか?」
光秀 「こうして、僅かな人数で歩いているからこそ分かるのだ。上様の気持ちが」
側1 「成る程」
側2 「争いの無いのが一番ですからな」
光秀 「その争いを最も嫌っているのが上様なのじゃ」
側1 「あの、上様がですか?」
光秀 「上様は忍耐強いお方じゃ。それ故、我慢の限界を超えた時の怒りが激しくなる」
側2 「しかし、それは、上様の身近に仕える殿だからこそ分かる事」
側3 「本願寺などは上様の事を『第六天魔王』と罵っております」
光秀 「ところが、その『第六天魔王』。上様はまんざらでもない御様子でな」
側4 「誉め言葉ではありませんぞ」
光秀 「最近では自ら『第六天魔王』を名乗っておられる」
側1 「上様らしいと言えば上様らしいのですが」
光秀 「人は悪い面だけが強調され記憶に残る。上様は激昂するから誤解され易いのじゃ」
側2 「確かに、我らにも上様が怖いと言う印象は余りありません」
側3 「どちらかと言えば、何時もお優しい感じがします」
側4 「裏切られても許すなど、誰にでも出来る事ではありませんからな」
納得して頷く家臣達
側1 「それにしても、権現様はまだですか?」
側2 「我らはもう、疲れましたぞ」
石段を見上げため息をつく側近達
側3 「軟弱な。拙者はまだまだ平気じゃ!」
腰を叩いて立ち上がる側近3
側4 「何を強がっておる。お主も足がフラフラではないか」
笑いながら石段を登り始める光秀主従
光秀一行は27日の夜は愛宕神社に泊り、28日、西坊威徳院で連歌会を催し百韻を神前に奉納、夕刻までに亀山城へ戻る。慌ただしい行程に感じるが、光秀にとってはとてもゆったりとした時間だった。
光秀 「一体、あの興奮は何だったのだろう」
本能寺の変の後、あまりにも手際の良い秀吉の行動に人々の疑念が集まった。このままではまずい、と、なんとか噂を払拭したい秀吉は自分の正当性と活躍を喧伝しようと、直ぐに本能寺の変の顛末を『惟任退治記』と題して御伽衆に書かせる。
人々が最も納得しやすい謀反の理由になる怨恨についての話はいくらでも創れる。更に、はっきりとした証拠になる様なものがあれば良いのだが、それが中々見つからない。何かないかと探していた秀吉は本能寺の変の直前、光秀が愛宕神社で先勝祈願の連歌会を開いていたのを知り、これは使える、と目を付け、奉納されていた光秀の『愛宕百韻』の提出を愛宕神社に求める。しかし、愛宕神社は「権現様への奉納である」として断わる。何とかして確認したい秀吉は「愛宕神社が光秀と謀反を企てていたので比叡山と同じ様に焼き討ちをする!」と言って脅し、『愛宕百韻』を提出させる。しかし、これと言って謀反を伺わせる様な句が見つからない。仕方なく秀吉は御伽衆に命じ、光秀の決意表明になる様な句を作らせる。それが世に有名な
『時は今、あめが下しる、五月かな』
秀吉はこの句を、天下取りを狙う光秀謀反の決定的証拠の発句として『愛宕百韻』を書き写させ、奉納されていた懐紙を焼き捨てる。その為、『愛宕百韻』は写本しか残っていないので、光秀が詠んだ本当の発句は永遠に解明が出来なくなってしまった。秀吉は連歌会に参加していた連歌師達を呼び、控えていた下書きの提出を命じて代わりに写本を渡し内容を確認させる。しかし、当然ではあるが、連歌師達に改竄された内容を否定する者はいなかった。連歌師達にとっては光秀の擁護よりも自分の命の方が大切である。秀吉は『土岐氏の末裔である自分が天下を治めるべき5月になった』と言う解釈まで付け、『惟任退治記』を公式の報告書として大量に作り積極的に配布。特に公家達には何度も読む事を強要。愛宕神社には懐紙消失の弁済として銀子を添え、発句を書き換えた写本を返納する。