生きる意味はどこにあるのだろうか
いつか死ぬときのことが楽しみだ
いったいどのくらいの人間が僕の死を悲しんでくれるだろうか
1かそれとも10か、あるいはもっと多いか
逆に0か
人間の生きていた証はどこにあるのだろう
そんなことを昔から考えている
人に忘れられなければ生きていたといってもいいのだろうか
人一人死んだ程度で世界は何も変わらなくて、有名人になったっていずれ忘れられる
そんな人生に対して希望なんて抱けるはずもなく、昔から物事を悲観的に見てしまう
きっとネガティブの世界大会があったら参加賞くらいはもらえると思う
いつからかわからないけど、気づいた時にはもうすでに人生を楽しめなくなっていた
いったい何がきっかけでそうなったのかは僕にもわからない
ただみんなと同じように生きていただけなのにいつの間にかこうなっていた、これは恐怖でしかない
確かに人より少しくらいは成長が早かったかもしれない、とは言ってもそんな世界的に有名はいわゆる天才という人たちには到底かなわない
なぜ人生にこんなにも失望してしまったのか
これを解明するのが僕の夢でもある
だからそう思い始めた時からずっと夢のために思考を続けている
最近分かったことがある
人は死んでもすぐには死なないということだ
どんなに嫌われている人間でも、1人くらいは覚えてくれる
たとえ1日だけであっても必ずだ
そういう意味では生きる意味があるといえるかもしれない
でも考えてみてほしい
そのたった一日のために行きたいと思うだろうか
僕はそうは思わない
別に富も名声もいらない
ただ生きていたという事実を残したい
でもそれは僕が死んだらきっとなくなって解決策なんて見つかりはしない
もう考えるのをやめたほうがいいのかもしれない
こんなことを考えても何にもならないし、どうせなら一度きりの人生を何も考えずに楽しんだほうがいいのかもしれない
それが人生の正解なのかもしれない
でもそうすると次の問題が発生する
それは今までの人生が無駄になるということが
思考力が身についたという点では無駄にはならないだろう
しかし、物事には結果よりも過程が大事だということもある
あ。そうか
人生も過程が大事なのだ
生きていたという事実よりも生きているという今が大事なのかもしれない
これはあくまでも僕が今ふと思ったことだから、理論的に言えはしないけどむしろそれでいいのかもしれない
生きる上では理論よりも感情論のほうが役に立つことがある
直感で助かるということもある
人間の直感は案外すごいものだ
生きることに対する長年の思考を一時の直感で捨てるのはもったいないかもしれないが、僕の人生だ
時間は好きに使わせてもらう
とりあえず生きることに意味を持たせようとすることはやめたほうがいいかもしれないということだけ覚えておこう
今を全力で楽しめば知らないうちに人生を終えているかもしれない
それこそ死ぬということは死ぬまではわからないのだから