好きになるということ3
信頼と実績➖由香里
あぁもう無理。まただ。もう退会届申請するのヤダよ。この教室に配属されたものの、前任の講師が素敵過ぎて私はお呼びじゃなかったみたい。私の責任じゃないのに。ただ前任の講師が退職するから後任に私が来ただけなのに。そりゃ私にはまだ経験値はさほどないけどさ。戦う前に負けを宣告されてるようなもんじゃん。仕事させてよ。本来の業務よりも余計な仕事ばかりしてるわ、つまんない毎日。
毎日毎日授業が始まる前、というか生徒が来る前は喫煙所の壁にもたれながらタバコを吸う。業務が終わった後も同じようにタバコを吸う。ため息と一緒に煙を吐き出す。思ったような仕事が出来ない。もう辞めようかな。それしか考えてなかった。
そんな私の様子をいつも見ていたのが隣の会社の社長。私が教室の掃除して一服しようと喫煙所に向かうと必ず後から現れる。何なの、このおじさん、ぐらいにしか思ってなかった。まあ、悪い人じゃなさそうだけどっていうぐらいかな。
私の職場はマンションの一室。だけど居住用というよりかは事務所として使ってる人が多かったな。私が働く学習塾の隣は、その社長が経営する広告代理店。その隣は美容室。塾の向かいはパソコン教室。他に介護関係の事務所もあったかな。喫煙所でよく会う人とは割と仲良くなって話をするようになった。その中の一人に社長がいた。
「お疲れ様です。いつも夜遅くまで大変ですねぇ。」そんな感じでいつも声をかけられた。
20代の女が一人で子供相手に奮闘してるのが可哀想に見えたのか、壁にもたれて煙を吐き出している姿が酷すぎたのか、なんか同情されていた。
彼の名前は佐々木康太郎。歳は私より20も上だった。独身だって言ってたけど、本当のところはどうなんだろう。私はバブル世代ではないけど、佐々木さんはちょうどその世代で広告業界だから、うまく時代の波に乗ってきたんだろう。いかにもって感じでギラギラしてた。私はその辺りにちょっと引いてたのかな。彼の第一印象はあまり良くなかった。
「中野さんの力になりたい。」っていう主旨のことも何度も言われた。何?私何かされる?怖いなあと思いながらも、飲みに誘われると断れなくて行ってしまった。そうやって何回か飲みに行くうちに、なんとなく付き合うことになった。
佐々木さんのことを、友達との飲み会で話す機会も増えた。
「それでそれで?何て呼んでるの?こうちゃん?やだー、私の大切な由香里が取られたー。」アユがやきもち焼きながらもいろいろ聞いてくる。
「佐々木さんとか、社長って呼んでるよ。」恋人という実感がないから名前で呼ぼうとすらしてなかった。
「最近さぁ、優子さんラインはみんな不倫してるんだけど、まさか由香里も不倫じゃないよね?」確かに優子さんも、サークル内で優子さんと仲が良かった千佳さんも、優子さんの学部友達だったクミさんも不倫してるという話を聞いた。絢香は私のことも心配になったらしい。
「歳が20離れてるっていうだけだから。私の場合。彼は独身みたいよ。だから不倫じゃない。バツがついてるかは確認してないけどさ。でもあの年齢で結婚したことなかったら、それはそれで問題だよね。彼に何か欠陥があるかもしれない。」飲み会だからって私も好き勝手言っちゃってる。
サークル仲間との飲み会にも、高校の時の友達との飲み会にも佐々木さんを連れて行った。いきなりおじさん連れて来てドン引きだろうと思っていたけど、みんな自然に受け入れてくれた。なんて素晴らしい仲間たちなんだ。いきなり「コウさん」と呼び始めるし。私なんてまだ名前で呼んでないのに。おかげで彼も楽しむことができたようだ。
私は友達が多い方じゃないけど、良い友達に恵まれていると思う。「友達を見れば由香里ちゃんがどんな子かわかる。みんな素直で良い子ばかりだ。俺の目に狂いはなかった。」佐々木さんにそう言われたことがある。まあ、間違いじゃないよね。人柄の良さが出ちゃうよね。佐々木さん、見る目あるよ。
私は社会的に信頼も実績もないけど、人間としてはなかなかイケてると自分で思っちゃってる。
だけど佐々木さんと付き合えば付き合うほど、彼のことを知れば知るほど自分の想像を遥かに超えてくる衝撃の事実に直面するので、彼とこのままずっと一緒にいていいのか、それとも二度と会わない方がいいのかと悩まされる日々がしばらく続いていた。普通の人なら滅多に経験しないことを私は経験することになる。まあ、このことが後々良い社会勉強になったから結果オーライだけどね。