チクワはザリガニのえさ
「なんで百合子ふったかっつったら、あいつよ、マジねんだわ」
「小池捨てるとかもったいねw」
「顔も体も性格もまあまあんだけど、飯がひでえの」
「下手なのか」
「チクワばっか食わせんだよ」
「チクワ好物は草」
「んだろ。ババアかっつんだよ」
「我慢したれやw」
「おでんだろ天ぷらとか焼きそばとか味噌汁あと弁当のおかず」
「それくれー我慢できんじゃん」
「いやいや焼き煮る鍋汁サラダぜーんぶチクワ入れてくんだわマジキショすぎんだろ」
「キショいはひでえw」
「てめえはザリガニかっての」
「ザリガニwwwクッソwww」
「チクワとかザリガニのエサだろマジで」
等といったあまりにも酷い会話が録音された音声データが現在ザリガニネットを騒がせております。
これは一週間前に遠い宇宙の果てから電波に乗って届いたもので大変貴重で価値が高いのですが、ザリガニの怒りはそれを遥かに上回っております。
このやり場行き場のない怒りをザリガニはどう受け止めれば良いのか現在も議論が絶えることはありません。
また、遠い異星ザリガニに対するヘイトスピーチも日に日に過激さを増しており、ザリガニ防衛軍の動きにも注目が集まっています。
電波の発信元となる惑星へ先遣隊を派遣し、謝罪と和解を求める計画が進んでいると話す専門家もおります。
果たして、このチクワ論争はいつまで続き、どのように収束するのか。
ザリガニは今日も議論を熱くして期待しております。
「親父。これを聞いてくれ」
一週間前。
アマチュア無線を趣味とする一匹のザリガニが、何の偶然か因果か地球から飛んできた奇妙な電波を傍受した。
奇妙というのは暗号化されていたためだ。
彼は持ち前のハサミとスキルで暗号の解読に成功した。
それは地球一個人の通話だった。
その内容を聞くや褐色の体はみるみるうちに赤みを濃く深くした。
さっそく父親ザリガニへ音声データを聴かせた。
「許せない」
父親ザリガニの静かな一言は今までに聞いたことのない怒りと憎しみが含まれていた。
「チクワをエサなどと嘲笑するザリガニはザリガニじゃねえ」
「俺達の遠い先祖の頃から命を繋ぐ欠かせない食料だからな」
「おうよ。これがねえと生きていけやしねえ。ザリガニはチクワのおかげで栄養不足が改善して、いまや三百億を超えるまでに繁殖することが出来た」
「親父……!俺ほんと許せねえ!!」
「俺もだコンチキショウ!!」
彼らは長らくハサミをチョキチョキして怒りに苦しんでいる。
古い歴史を持つチクワ匠の一家なのでプライドが高かった。
ザリガニはニュースで軍の計画が発表されるや独自に努力して、早二十年が過ぎた。
ついに先遣隊のメンバーとして選ばれた。
しかし、向かうのは彼一匹。
ザリガニワープシステムは二十年の歳月を費やしても完成には足らなかった。
その間、憤怒は獰猛に凶暴性を増して、チクワ暴動によるチクワ恐慌と発展して世界は未曾有の危機に陥った。
とうとうストレスから縄張り争いへ、そして共食いに至ったのだ。
残るザリガニは百億を切った。
時間は無い。
「んだよ誰だよ。うっせえな!ぶっ殺されてえんかてめえ!!」
昼の二時に激しくドアを叩かれ昼寝から起こされた不機嫌な男は怒鳴りながらドシドシ歩いて、玄関のドアをこれでもかと勢いよく開けてやった。
三発はぶん殴ってやるつもりだった。
ザリガニだった。
右から、ぬっと現れた三メートルはあろうザリガニはハサミを高く上げて威嚇した。
「死ねええええええええええ!!!」
ザリガニの第一声はそれだった。
プロレスラーの叫びと変わらない。
デスルックスとデスボイスに圧倒された男は腰を抜かして尻を強かに打った。
ザリガニは強引に玄関へ押し入った。
男は気を失った。
「という訳だ」
ザリガニのハサミに挟まれて目を覚ました男は涙を流してザリガニの事情を聞いた。
可哀想だからではなく恐くて泣いた。
チクワを馬鹿にしただけで一か月後によもや宇宙ザリガニが殺しに来るなど誰が予想できようか。
「さーせん。殺さんでくらさい」
男は惨めにも泣きじゃくりながら謝罪した。
ザリガニに表情はない。
口がウジョウジョしているばかりだ。
しばし間を置いて言葉を発した。
「殺そうとまでは思わん。半殺しに留めるつもりだ」
「はあ!?ザッケンナ!なんでチクワ馬鹿にしただけでんなことなんだよ!マジざっけんなよてめえよお!離せってクソがあ!!」
「黙ってろ」
ハサミの圧が凄い。
冷蔵庫はひしゃげた。
男は暴れるのをやめてうつむいた。
「気が変わった」
「あ?」
「ザリガニは初め謝罪と和解を求めていた。これは個人的な、とは言え、現在となっては全体的な怒りになるがまあいい」
「何わけわかんねーこと言ってんだてめ」
「許してほしいか」
ハサミの圧は限度を超えてきた。
骨は砕けて内臓は潰れる。
嫌な想像を思い起こさせるほどの痛みに男は鼻息を荒くして唸りながら頷いた。
「お前を今から故郷へ連れて行く」
「あ?おいおいおいちょ待てや!訳わかんねーこと言ってんじゃねぞコラ!」
「威勢がいいのは結構だ。ザリガニも威勢はいい方だ。すぐに馴染めるだろう」
「誘拐して何するつもりあんだよ」
「決まっているだろ。お前を立派なチクワ匠にしてやる」
「ああああああん!?」
「精一杯働いて贖罪しろ」
「チクワしょーとかなんとかなりたかねーよバアカ!!」
「てめえをここでチクワにしてやってもいいんだぞ」
男は諦めた。
もうザリガニの世界で生きるしか道は無いのだ。
「俺さ、今日からザリガニの世界でチクワしょー?として生きることんなったから」
「はwww急にどうしたお前www」
「バカでっけえザリガニが復讐に来た」
「クソwww変な冗談やめろwww」
「マジだから最後にダチのお前に連絡してんだよ」
「泣いてんのかお前。どした」
「うっせえわ。とんかく今まで世話んなった。そんだけ」
「おう。ザリガニと幸せになwwwwww」
「死ねえ!!!」
男は思わずスマホをザリガニに投げつけてしまった。
反撃されるかと一瞬、小さく身構えたが、ザリガニはスマホをハサミでバキメキシコに砕いて長い溜め息を吐いた。
「嫌な友達だな。お前の日頃の態度が悪いのもあるかも知れんが、さすがに哀れんでやるよ」
「ほっとけザリガニ野郎」
「ザリガニさん、な」
ザリガニは元カノとの思い出の写真をハサミで台無しにした。
それで何だか吹っ切れたみたいだ。
男は大人しく言われるがままに荷物をまとめると公園に移動して、子供達が群がる葉巻型のザリガニ宇宙船へ素直に乗り込んだ。
「時空を越えるから秒で着くぞ。心の準備はいいか」
「準備もクソもあっかよボケ」
「ワープ技術は未完成なんだ。下手したら一緒に死ぬかもな」
「は?なめてんのか」
「はは、行くぞ」
ワープは執念に乗ったのか無事に成功した。
空港へ帰還したザリガニをザリガニ達は温かく迎えてくれた。
男はギチギチに詰めかけるザリガニの群れに心底怯えながら謝罪会見の会場へと護送され、その後はザリガニの長に謁見したりなど日が沈むまで忙しく謝って謝って謝って土下座まで人生で初めてした。
「おかえりーお父ちゃん」
「娘の、ねずこだ」
「はじめまして。ようこそ」
ザリガニの家は広い庭のある大層立派な日本家屋だった。
男は磨りガラスの向こうに身の毛がよだつシルエットを見つけた。
引き戸を開けるとチクワを咥えたザリガニ娘がお父ちゃんの帰りを心待ちにしていた。
「チクワを咥えて迎えるなんて。お客さんが来るってのにはしたないじゃないか」
「えへへ、ごめんなさい。小腹が空いちゃってさ」
声からして子供っぽい印象を受けるが二メートルはある。
男はまた、さめざめと泣いた。
娘は優しくて、その涙をハンカチで拭いてくれた。
「今日から、ここがお前の家になる。遠慮しなくていい。ただ、礼を欠く真似だけはするな。何より家族を傷付けたら八つ裂きにしてやるからな」
ザリガニは豪快に笑った。
生殺与奪の権利をザリガニに握られて男は気が気じゃなかった。
疲労はピークに達していて、いっそのこと永眠したいほどだ。
「夕食まで自由にするといい。家の中の案内が必要なら娘に頼め」
「とりあえず、あなたの部屋に案内するね」
ザリガニ娘は男を空き部屋へ親切に案内してくれた。
畳に倒れ伏すと故郷と家族の匂いがした。
窓からは綺麗な三日月が見えた。
「お月様にはね。カニさんがいるのよ」
黙ってろ。どうでもいいわ。
男は暴言をグッと飲み下して目を閉じた。
「内臓や骨に皮を処理した魚肉を水にさらして余分な油や血を抜く。それから脱水、不純物を取り除き、水分を絞る工程を経て冷凍されたものがコレだ」
「あい」
「SURIMI」
「そんくれ知ってんわ」
「すり身を解凍して、複数の調味料と一緒に石臼で練る。この作業を擂潰という。読んで字の如く、擂り潰す」
「らいかいとかザリガニ語は分かんねーよ」
「うちは手作業にこだわっている。ほらやってみろ」
「ちっ」
「この時に入れる塩が、チクワのあの独特な弾力を生む」
「だからんだよ」
「いいか。一丁前のチクワ匠になる為に重要なのが一に魚の目利き、二に擂り、三にハサミだ」
「ハサミあるわけねだろバカ。チクワ職人なんかになってたまっかよ」
「人間の手も中々やるもんだな。少しは見直したぞ」
「やってられっかあ!クソが!」
「次にこの竹串に巻き付ける。大事なところだ。丁寧に、そして繊細に巻く」
「やりゃいいんだろ!やりゃよああ!?」
「上出来だ。次に焼きの工程に入る」
「っだり」
「初めに炭火から遠ざけて、じっくり焼く。ここで弾力をしっかり出すんだ」
「あーそ」
「仕上げはサッと直火で炙る。綺麗な焼き目を付けるのは中々……おおやるな」
「いちいちうっせんだよ」
「焼き上がったものは竹串から外して、日持ちを良くするために冷蔵するんだが、これは商品じゃない。せっかくだから焼きたてを食ってみろ」
男はためらった。
チクワのせいで散々な目に遭っている。
チクワが人生をめちゃくちゃにしたのだ。
怨恨を込めて噛み千切ってやった。
ハフッもちっもちっ。
熱いチクワの味がした。
「どうだ美味いだろう」
不味いとでも言えば擂潰されるかも知れないので黙々と食べ切ることにした。
妻ザリガニと娘ザリガニが揃って店の方から調理場を覗いている。
並大抵のホラー映画では敵わない恐怖映像に涙が一雫、頬を流れ落ちた。
「そんなに美味いか!良かったな!」