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平助と王 日・台爺い絵巻  作者: 真桑瓜
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6/22

宋江陣

宋江陣


次の日、槇草はスッキリと目覚めた。

一階に降りていくと、メイメイが食卓の準備をしていた。

「お早うございます」

「あら、お早うございます。ゆっくりおやすみになれましたか?」

「はい、お陰様で」

「おやっ、その頬の傷は?」

「いえ、実は夢で・・・」武松に会いました、と槇草は言った。

「武松といえば、水滸伝に出てくる拳法の達人ですね」

「俺はよく知らないのですが、危なく殺されるところでした」

「なに!武松と闘うたと」王老人が厨房からひょっこり顔を出した。

「あっ、先生おはようございます。そのようなところでなにを・・・」

「見れば分かるじゃろう。朝飯を作っておる」

「先生が・・・?」

「侮るでない。料理の腕は拳法以上だ」

「先生の得意料理は鰻鍋です・・・」メイメイが可笑しそうに笑う。

「げっ、朝から鰻ですか?」

「うまいぞ〜、たらふく食って李との対戦に備えておけ」

火にかかった鍋を見て槇草はゲンナリした。鰻のテカテカした灰色の表皮を見て食欲が無くなったのだ。

「俺はそっちの饅頭とお茶だけで結構です・・・」

「なんだ、食わんのか?失礼な奴だ。メイメイこれを裏の犬たちに持っていけ。奴らなら喜んで食うじゃろう」

「承知しました」メイメイはさっさと鍋を抱えて厨房を出て行ってしまった。


「ところで、武松はなんと言うておった?」

「お前には迷いがある・・と。楊志という者に切り取られた拳を喰わされそうになりました」

「で、食ったのか?」

「いえ、とんでもない!」

「そうか、残念じゃったのぉ」王老人はケラケラと笑った。

『俺は人の手も鰻鍋も嫌いだ!』槇草は腹の中で毒づいた。


朝食が済んで出発の時間が近づくと、メイメイが両手に衣服を捧げて持ってきた。

「これに着替えて下さい」

「これは?」

「支那服です。西門紅楼で功夫たちが来ていたのと同じ物です」

「何故?」

「台湾は、”親日の国”ということになっています。ですがそれは表面的な事、中には反日の国民も少なからずいるのです。戦争は複雑な爪痕を残しました」

「それで俺に台湾人に化けろと・・・」

「それだけではありません。そのGパンとトレーナーでは闘いには不利です、もっと動き易い服装でなければ」

「それもそうですね。では有難くお借りします」

「この靴も履いて下さい。お見かけしたところ26㎝くらいだと思うのですが?」

「へ〜よくお分かりですね」

「軽くてとても動き易いですよ」

槇草はその服を身に纏いメイメイの前に立った。

「よくお似合いですわ。誰も日本人だとは気付かないでしょうね。宋江陣の中ではその方が目立たないと思います」

槇草と王老人はメイメイの運転する車で内門郷に向かった。



内門郷の入り口付近に車を止め、三人は街に入って行った。

王老人は宋江陣の主催者に会うと言って人混みの中に消えて行った。

メイメイが最初に槇草を連れて行ったのは、極彩色の龍の彫り物が屋根を覆うように立っている六角堂の前の広場だった。

そこでは地元の人々が集まって輪になっている。戦いの陣形にも見える。

『それで宋江陣なのか?』槇草はメイメイに聞いてみたかったのだが、いきなり銅鑼が鳴り出してそれは始まってしまった。

人々は手に手に鋤や鍬などの農具を持っている。服装は全くの普段着のようだ。

「宋江陣は、元々は民兵が自衛の為に武術の腕を磨いたところから始まります。それを反乱を恐れた政府が禁止したのです。民衆は稽古を続ける為に神への奉納だと偽って、農具を武器に見立てて鍛錬したと伝えられています」

「へ〜何だか沖縄の空手の歴史とよく似ていますね」

人々は輪になったまま、囃子に合わせて縦横に農具を振り回した。時には隣同士で強く打ち合ったり、地面を叩いたりしている。飛び上がりまた地に伏して勇壮な戦いの舞のようだ。

「凄いものですね」槇草は素直に感動してしまった。

「まだまだこんなものではありませんよ」メイメイはにっこり笑って歩き出す。「さあ、次へ行きましょう」


次にメイメイが連れて行ってくれたのは、学校の運動場だった。

群衆がその運動場を囲むようにして立っている。

その群衆の一角が破れて、子供達がなだれ込んできた。小学生から中学生くらいの子供達だ。

やはり、鉦や太鼓の勇壮な音が鳴り響いている。

子供達は揃いの紺のユニフォームで、手には武器を持っている。先ほどの庶民の農具と比べたら本格的な武器だ。槍・戟・剣・盾、サイやトンファーまである。

身の軽い子供達は目まぐるしく動いた、飛んだり跳ねたり走ったり、その躍動感は見る者を魅了する。槇草は、日本の武術の静かな演武とは対極の、中国の武術を見た。

「あのサイを持っている子の動きは凄いですね。沖縄にもあれだけ自由自在にサイを操れる人はそうはいません」槇草は、師の平助がサイが苦手だった事を思い出した。

「この子たちは、いずれ体育学校の武術科や士官学校で武術を専門に習う事を目標としているのです」

輪が崩れて、二人の子供を残して後方に下がった。

さっきのサイを持った男の子と槍を持った男の子が向かい合う。

槍を持った子は、何故か頭に笠を被っている。

どう見ても長い槍を持った子の方が有利だ。

槍が間段なく繰り出される。

サイを持った子は縦横に動き回り、槍に目標を定めさせない。

脚を払えば飛び上がり、頭を薙げば躰を沈めてなんとか間合いを詰めようとする。

一瞬槍の動きが伸びた。

サイを持った子はその機を逃さない。

二本のサイで器用に槍の柄を渡りながら一気に間合いを詰めて相手の笠を打った。

群衆から大きなどよめきが上がった。

「この為の笠だったのか」槇草は納得した。

何れ『型』には違いないが、実戦さながらの迫力がある。

「さあ、次に行きましょう」メイメイが槇草を促した。

「あの、もっと観ていたいのですが・・・」

「次は大学生の会場に行きます」メイメイが微笑んだ。

『もっと凄いという事か・・・』

槇草は頷いて歩き出した。



メイメイはこの町のメインストリートに向けて歩いている。

人の波も同じ方向に流れていた。

通りに出るとそこは車の通行が禁止されていて、広い舞台になっていた。

まだ始まってはいないようだが、道の両側に並ぶ商店街の二階の窓には人が鈴なりだ。

それだけでは無い、屋根の上まで人が登って見物している。

「あの食堂の二階に席が取ってあります、特等席ですよ」メイメイが一軒の大衆食堂を指差して言った。

一階は人でごった返していたが、二階に上がると予約の客で席は埋まっていたものの、通りの様子が良く観えた。窓際の席に案内される。

「この店は刀削麺が有名です、食べますか?」

槇草は朝、饅頭とお茶だけだったので腹が減っていた。

「有難う。王先生の鰻鍋は食えなかったので・・・」

メイメイは笑って、店の者に刀削麺を二つ注文した。

麺が運ばれて来る頃に、ようやく通りが騒がしくなって来た。

見ると太鼓が運ばれて来ている。十張はあるだろうか。

まだ少し時間がかかりそうなのでレンゲで刀削麺の汁を掬って飲んだ。

「う、美味い!」槇草はあっという間に麺を平らげた。

「まあ、よほどお腹が空いていらしたのですね。良かったら私のもどうぞ」

「いえ、やめときます。食べ過ぎると動けない」後の事がなければきっともらって食べていただろう。「しかし、この麺は感動的に美味い!」

「刀削麺は山西省発祥の麺です。現地ではトマトソースや肉あんかけにして食べるのがメジャーですね」

「この柳の葉のような麺はどうやって作るのですか?」

「生地の塊を手で持って、薄い鉄の板で削るのです」

「へ〜面白いなぁ」

「これにも宋江陣と同じような歴史があるのですよ」

「宋江陣と同じ?」

「ええ、モンゴル族の統治者が漢民族の反乱を恐れ、武器だけではなく包丁も取り上げたのです。なので仕方なく鉄片を使って面を削り出すことを考案したのです」

「貴女は何でも知っているのですね」槇草は感心して言った。

「そんな事はありません、無用な事を言いました」メイメイは俯いた。


太鼓が鳴り出した。

横一列に並んだ太鼓を、カラフルなユニフォームを着た女子大生が叩いている。

その前に、両手に旗を持った男子学生が十名ほど現れた。

太鼓に合わせて二本の旗を武器のように振り回す。一糸乱れぬパフォーマンスである。

大勢の学生が武器を携えて出てきた。一人で演武する者、組み合って戦う者、目まぐるしく動き回る。


獅子が出てきた。日本の獅子舞と似ているが真っ白な獅子だ。ぬいぐるみの様でもある。

よく見ると足が四本出ている、中に二人が入っているのだろう。

「よく見ていてください。一匹の獣の様に見えますよ」

槇草は目を皿の様にして見た。確かに、二人が何の違和感もなく一体化している。

「まるで生きている様だ!」

獅子が後ろ足で立ち上がった。中はどうなっているんだろう?

林立した杭に前足を掛ける。暫く周りを睥睨すると一気に飛び上がった。

「わっ!足元は見えるのですか?」

「見えているのでしょう。でも二人の息が合わなければあんな事は出来ません」

獅子は細い杭の上で平地の様に舞った。卓越した身体能力だ。

「あれも神への奉納に見せかけた武術の修行だったのですか?」

「私には分かりません。でもきっとそうなのでしょう・・・」

「貴女にも分からないことがあるのですね」槇草はホッとした様に呟いた。


神様の格好をした学生が二人出てきた。手に棒の様なものを持ってユーモラスに踊っている。

きっとあれも武器だ。

上半身裸の男子学生が大勢で神様を取り囲む。次々に襲いかかるがひょいひょいと躱されて倒れていく。

「う〜む、誰に気兼ねも無く武術の修行ができる俺たちは幸せなんだな」


「しかし、日本の武術とは対極にある様な気がします」槇草が呟いた。

「そうですね、でも求めるところは同じではないのですか?」メイメイが槇草を見た。「彼らは徹底的に躰を動かす事によって自我を捨てようとしているのです」

「そうか、静かに剣を振るうのも無我の境地を目指してやっている事だ」

「静かな武術は中国にもありますよ」

「あっ、太極拳ですね。そういえば日本の剣術、無刀流の立ち切り稽古は、躰を疲れさせる事によって思考を断ち切るのが目的のはずだ。だとすれば、目の前の彼らと同じ・・・」

「武術には、これが正しいというものは無いのだと思います。それぞれがそれぞれの信じる道を行けばいいのでは無いですか?人生も同じ。私は王先生にその事を学びました」

槇草はメイメイの顔を見た。「やはり。貴女は王先生の弟子なのですね?」

「いつお気付きに?」

「最初から、何と無く。立ち居振る舞いに無駄が無い」

「さすがですね・・・」そう言ってメイメイは微笑んだ。



次に槇草が案内されたのは古い寺だった。

四角い石を綺麗に敷き詰めた境内は、それほど広くは無かった。テニスコート一面分くらいだろうか?

そこにもぎっしりと見物人が集まっている。

灰色の作務衣のような着物に、腰に黒い布を巻いた男たちが集まっていた。

異様だったのは全員が坊主頭だった事である。

「ここでは少林武術を見る事が出来ます」メイメイが説明した。

「では、あの人達は僧侶なのですか?」

「そうです。お坊さんが人殺しの技を修行するなんて矛盾ですね」可笑しそうに笑った。

「日本にも僧兵が居ました。宝蔵院というお寺発祥の槍の流派もあるくらいです」

「そう、宗教は時の権力者の都合によって、庇護されたり弾圧されたりしてきました。そう言った事情もあるのでしょうが、それとは別に、仏教、特に禅宗は集中力を高め対象と一体化する事を目指します。その段階を禅定といいますが、これが生死を扱う武術と深く結びついても不思議ではありません」

「先ほど言った無刀流の開祖、山岡鉄舟も深く禅を学んだといいます。沢庵禅師などは将軍家指南役の柳生宗矩の為に、不動智神妙録という書物まで著したほどです」

「しかし、禅定だけでは悟りに達しないと聞いた事があります。禅定は悟りに必要ではあっても悟りそのものではないという事です」

「俺には悟りがどういうものか分かりません。今はただ今より強くなりたいだけです」

「王先生は言われました。『悟りがどういうものかは誰にも説明は出来ない、悟った人間には悟りそのものさえもうどうでも良い事だからだ』と」

「う〜ん、なんだか禅問答のようだ」槇草は頭を抱えてしまった。

「我々に必要なのは、悟りとはどういうものかと解釈するよりも、それに近づいていると感じることだと思います。武術の修行はその為の道」そこでメイメイはふっと息を吐いた。「どんなに立派な理論を構築しても、必ず矛盾を内包しています。その矛盾を突き詰めていけばその理論は破綻する。禅宗では『不立文字』と言いながらたくさんの解説書がありますね。矛盾は放って置くしかないのです、Don’t think ・・・feel・・です」メイメイは片目を瞑る。

「参りました。今夜ゆっくり考えてみます」


僧達が九人、合掌をしながら入場して来た。

いままでの演武場と違って鳴り物もない静かな始まりである。

九人は横に三人縦に三人、等間隔に並び合掌したまま礼をする。

目を瞑って静かに動き出す。両掌を地面からゆっくりと天に向かって上げていった。

呼吸法であろう。

いきなり動き始めた、空手の『型』に近い動きをする。

静から動への変化が早い。

また静になった、呼吸を整えている。

これが数度繰り返された。呼吸と動きの関係を重視する少林拳の、稽古に対する姿勢が窺える。

『型』が終わり、一人を残し八人が袖に下がった。

合掌をし頭を下げる。

走り出した。

前転・宙返り、バック転、まるでアクロバットだ。

奇妙なのは、着地の時、躰を地面に打ち付けるようにする事だ。

あれは受身なのか?それとも受身が取れなくても大丈夫なように躰を鍛えているのだろうか?

次々と人が入れ替わり同じ動作を繰り返す。やはり鍛錬法なのだろう。

一人の少年が棒を持って現れた。この中では一番若い。少し様子がおかしい。

猫背になり首が前に突き出している。

動きを見て分かった。あれは猿だ。

地面に立てた棒に登って辺りを睥睨している。

次の瞬間には舞台を所狭しと駆け回る。

高崎山で野生のサルを見た事があるが、あれはあの動きにそっくりだ。

人が変わる。

あれは蛇だ、鎌首をもたげているので分かりやすい。

ニョロニョロと動く姿まで真似ている。なんの役に立つのだろう?

お次は。虎か!確かに強そうだ。顔で威嚇している。

ん!あれは何だ?蛙か?分からない?不思議な動きをする。

次は良く分かった。カマキリだ。鶴、熊と続いて今度はヨガか?

ゆっくりと動き出す。躰が信じられない方向に曲がる。

しかし人の躰はあれほどまでに柔らかくなるものか?

しかし、師匠が言っていたな。『柔らかい躰よりも、柔らかい躰の使い方を学べ。それには柔らかい心が必要だ』と。


次は何だろう?

一人の僧が四股立に構えたまま瞑想している。躰が小刻みに震えているぞ。呼吸を整えているのか?あれ?僧が二人でてきた、手に丸くて太い棒を持っている。

瞑想していた僧が腕を突き出す。

なにっ!あの棒で叩くのか?やめた方がいい、腕が折れる。

一人の僧が棒を大きく振り上げ、容赦無くその腕を打った。わっ!見ていられない。

大きな音がして棒が折れた、腕は何とも無いようだ。

その僧が今度は背中を向けた。もう一人の僧がその背中に棒を当てる。

えっ!背骨は無茶だ。半身不随になるぞ!

僧が棒を振り上げた。

やめろっ!

槇草の心配をよそに、棒は綺麗に折れて飛んで行った。

ふ〜・・・心臓に悪い。

やはり、どこか日本の武術とは違う気がした。


いよいよクライマックスに突入した。

人対人・人対武器・一対多、色々なバリエーションの戦いの『型』が披露される。

とにかく速い、武器の動きが目に止まらない。

でも、速さとは何だろう?

『速い』と『早い』。どう違う?

武術の『はやさ』とは、『早い』のような気がする。

師匠は早すぎても遅すぎてもいけない、『間に合う』事が早さだと言った。

『分からないものは保留にしておけ』師匠の言葉が蘇る。


「どうでした?」メイメイが訊いて来た。

「解釈はしません、保留です」そう答えた。

「保留・・・?」メイメイは一度首を傾げてから艶やかに笑った。



「これから行くところが最後のステージになります」街の中心部に向かいながらメイメイが言った。「士官学校の演武はそこで行われるのです」

「そうですか・・いよいよ」

メイメイは何か言い淀んでいるみたいだったが、思い切ったように口を開いた。

「李子龍は私の兄です・・・」

「えっ!という事は・・・」

「そう、兄も王先生の弟子です」

「・・・」

「私には王先生が、何故あなたと兄を戦わせたいのかが分かりません」そう言ったままメイメイは黙ってしまった。仕方なく槇草も黙って歩く。


大きな広場には特設の舞台が設えられていた。真っ赤な毛氈が敷き詰められた豪華なものだ。

四方が桟敷席となっており、すでに観客でぎっしりと埋め尽くされている。正面に『宋江陣祭』と書かれた大きな額が掛かっていた。

二つ空いていた一番前の席に座る。予約席だったのであろう。

主催者の挨拶の後、銅鑼が鳴り演武が始まった。今まで見て来たものと内容はさして変わらなかったが、技の練度が格段に違った。徹底的に鍛え上げられている。

演武が終盤に差し掛かったとき、一人の男が出て来た。

舞台の中央で腕立て伏せを始める。良く見ると人差し指と親指だけだ。

そのうち親指が離れて人差し指だけになった。

「うへ〜!あんな指で喉を掴まれたら一巻の終わりだ」

「兄です・・・」メイメイがポツリと言った。

次の瞬間、人差し指だけで逆立ちをしてしまった。

「・・・」槇草は絶句した。あんな男と戦うのか?

李の足が床に着いた時、十人の男たちが李を取り囲んだ。武器を持った者もいる。

「破!」李が叫んだ。

十人の男たちが一斉に動き、次々に李に襲いかかる。

その度に男たちは吹き飛び床に蹲る。

「あれは『型』では無い、実戦だ!」驚愕のあまり槇草が叫んだ。

「そう、観客達はあれを見に来ているのです・・・」メイメイが呟いた。

戦いは、あっという間に終わった。息も乱れていない。最後の男が倒れた時、場内は割れんばかりの拍手に包まれた。李は舞台の中央に立って包拳の礼をした。

主催者がマイクを持って現れる。何か観客に言っているようだが、槇草には分からない。

観客席からどよめきが起こった。

「さあ、貴方の出番です・・・」

メイメイに促されて槇草は席を立った。舞台に上がる階段から赤い毛氈の上に立つ。

舞台の上には二人の他に誰も居なかった。

李が怖い目で槇草を睨んでいる。「日本人か?」

「そうだ」

「俺の祖父は、日本人に殺された」

「そうか・・・気の毒だとは思うが俺には関係の無い事だ」

李の目が更に吊り上がった。上着を脱いで床に叩きつける。鋼のような肉体が現れた。

なんの合図もなく戦いは始まった。

信じられない跳躍力で飛び蹴りが飛んで来た。それからは防戦一方となった。

避けて、避けて、逃げ回る。攻撃に転じる隙がない。

『間違いない、今までに戦った誰よりも強い!』

やっと李の攻撃が止んだ。肩で息をしているのが見える。

『何だコノヤロー!いくら爺さんを殺されたからと言って、日本人全員が悪いわけじゃないじゃないか!』腹が立って来た。

『お返しだ!』攻撃に出た。紙一重で躱される。

『チッ!ならコレではどうだ!』捨て身の一撃を出したが不発だった。

『えっ!オカシイ。普通なら今ので決まる筈なのに・・・』

『何故だ?攻撃の線が少しづつズレている』

間合いを切った。『落ち着け!』平助の言葉が頭に浮かぶ。『感情は技を狂わす。怒りをぶつけるのは相手の勝手。しかしその怒りを受け取って返そうとすればこちらの負けじゃ。平常心で戦うのじゃ』

『そうか!それで武術は禅と結びついたのか』

『もう、怒りのプレゼントは受け取らないよ』槇草は李を見て笑った。

それを見て李は猛然と突っ込んで来た。

仙骨を立てて浮身をかける。夢で見た武松と戦った技だ。

李の拳が武松の傷の少し上を掠った。槇草の拳は李の鳩尾にめり込んだ。

目標を変える余裕があった。李は床に倒れたまま動かなくなった。

王老人が舞台に現れ、李を愛おしそうに抱きかかえて何事か囁いた。

会場がしんと静まりかえる。槇草は舞台を降りた、早くここを立ち去ったほうが良さそうだったからだ。

暫く行くとメイメイが寄り添って来た。

「さ、帰りましょう」

「えっ!何処へ?」

「台北へ・・・」

「でも、王先生にご挨拶せねば・・・」

「私は今やっとわかりました」

「え、何を?」

「貴方を日本から呼び寄せた訳です」

「何の為です?」

「兄の思い上がりを諌める為に。師の愛情なのです」

「分かるのですね?」

「はい、弟子ですから」メイメイがニッコリと笑った。



その夜、槇草は圓山大飯店の自分の部屋で泥のように眠った。もう、夢も見なかった。

翌朝、王大人の部屋に呼ばれた。

「槇草君、有難う。君を呼んだ甲斐があった」

「お役に立てたのであれば・・・」

「李の成長を阻んでいたのは怒りだった。父はその事を李に伝えたかったのです」

「私も、得難いものを教えられました」

「この次彼が君と会う時には、きっと素晴らしい武術家になっている事だろう。これは台湾武術界にとって大きな僥倖です、本当に有難う」

「こちらこそ、楽しみにしています」


午後の便で台北を立った。メイメイが空港まで見送りに来てくれた。

「王先生は、思いの外シャイな方なのですね」

メイメイは無言で頷いた。

「今度台湾に来られる時は、是非ご家族もご一緒に。素敵な奥様ともお会いしたいし・・・」

「はい、その時はよろしくお願いします」槇草は深々と頭を下げた。

メイメイは今までで最高に艶やかに微笑んだ。



夕方福岡空港に着いた槇草は、支配人に出張報告をする為、西南グランドホテルに直行した。

支配人は多くを訊かず、ただご苦労とだけ言った。

圓山大飯店の王大人から詳しい報告があったらしい。明日はゆっくり休めと言われた。





「そのメイメイという人は、悠さんの事が好きなんだわ!」

自宅に帰って台湾であった事を話し終えると、美希が言った。

「えっ!そんな事は無いと思うけど・・・」息子の小太郎を抱いたまま、槇草は固まった。

もう直ぐ一歳になる小太郎は、この頃めっきり重くなっていた。

「私には分かるわ。悠さん鈍いから・・・ねぇ小太郎」そう言って美希は悪戯っぽく笑った。

「どうして分かるんだ?」

「女の勘よ。台湾にも無門先生に似た方がいらっしゃったのでしょう?だったら私に似た人が居たっておかしくないわ」

「う〜ん、良く分からんが・・・」

「悠さんは分からなくて良いの・・・」小太郎を槇草から受け取りながら美希が言った。「小太郎が大きくなったら、私も行ってみたいわ、台湾」

「うん、三人で行こう。良いところだぞ」

「ええ、絶対よ!」美希は明るく笑った。





翌日槇草は妙心館に居た。

「ほう、台湾にもそんな爺さんが居たか?」

「ええ、まるで師匠のようでした」人を揶揄うのが好きなところもそっくりです、という言葉を槇草は飲み込んだ。

「それで・・・挨拶もせずに帰ってきたのか?」平助が槇草を睨んだ。

えっ、いけなかったのか?槇草は慌てた。「な、なんだか深刻そうだったので」

「ははは、それで正解じゃよ・・・男は柄にも無いことを喋った後は自己嫌悪に陥る、そんな時は人に会いとう無いもんじゃ」

「そういうものですか?」槇草はホッとして訊いた。また揶揄われたのだ。

「そういうもんじゃ、特に昔の男はな」そう言って平助は笑った。

「う〜ん、俺には女とお年寄りは良くわかりません」本当に謎だ、特に師匠は。

「多分女は一生分からんよ。じゃが年寄りはその内分かる、誰でも歳は取るからの」

「はあ・・・」

「そんな事よりいい勉強をしたの、怒りは自分を破壊するという事じゃ」

「あの微妙な攻撃線のズレは、冷静にならなければ分からないものですね」

「その通り、力で解決しているうちは達人にはなれん」

「王先生もそう仰っていました」

「儂も台湾へ行ってみたくなったぞ」

「やめてください!師匠が二人じゃ身が持たない」冗談じゃない、俺は逃げる。

「アハハハハハハ、それも修行じゃよ」

槇草は悪い想像を断ち切るように首を振った。








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