高雄
高雄
翌朝、槇草は五時に目を覚ました。
メイメイが六時には出発したいと言ったからだ。
手早く洗面を済ませ、昨日遼寧街で買った胡椒餅で朝食を済ませた。
高雄までの交通手段はいくつかあるが、どれで行っても高雄に着いてからが不便である。
結局メイメイが運転して車で行く事になった。
高雄までは片道五時間、台湾を北から南に縦断する形になる。
車は王大人が自家用車の中の一台を自由に使って良いと言ってくれた。
メイメイは日本のクラウンを選んでくれた。慣れた日本の車の方が良いという配慮からであろう。
道は台湾の西を走り、途中いくつかの渓谷を超えた。
狭い曲がりくねった道をクラウンは快調に走ったが槇草は車に酔って何度もリバースしてしまった。メイメイとのドライブも槇草にとっては苦行となった。高雄に着いた時には心底ホッとした。
高雄には高いビルは殆ど無く、駅の建物が一番大きな建築物と言って良い。
王大人の父、王浩然(ワン・ハオレン)の道場は高尾駅から少し山側に入った坂道の途中に建っていた。
白い漆喰壁の窓には色とりどりのステンドグラスが嵌め込まれ、日本の道場しか知らない槇草には小さな教会に見えた程だ。掘っ建て小屋のような妙心館とは大違いである。
「お疲れ様でした。早速ですが王先生がお待ちです、中へご案内しますわ」道場の前庭に車を停めてドアを開けながら、メイメイが槇草を促した。
玄関を入ると観葉植物と小さな応接セットが置いてあり、その奥が道場になっている。
道場は三和土の土間になっており靴を脱いで上がる必要は無い。
正面に朱に塗られた祭壇があった。
「王先生、お連れしました槇草さんです」メイメイがその祭壇に向かって声を掛けた。
槇草は目を疑った。祭壇の前に子供のように小さな老人が蹲っていたからである。
『これが王大人の父上か・・・』
老人はやおら立ち上がり槇草の側までやって来た。
「さて、一つお手合わせ願おうか」流暢な日本語である。日本統治時代の台湾人には、日本語に堪能な人が多いと聞く。
「えっ!でもまだご挨拶も・・・」
「武術家の挨拶に言葉は無用じゃ!」老人はいきなり跳んだ。右足の爪先が槇草の顎を目がけて跳ね上がる。
槇草は上体を反らさずに、躰ごと後方に移動した。『三戦』の後退の足運びだ。
「ほう・・・ならば」
老人の躰が沈んだ。蹴りで槇草の脚を払いに来たのである。
槇草は浮身をかけて飛び上がる。躰は慣性の法則で一瞬その場に留まり、足だけが腰まで引き上げられた。
着地と同時に槇草は攻撃に転じようとしたが、既に老人は間合いを切って祭壇の前に立っていた。「それまでじゃ!」老人はニヤニヤ笑っている。「失礼した、ちと試させて貰ったよ。年寄はせっかちでな」
老人は澄ました顔でそう言った。「王浩然です、息子の目は確かじゃった」
「槇草です・・・」額には汗が滲んでいた。
槇草と王は応接セットに向き合って座った。メイメイが茶を淹れて二人の前に置く。
「メイメイ。茶とは無粋な、酒はないのか?」
「先生、私は王大人から『呉々も父に飲まさぬように』と仰せつかっております」
「あの親不孝者めが・・・」王はふんと鼻を鳴らした。
「先生、どこかお身体の具合でも・・・」槇草は王に尋ねた。
「なに、儂が歳じゃから心配しておるのじゃよ。メイメイ構わん、老酒を用意してくれ」
「王大人に叱られます」
「黙っておれば分からんよ。それとも息子は千里眼か?」
「仕方ありませんわね」メイメイは笑って厨房に引き返して行った。
「先生は私の師匠に似ておられます」老酒で乾杯してから槇草が言いだした。
「ほう、どんなところが似ておるかな?」
「何処と言われると返事に困りますが、何と無く・・その・・雰囲気が」
「そうか、儂のような爺さまが日本にもおるか?」王は愉快そうに笑った。
メイメイが二人の盃に酒を満たした。「先生、そろそろ槇草さんを呼んだ理由をお話ししては如何ですか?」
「おお、そうであった!」王は盃を置いて槇草を正面から見据えた。
「明日、内門郷で『宋江陣』が行われる。君に是非参加してもらいたいのじゃ」
「宋江陣?」
「武の祭典じゃ。中国の時代小説『水滸伝』に出て来る梁山泊の領主の名に因んでそう呼ばれておる」
「『水滸伝』と言えば、俺は日本のテレビドラマの『柔道水滸伝』しか知りませんが・・・」
「あはは、そうではない。明代の中国で書かれた四大奇書の一つじゃよ。『替天行道』の旗の下に、腐敗した世の中を百八人の好漢が天の代理として立て直すという物語じゃ」
「そ、そうですか・・・」
「そこでじゃ。『宋江陣』には台湾のみならず北京などからも武術家が集まり技を競い合う。ただ最近は派手なパフォーマンスが主流でな、武の本質を忘れておる。君が参加することでこの傾向が少しでも変わればと思ってこうやって頼んでおるのじゃよ」
「しかし俺は中国武術のことをあまり知りません・・・」
「心配無用じゃ。儂の見るところ君と互角に渡り合えるのは士官学校の李だけじゃよ」
「リー・・・さん?」
「李子龍、士官学校の武術教官じゃ」
「けど、俺には闘う理由が・・・」
「業務命令じゃ。君はホテルマンズ・ミーティング参加の為にこの台湾に来たのじゃろう?もし『宋江陣』に参加しなければ君はミーティングをすっぽかしたことになる」
「えっ!そんな・・・」
「ふはははは、もう逃げられはせん。覚悟を決める事じゃ」
「うわー、師匠よりたちが悪い!メイメイ、君もグルなのか?」
「申し訳ありません・・・」メイメイはぺこりと頭を下げた。
「もうどうにでもしてくれ〜!」槇草は天を仰いで叫んでいた。




