初めての弟子
初めての弟子
1
葛城カナは、先日目撃した出来事が忘れられなかった。
「確か、この辺だったけどな」
カナは郵便局の前で立ち止まった。ここに立ってずっとそれを見ていたのである。
まず、その人の立ち姿が目に入った。スッと立った姿勢がこの世のものとも思えぬほど美しかった。
長い黒髪を頭の後ろで束ね、真っ赤なシュシュで留めていた。
整った顔立ちは、香港の女優ノラ・ミャオを彷彿とさせる。
服装は地味なグレーのパンタロンスーツに黒いパンプス、どこかのOLかな?と思った。
ただ、その状況は異常だった。その人の眼の前には、出刃包丁を構えた浮浪者風の男が立っていたのである。
その人の後ろには、子供を庇うようにして蹲る女の人。危ないっ!と、誰かが叫んだ。
男が、訳のわからない叫び声をあげて切り掛かった。その人は二、三度ひょいひょいと刃を躱してからとても自然な動作で前に出た。
アッ!と思ったら男が蹲り、間髪を入れずその人の長い脚が男の顳顬(こめかみ)を粉砕したのである。
男は伸びてそれきり動かなくなった。
カナは、パトカーが行ってしまうまでその場を動けなかった。その出来事が余りにも衝撃的だったからだ。
葛城カナは、近くの私立女子高校に通う二年生だ。ソフトボール部に所属し二軍のピッチャーを務めていたが本日退部届を出してきた。
「あっ!」来た、あの人だ。
遠くに見えた人影はあの人に間違いない。服装は違うけれどオーラが同じだ。
暫く待っているつもりで佇んでいたが、その人は思いがけないほど早く目の前に現れた。
別に急いでいる風にも見えなかったのに。きっと、動きに無駄が無いのだ。
慌ててその人の前に出た。「弟子にして下さい!」我ながら唐突である、言葉は色々考えていたのだが動いたらこうなった。昔から考えるより動く方が早かった。
頭を下げたまま、上目使いにその人を見た。その人は、きょとんとした顔で立っていた。
それがまた、なんとも言えず魅力的な表情だった。いけない、私にその趣味は無い。
「なんの?」
と、その人は言った。
「は?」
「私、胡弓と中国語を教えているの」
そう言う事か。
「いえ、どちらでもありません!」
「じゃあ・・・」
「私見たんです。男の人を一撃で伸したのを」
「まあ、あれを」
「弟子にして下さい!」もう一度言った。
2
「あなた、高校生?」
喫茶店のテーブルで向かい合わせに座ってコーヒーを注文した後、彼女が言った。
「はい、二年です」
「背が高いわね、何センチ?」
「・・・」
「あら、ごめんなさい。初対面の人に失礼だったかしら?」
そうでは無い、唐突で面食らったのだ。
「いえ、そうではありません、もっと別のことを聞かれると思ったから・・・178センチです」
「そのままでも十分強そうだけど?」
そうなのだ、カナはガタイがでかい。それでいつも損をしている。
「でも、とっても小心者なんです」そう言うと彼女はケラケラと笑った。思ったより話し易い。
「あなたはきっと、拳法を習いたいんだろうけど私に道場は無いわよ」
「いえ、私はどこでも構いません。なんならそこの公園でもいいです」
「人が見ても平気?」
「はい、全然!」
「じゃ、ちっとも小心者なんかじゃ無いわね」
「はあ、そうですか・・・」
「そうよ、それにいきなり弟子にしてくれって。あなた、私がどんな人間かも知らないでしょ」
「いえ、分かります。私、人を見る目はあるんです!」
「あなたのお眼鏡に叶ったわけね。光栄だわ」
「いえ、そう言うわけじゃ!」慌てて目の前で両手を振った。
「いいわよ」
「へ?」
「だから、いいって言ったの」
「え、いいんですか?」
「だって、あなたが言い出したのよ」そう言って彼女はまたケラケラと笑った。
「私はメイメイ。台湾から来たの、旦那様は日本人」
「葛城カナです。ソフトボールをやってました、今日辞めて来ちゃったけど」
「あら、どうして?」
「結局、私には団体競技は向かなかったんですね。私、ちょっと変わってるから」
「そんな事ないわ、とってもキュートよ」
「ほんとですか!初めてです、そんなこと言われたの」
「私、嘘は嫌いなの」
「わ〜ありがとうございます!」本当に嬉しかった。だって、こんな美人に言われたんだもの。
「じゃ、連絡先教えて。都合のいい時に電話するわ」
「はい、え〜と電話番号は・・・」
彼女は手帳を出して、私の言った番号を書き写した。そして名刺を出して私にくれた。
「これが私の連絡先。自宅と教室ね、きっとどちらかにいるわ」
「私がいない時は、母に伝えてもらっておけばいいです。必ずその時間に行きますから」
「分かったわ」
3
「私、今日弟子が出来ちゃった」
吉田が帰って来るなり、メイメイは報告した。
「弟子って、胡弓のかい?」
「ううん、拳法の。今日、道でいきなり弟子にしてくださいってお願いされちゃった。高校生の女の子」
「それは・・またどうして?」
「この前のアレ、見られてたらしいのね」
「ああ、ご近所でも評判になってるよ。吉田さんとこの奥さんは女武道だって」
「女武道?」
「女の武芸者の事だよ」
「あら、失礼しちゃうわね。私にとって拳法は余技よ」
「あんなに強いのにかい?」
「そうよ、今は陽さんの奥さん・・・って、そんなことはいいの。でね、空いている時間にそこの公園でやる事にしたの」
「ふ〜ん」
「だから、陽さんも協力してね。朝やることが多くなると思うから食事の支度お願い」
「ご飯と味噌汁くらいしか作れないよ、あと、目玉焼きくらいかな」
「それで十分」
「なら、オッケーだ、心置き無くやればいい」
「ありがとう。楽しみだわ、あの子素質があるみたいなの」
「君が言うなら間違いないな」
「今度、陽さんにも紹介するね」
「分かった。楽しみにしているよ、君にも日本の友達が増えて来たね」
「うん、今はとっても楽しいわ」
「そりゃよかった」
「さ、夕飯にしましょ・・・」
メイメイはキッチンに入って行った。吉田は食器を出すために水屋の扉を開けた。




