爺い徘徊
爺い徘徊
「王先生、お目覚めですか?」
メイメイはスイートルームのドアをノックした。
「王先生・・・?」
もう一度ノックしたが返事は無い。
「しまった、やられた!」メイメイは歯噛みして悔しがった。念の為、槇草に頼んで合鍵でドアを開けてもらう。
「誰もいません、散歩にでも出掛けられたのでは?」のんびりとした口調で槇草が言った。
「槇草さん!何を悠長な事を。あの爺さんは放って置いたら何をしでかすか分からないのですよ!」
「爺さん・・・」
メイメイはハッと口を押さえた。「もとい、王先生は・・・」
「分かりました。我がホテルの全力を挙げて捜索いたしましょう」
「お、お願いします・・・」
王浩然は自由を謳歌していた。ブラブラとホテルの周辺を歩く、商店街はまだどこも開いていなかった。
「さて、腹が減った」食堂も見当たらなかったので、もう暫く歩く事にした。
商店街のアーケードを抜けた所に駅が見えた、槇草のホテルと同系列の会社が経営する私鉄の駅だ。
コンコースに入ると立ち食いのうどん屋があった。迷わず暖簾を潜ると店内は混んでいた。
「いらっしゃい、何にします?」一人で店を仕切っているおばさんが威勢良く訊いた。
壁に貼られた品書きを見る、たくさんあって迷ってしまう。
「何がオススメじゃ?」
「何だって美味しいけど、お客さん福岡は初めてかい?」
「うむ、初めてじゃ」
「なら、ごぼう天うどんを食べて行きなよ、他じゃ食べられないよ」
「そうか、ならそれにしようかの」
「はい、ゴボウ天うどん一丁!」
やがて、湯気の立ち昇る熱いうどんが目の前に現れた。
「お待ち!」
割り箸を割る、まずどんぶりを抱えて汁を啜った。「美味い!」
おばさんが満足げに頷いた。
汁の一滴も残さず、うどんを完食した。
「ありがとうよ、旨かった」
「そう言ってもらうと嬉しいよ。ところでお客さん何処から来たんだい?」
「その先のホテルからじゃ」
「そうじゃ無い、お国は何処かと訊いてるんだよ」
「台湾じゃ」
「そうかい、道理で・・・また日本に来たら寄っておくれ、今度はかしわのお握りをサービスするよ」
何が、道理でかは分からなかったが、また来ると言って店を出た。
人の波に逆らって歩くと切符売り場に出た。三つ先の駅までの切符を買う。あまり遠くまで行くと帰れなくなる危険性があるからだ。それはそれで構わないのだが、メイメイが煩い。
電車はガラガラに空いていた、通勤時間帯の下りであれば宜なるかな、である。
三つ目の駅で降り改札を出ると閑静な住宅街が広がっている。
大きなバス通りを東に向かって歩く。マンションの一階にガラス張りの店舗が見えた。
近づいて分かったのだが、店舗に見えたのはガラス張りの外観だった為で、中を覗くと格闘技の道場だった。数人の男達が稽古をしている。
入り口のドアに『プロ空手道場、拳道館』と大書してあった。
ドアを開けて中に入る、中の人間が一斉にこちらを向いた。
「なんだ爺さん?ここはあんたの来るような所じゃないぜ」真っ赤な空手着を着た男が言った。
男の名は紅颯斗(くれないはやと)、当時テレビ放送まであったプロ空手のスターである。
勿論、王にそれを知る術は無い。
「なかなか強そうじゃの?」
「強そう?俺たちはプロだ、強いんだよ。最近流行りのフルコンなんかよりずっとだ」
「ほう、それは頼もしい・・して、誰が一番強いんじゃ?」
「何!俺だよ俺、見りゃ分かるだろう!」紅の顔色が変わった。
「そうか?儂にはそうは見えんがの。ほれ、そこの白帯の方がずっと強そうじゃ」
「そいつは今日入門仕立ての素人だ。そんな筈はないだろう!」
「その若者をどうする気じゃ?」
「今から鍛えて選手にするのよ」
「それは勿体無い。あたら才能を潰す気か?」王は道場の隅で畏まっている若者に向き直った。「おい、お若いの、ここにいても強くはなれんぞ。悪いことは言わん、止めるなら今のうちじゃ」
「爺い、どういう意味だ!」紅が目を剥いた。
「どうせショーの役者を育てるつもりじゃろう、時間の無駄じゃと言うておる」
「許せん!いくら爺いでもタダじゃおかん!」
「そう来なくては面白くない!」王がほくそ笑む。
「おい、天童お前相手をしてやれ。手足の一本や二本折っても構わんぞ!」
紅は青い空手着を身に着けた男に言った。
「こんな爺いの手足を折っても自慢にゃならんが、さっきの言葉は聞き捨てならん。どれ、少し揉んでやるか」天童が道場の真ん中に立つ、他の男達は隅に退がった。
「どこからでも掛かって・・・グワッ!」
言い終らぬうちに王の飛び前蹴りが天童の顎を捉えた。
「油断は禁物じゃ、そもそもしゃべる暇があったら構えんかい!」
天童は泡を吹いて床に伸びていた。
「野郎!」男達が色めき立った。
「待て!」紅が制した。「此奴、只者じゃない。俺が相手だ!」
「ふむ、最初からそうすれば良いものを」
紅は構えた、まるで古い空手映画の悪役のように大仰だ。
「なんとも中途半端な構えじゃのう、どうせ見せる為に構えるなら構えになり切る事じゃ」
「何!」
「こうするんじゃよ!」キキッ!と王は奇声を発し蹲(うずくま)った。
次の瞬間、猿がそこに居た。動きも表情も寸分も猿と違わない。
キキキ・キャキャ・・・歯を剥き出して紅を威嚇する。
紅は虚を突かれて、思考が停止してしまったように突っ立っている。
猿が紅を襲う、野生の猿の戦闘能力はとても人間の及ぶ処では無い。
爪で顔面を引き裂かれ、体に無数の打撃を受けて紅は沈んだ。
道場内は寂として声も無い。
「先生!俺を弟子にして下さい!」突然、先ほどの若者が王の前に手を着いた。
王は、構えを解いてただの爺いに戻った。
「儂は弟子を取る気は無いのぉ、強くなりたければ妙心館の無門先生の所に行け」
そう言い残して、王はドアを開けて外に出た。
目の前にバス停があり、折良くバスが到着した。
ともあれ、この場は早く離れたほうが良い、迷わずバスに飛び乗る。ビルから数名の男たちが飛び出して来るのが見えた。
バスは十字路を右折し南に向けて走る。どのくらい走っただろう、左右に高い建物が見えてきた。若者が大勢たむろしているバス停で降りた。建物は大学の校舎らしい。
「腹が減った」この辺に食堂はないかのぅ、と若者の一人を捕まえて訊いた。
「この辺に食べ物屋は無いよ、学食ならあるけど・・・」
「そこは誰でも入れるのか?」
「お爺さん一人?なら僕が連れてってやるよ」その若者は気軽に先に立って歩き出した。
「すまんのぅ」こうなれば只の好々爺だ。
広い敷地の中を若者と連れ立って歩くと孫と歩いているようだった。
「お爺さん、一緒に食べようか?」
「おお、そうしてもらうと有難い、一人は味気ないでのぅ」
「ここの学食はカツ丼がお勧めだよ、量も多いし何より安いんだ」
学食の前のテラス席に腰掛けて待つと、若者がトレーにカツ丼を二つ乗せて戻ってきた。
「僕の奢りだよ」
「それはいかん、年寄りには華を持たせるものじゃ」
「だってお爺さん、日本の人じゃ無いだろう?日本に良い印象を持って欲しいからさ」若者は屈託なく笑った。
「そうか、そこまで言うなら有難くお言葉に甘えよう・・・頂きます」
「どうぞ、味は保証しませんが」
王は箸を取ってカツを一切れ口に入れた。「美味じゃ!」
「そう、良かった」
「所で、君の名前を聞いておらなんだが・・・」
「武本敦です」
「そうか、儂は王じゃ、宜しくな」
とりとめのない話をして時間を潰す。若者はコーヒーも奢ってくれた。
そろそろ帰らねばなるまい、メイメイが心配している。
メイメイの怒った顔が目に浮かぶ。
「敦君、天神に行くにはどう行ったら良いかの?」
「さっきのバス停の反対側から乗ったら良いよ、どのバスでも天神には行くから」
「ありがとう、世話になったな。台湾に来ることがあったら寄ってくれ」王は敦のキャンパスノートに住所を書いた」
「是非行きます、その時は友達も連れて」
「きっとだぞ、楽しみにしておる」サヨナラと手を挙げて敦と別れた。




