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平助と王 日・台爺い絵巻  作者: 真桑瓜
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台北

日・台爺い対決 平助と王



台北


1975年12月


「十一時四十分発、JAL504便にて台北へご出発のお客様は只今より機内へのご案内を開始いたします。四番ゲートよりご搭乗ください」

福岡空港の国際線出発ロビーに案内のアナウンスが流れた。

槇草は緊張しながらゲートに向かう。飛行機は二度目、海外は今回が初めてである。


一月前、槇草は西南グランドホテルの支配人室に呼ばれた。

「槇草君、来月台湾で『ホテルマンズ・ミーティング』というものが開催される。世界中のホテルマンが一堂に介し接客技術のノウハウを交換し交流を深めようという催しだ。今回は君に白羽の矢が立った、うちのホテルを代表して行って来てくれないか?」

支配人は槇草の表情を窺うようにしてそう言った。

槇草は先輩のフロントマンを差し置いていくことに抵抗を感じたが、これは業務命令なのである、断るわけにはいかない。

「はい、私で良ろしければ喜んで」

「そうか、良かった。現地では李梅(リ・メイ)という圓山大飯店のスタッフが君の面倒を見てくれる、心配は無い」

「はい」

「所でパスポートは持っているかね?」

「いいえ、まだ持っていません」

「ならば早々に取ってくれ。出発の一週間前までには出張伺いと一緒にコピーを総務に提出しなければならない」

「はい、分かりました」

「以上だ」

「はっ、失礼致します」そう言って槇草は支配人室を出て行こうとした。

「あっ、槇草君ちょっと・・・」

「はい、なんでしょうか?」槇草は支配人に呼び止められ、開けかけたドアを再び閉めて支配人に向き直った。

「台湾に君に会いたいという人がいるらしい。是非会って来たまえ」

「は・・どなたでしょうか?」槇草は問い返した。

「まあ良い、李梅が全て承知している・・・もう帰って宜しい」支配人は答えを曖昧にしたまま意味深長に笑った。

「はあ・・・失礼します」訳のわからないまま槇草はドアを開けて支配人室を出た。

「誰なんだろう・・・?」




台湾の師走は暖かい。例年ならコートなど要らなかったであろう。

ところが槇草の行った年は、異常気象とやらで数十年振りに雪が降った。

空港に降り立った途端寒気が身に染みた。

「う〜寒・・・福岡と変わらないじゃ無いか」槇草はコートを福岡空港のロッカーに置いて来たことを後悔した。

荷物を受け取り、出口に向かうと黒いスーツ姿の女性が近づいて来た。

「槇草さんですか?」

女性は流暢な日本語で槇草に尋ねた。

「はいそうですが・・・」

「良かった、私は李梅と言います。圓山大飯店総支配人の秘書をしております、どうぞ、メイメイと呼んで下さい」

「メイメイ?」

「漢字で梅梅と書いてメイメイです、ニックネームのようなものですわ」

『この人が李梅か、なんて綺麗な人なんだろう』槇草は心の中でそう呟いた。

「はっ、西南ホテルの槇草です。よろしくお願いします」

「総支配人から、あなたのお世話を仰せつかっております。何なりとお申し付けください」

メイメイは日本語で丁寧に言った。

「あちらにタクシーを待たせております。宜しければお荷物をお持ちしましょうか?」

「とんでもない、自分で持ちます!」槇草は慌てた。レディに荷物を持たせるわけにはいかない。

「そうですか、では参りましょう」メイメイは微笑み、先に立って歩き出した。



車は十分ほどで圓山大飯店に着いた。

圓山大飯店は台北のランドマーク的存在だ。日本統治時代の台湾神宮跡地に建設され世界の十大ホテルとして君臨している。中国建築が特徴の最高級ホテルである。

「まるで竜宮城だ」槇草は門を見上げて言った。

「そう『竜宮』とも呼ばれています。でもそれは装飾に竜の彫刻が多用されているからですわ」メイメイはそう説明した。

一階のロビーに入るとものすごく天井が高い。朱を基調にした中国の宮殿みたいだった。

「観光のお客様が、わざわざここにコーヒーを飲む為にだけ来られるのですよ」メイメイは少し胸を張った。「会議は明日からです、今日はお部屋でゆっくりと寛いでくださいね」

「ありがとう・・・」槇草はあまりの豪華さに声を失った。

メイメイが案内してくれた部屋は、本館9階のプレステージルームだった。

テラスに続く壁は一面ガラス張りで、ドアを開ければ台北市内が一望できる。

「では、夕食の時またお迎えに上がります」そう言ってメイメイは部屋を出て行った。

「あっ、しまった。大事なことを聞き忘れた。俺に会いたいという人は一体誰なんだろう?」槇草は呟いた。「まっいいか。いずれ分かるさ」



夕食は歓迎のレセプションだった。

本館12階にある宴会場『崑崙庁』は、和風なデザインに控えめな上品さの漂うなんともロマンチックな会場であった。窓からは台北の夜景が一望出来る。

槇草が驚いたのは、参加者の出で立ちだった。世界各国から集まったゲスト達は一様にめかし込んで円卓に着いている。

槇草は自分の貧相な服装がたまらなく恥ずかしかった。『支配人、何も教えてくれなかったもんなぁ』

「さあ、座りましょう」メイメイが槇草を窓際の円卓に誘った。メイメイは真っ赤なチャイナドレスを着ていた。昼間の質素な印象と違って豪華な優雅さがある。

二人が席に着くと間も無く宴会が始まった。

「来啊、開始吧!請多吃点!。さあ、皆さん。晩餐会を始めましょう!」総支配人の王大人(ワン・ターレン)が挨拶した。

途端に銅鑼が鳴り、京劇のお囃子に乗って白いチャイナドレスのウェイトレス達が現れる。

たちまち円卓の上は豪華な料理で埋め尽くされた。

招待側の長、王大人の音頭で乾杯となった。

槇草は喉の灼けるような老酒を一気に飲み干す。

日本ならこれで乾杯は終わりである。しかし中国ではそうはいかない。

たちまちグラスが満たされてゲストの主賓の返杯となる。

それから音頭取りが次々に変わって乾杯が繰り返されるのである。

槇草が辟易し始めた頃、漸く料理に目標が移った。

「これが満漢全席というものですか?」槇草がメイメイに訊いた。

「そうです。でも満漢全席の本当の意味をご存知ですか?」

「えっ!最高の中華料理という意味ではないのですか?」 

「皆さんそうおっしゃいます。でも満漢の満は『満州族』の満、漢は『漢民族』の漢なのです。つまり清王朝が漢族を征服し、両方の料理の粋を一堂に集めた食卓の事です。だからこの晩餐を共にするということは民族和合の意味があるのですよ」

「へ〜知らなかったなぁ。日本に帰ったらみんなに教えてやろう!」

「それから、中国人の常識では、会席で供された料理は残してはならないのです」メイメイは悪戯っぽく言った。

「わ〜大変だぁ。酒なんか飲んでる場合じゃないぞ、それでなくても日本人は食が細いのに」槇草は慌てて料理に手を出した。

「そう慌てなくたって宜しいのですよ。今はそれほど煩くはないですからね」メイメイは愉快そうに笑っている。



「貴方が槇草さんですか?」後ろから声をかけられて振り返ると、王大人が立っていた。

槇草は吃驚して立ち上がる。

「ようこそおいで下さいました。実は貴方をお呼びしたのはこの私なのです」

「えっ!」

王大人は槇草に向かってグラスを差し出した。慌てて槇草もグラスを手に取った。

「乾杯!」二人は軽くグラスを合わせる。

メイメイはいつの間にか姿を消していた。王大人はメイメイの空けた席に座り槇草を促した。

「まあ、お座りなさい」

「はい」槇草は席に座って改めて王大人を見た。

「驚かれた事でしょうね?」王大人は微笑んだ。

「はい、何が何だか・・・」

「昨年の暮れ、私は東京にいました。帝国ホテルの総支配人は私の古い友人で招かれて行ったのです」

「昨年・・・と言いますと?」

「あなたの試合を観たのです」

「ああ・・・」槇草は去年空手の大会に出て優勝している。

「貴方の技を見て是非一度直接お会いしたいと、ずっと思っておりました。そこで失礼かと思いましたが貴方の身元を調べさせて貰ったのです」

「はあ・・・」

「すると、何とご同業ではありませんか」

「ご同業だなんて・・・」

「早速帝国ホテルの友人を通じて、貴方のホテルの支配人に連絡を取って貰いました」

「そうだったのですか。それで先輩を差し置いて僕だったんだ」

「そういう事です。しかし貴方にお会いしたかったのは私だけではありません」

「と、言うと?」

「私が言うのもなんですが、父は中国武術の大家なのです。文化大革命の時粛清から逃れて台湾に来ました。私はこちらで産まれて父から拳法を習ったのです」

「そうだったのですか」

「私は拳法家としては大成しなかったのですが、見る目は有ります。父に貴方の事を話したら是非会いたいと・・・」

「光栄です。僕のような者に」

「いやいや、ご謙遜には及びません。近頃は本物の拳法家が少なくなりましたのでね」

王大人はグラスの老酒を飲み干して言った。「ミーティングは形ばかりのお祭りです。参加する必要はありません。その代わりこの三日の期間中に高雄市まで行って頂きたい。ご案内はメイメイがします」そう言って王大人は立ち上がった。「私はこれから気の重い仕事に戻らなければなりません。良い旅を・・・再見」

槇草が呆気にとられている間に、王大人はゲストに紛れて行ってしまった。

「槇草さん、納得が行きましたか?」気がつくとメイメイが立っていた。

「わっ、いつの間に戻ったのです?」

「たった今・・・」メイメイがにっこりと微笑んだ。



宴が終わり槇草は部屋に戻ってウイスキーの水割りを飲んだ。

強い老酒や白酒を飲んだから薄い水割りで中和したかったのだ。

『旅先では水に注意してくださいね』と妻は言った。

幸い部屋の冷蔵庫にはミネラルウォーターが入っており、氷も出来ていた。

ミニバーにはホワイトホースの小瓶が置いてある。

「なんという事だ」今回の台湾行きにはこんな裏事情があったのか。

「しかし、会議に出なくて良くなったのは有難い、改まった席はどうも苦手だ。しかもメイメイさんの案内なら悪くない」槇草はついニヤついてしまった。「いやいや、美希に知られたら殺される、クワバラクワバラ」そんな事を考えながらベッドに入った。

夜中、槇草は猛烈な腹痛で目が覚め、それから幾度となくトイレとベッドを往復した。

「どうしたんだ?料理が悪かったはずはないが・・・」槇草は首を捻った。

「あっ、氷だ・・・」

そうなのだ、美希の注意で水には気をつけていた。しかし氷は意識の外だった。

「氷だって水でできている、溶けてしまえば同じじゃないか」槇草は得心した。

しかし理由が分かったところで腹痛が治るわけではない。槇草はフロントに電話をして薬を持って来てもらったが下痢は止まらない。なんとか痛みだけは収まったが・・・



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