⒈姫服という名の服を知る。
――チ、チー、チチッ
小鳥が囀る声を聞く。
きっと、木陰で涼んでいるのだろう。
物思いに耽りながら、身じろぎする。
日が上りだし、今日の快晴を確信させた。
大時計が、七時を示す。
起きねばなるまい、辛い時刻である。
まだ起きにくい時間帯でありながらも、うっすらと目を開ける。
「ん、んー」
眩しい日差しから避けるように、寝返りを打つ。
すぐに、眠気が襲ってくる。
気を抜いたら夢に落ちてしまうような、意識と無意識の淵。
うとうと、と安らぎを感じながらも、一刻一刻と迫る時間を気にかけなければならない。
なにせ、学校へ行く時間が差し迫っているのである。
燦々と照りつける太陽に恨みを感じながら、しっかりと瞼を開いた。
ぼやけた視界に映る世界。見覚えのある景色だ。
それに、憎悪と諦めを感じる。
勿論、いつも通りの部屋だ。
高級家具も、ブランド物のバッグと服も、広々としている空間も。
全て、いつもと変わっていない。
変わっていなくて、飽き飽きするほどに。
盛大にため息をつき、起き上がって背伸びをする。
その時だ。
トントン
ドアが叩かれる。
「雅お嬢様。朝食のお時間で御座います」
メイドの一人が入って来た。
それも、恐る恐ると。
不安なのだろう。
なにせ、気難しいお嬢様の朝食役なのだ。
それ自体は理解できるし、怖いのも分からなくはない。
しかし、自分で分かっていながらも、雅は嫌悪のこもった目を向ける。
無論、メイドは怖気付いた。しかし、それも束の間。(主人である雅の父に叱られるのが嫌だからだろうが、)優しい笑みを浮かべ、机に朝食のセットを置いた。
お盆の上には、ふっくらとしたオムレツ、ふわふわのパン、紅茶など、一流シェフが作った絶品の料理が、どれも見事なほどに盛り付けてある。
普段も豪華だが、普段以上に腕を奮ってある上、メイドは雅の大好物の食べ物しか作るように指示しなかった。
つまり、トマトとレタスは入っていないのだ。
だが、そんな料理でさえ、雅の笑顔を勝ち取ることはできなかった。
メイドは落胆する。
今日こそは、自分が手柄を立て、出世の階段を上りたいと考えていたのだろう。
雅は、三年前から(理由は分からないが)笑顔を見せておらず、彼女は、学校で孤立している状態だ。
雅の父は、自分の娘の笑顔が消えたことに不快を抱き、全使用人に娘の喜ぶ顔を見せろと命令した。そのため、全員が出世のためだけに、雅を丁重に扱っているという有様である。
何とも、不愉快極まり無い事態だと雅自身も把握しており、ついには屋敷全員に心を閉ざしてしまっている状態なのだ。
当然、その事にも憤りを感じる父は命令を強化し……と、無限ループから抜け出せずにいる。
「お嬢様、今日の朝食はお嬢様の好きなオムレツですよ。少し、召し上がってくださいませ」
メイドの真摯な願いも、雅には届かない。
制服に着替え、部屋を出て行こうとする。
これは、拒絶に等しい。
だが、それで諦めるメイドでは無い。
自分の良ければ昇進、悪ければクビがかかっているのだ。
「お嬢様、どうかこの私に免じ、今日こそ召し上がってくださいまし」
精一杯の演技で、優しいメイドを演じる。
メイド自身、内心は、この気難しいお嬢様のお相手など御免なのだ。
しかし、そこはプロだ。
不満な気持ちを一切悟らせないよう、尽力する。
一々呆れさせる程の、腹黒である。
「もう、学校へ行きます」
雅は言い放つと、乱暴にドアを閉めた。
メイドは仕方がないと感じつつも、誰もいないその部屋で、密かに舌打ちした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ご機嫌様。今日、叔母様から聞いたのだけれど……」
「ご機嫌様!あら、奇遇ですこと!わたくしも聞きましてよ」
通学路は騒がしい。鞄の揺れる音、靴を鳴らす音、相手に寄りかかる音。
全てが嫌味に聞こえて、耳を塞ぐ。
―今日も、朝の時間は世間話で始まる。
極端な話、迷惑になる事の方が多い内容が多様である。
あれやこれやと、根拠の無い噂話が多い。ニュースで取り上げられている話題について話す事もあるそうだが。
人から聞いた様な物言いなのは、雅自身が加わった事が無いからである。
人の好意を拒絶し、一切を拒む雅は、冷酷なお嬢様として、既に学校全体に広まっており、わざわざ近づくという危険極まり無い行為をする者は、未だいない。
と言うのも、彼女は三年前に変わってしまって以来、言葉少なで、周りが楽しめる様な要素は、何一つ無かった事も原因の一つと言えるのだ。
虐め等は家柄状、受けたことは無いが、それも又、彼女を孤立させている。
スマホを鞄から取り出すと、ゲーム画面を開き、イヤフォンで聴きながらプレイボタンを押す。
―良い子は真似しない様に、とは、この事である。
熱心に画面を見ながら歩く。
―絶対に真似しない様にと、重ね重ね言っておこう。
有体に言えば、ながら歩き、だ。
ウィン
スマホに目を落としている為、景色がガラリと変わった事にも、気付かない。
朱色の世界に目が眩みそうであるが、まだ気づいていない雅。
明らかに違う世界で、雅は無防備になっているのである。
スマホを鞄にしまって、イヤフォンも耳から外しても尚、現実世界にいる気分であった。
ここが現実世界では無いと気付いたのは、周りの人間を見てからだ。
「え」
狐の様な耳、尻尾。
亜人と呼ばれる者たちなのか、この世界では通常なのか。
周りを見渡しながら、ふらふらと歩き出す。
「――!」
橋の下、川の水面に映った自分の姿と周りの出立ちに、驚きが急に込み上げてきた。
川をよ〜く覗き込み、目が点になった。
白髪の髪に朱色の瞳はいつも通りで安堵したが、その上に何やら動くものが有る。
腰の少し下にも、ふさふさのアルモノが有る。
ヒクッ
脳で動かせと命令しただけで、くるんと向きを変えたり、畳んだり。
丸めたり、伸ばしたり。
動物園で、見た事がある。
そうだこれは。
尻尾と耳が生えている。
唖然と見つめる。
まるで、一人の睨めっこをしている様な気分だ。
そのまま、何も出来ずに突っ立った。
周りの騒音が大きく聞こえ、古風の音楽が聞こえる。
これは、これは間違いなく―
雅は確信した。
この状況下に置いて、あの可能性を否定しない訳にはいかない。
見慣れない風景、人。
不思議な姿。
そう、これは。
雅、十六歳――
異世界転移してしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
暫くして、状況整理をする。
慌てふためき、行き交う人々から不審な目を向けられた事は、目を瞑るとしよう。
赤い東洋風の建物、聞こえてくる和風の音楽、道行く人々の姿。
その中を、考え事をする様に、雅は歩いて行く。
着物を膝まで切った様な……わかりやすく言えば、ミニスカート×和風の様な服に、踵が高めの草履。
柄等は違うにしても、現実世界では無かった服装である。
しかし雅は、やけに落ち着いていた。
先程はパニック状態で、医者に連れて行かれそうになったが。
「ここって、魔法とかは有るのかしら」
ゲームオタクとしては、当然異世界系も手をつけている。
東洋風、と言うのは、王道では無く減点だが、なんと言っても異世界は、魔法が有るか無いか、戦闘が有るか無いか、武器が有るか無いか、による。
見た所、亜人は居そうな雰囲気だが(第一、自分も亜人の様な姿なのだが)、戦闘は有るか分からない。
平和な世界程、住みやすい物は無いのだが。
まぁ、そんな上手く行かないだろう。
思案するのに、夢中になり過ぎたのだ。
小走りになっている人と、ぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
そのまま去って行こうとすると、
「ごめんなさいねー!」
彼女の声が聞こえた。
不意に、ぶつかってぶち撒けられた山菜を見る。
ただの。
ただの衝動だ。
彼女が、不憫でならなかった。
一応、自分にも非がある訳で。
罪滅ぼしとして、山菜を拾い集めた。
「すみません、こんな事して頂いて〜」
ぶりっ子の様な口調では無いが、おっとりとした口調。
雅がぶつかったことに、とやかく言うつもりはない様だ。
屈んだまま、チラリと様子を伺う。
茶髪のロングな髪、同じく狐の耳と尻尾。
淡い緑色の瞳は、澄んでいてとても綺麗。
質素な服は、可愛らしい彼女には似合わない。
「ありがとうございましたー。わたくしが前を見ていなかったばっかりに〜」
―。
彼女は前を見てはいた。
小走りになっていただけである。
少し、ズレている様だ。
「あの、名前、お伺いしても宜しいですか?」
先を急ごうとする(行く宛は無いのだが)雅に、名前を聞き出した。
もう、早く行きたいのに。
感情とは裏腹に、何故か答えてしまう。
「……雅。極羽雅。そっちは?」
目だけで急かす。
「え?わたくしですか?」
夢にも思わなかった!と、言う顔で、雅を見る。
自分から聞いてきたくせに、と雅は、悪態をついた。
彼女は少し考え込んだ後、
「家名は……ありませんが。撫子。撫子、ですよ」
ゆっくり微笑んで名乗った。
「わぁ、東ノ門は中々来た事がなくて!凄いですねぇ」
何故ついてくるのか。
さっきから、無視を決め込んでいるのに。
撫子は、かなり図太い神経の持ち主の様だ。
これは、どんな攻撃でも無意味そうだ。
はぁ、と諦めのため息を吐き、撫子の歩調に合わせる。
丁度、聞きたい事があったのだ。
「撫子、この耳って……?」
雅が問いかけたのは、人間の耳だ。
狐の耳が生えたのに、人間の耳は未だ居座っている。
それどころか、人全員についているのだ。
「それですか?何を言っているんですかー?それは、お飾りだって、親に習いませんでした?」
お飾りだったのか……。
言われてみれば、聞こえ方が違う気がする。
ヒクヒクと耳を動かし、楽しんでいると、撫子が急に手を叩いた。
「⁉︎」
驚いて撫子を見る。
「さあ、始めましょうか!」
何を⁉︎
――着いたのは、洋服屋だった。
色とりどりに飾られた服を見れば、誰でも分かる。
撫子曰く、
―「そんな不思議な格好では、はしたないですよ。服屋に行きましょう!」
との事だった。
金銭での心配だが、着ていた制服を服屋の主人が大変気に入ったらしく、これと交換に、取り敢えずこれを着ていれば大丈夫、というくらいの服をもらう、という交換条件で解決した。
因みに、撫子は一円も持っていなかった。
むこうみず。
着る服を選びながら、
雅は肩を落とした。
現実世界とは違うのだ。
服の良し悪しなど、分かるわけがない。
なるべく可愛いのをと思うが、この世界の服……姫服こそすれ、着物すら年に一回着るか着ないか程度だ。
ここはもう、自分の直感で決める他あるまい。
「嬢ちゃん、選んだか?」
主人が顔を出す。
「いえ、まだ」
無愛想に答えると、主人が棚の向こうを指さした。
「あそこら辺が良いんじゃないか?ランクで言うと、中の上って所だぜ?」
中の上。
今の雅にはそれで良いかもしれない。
言われた通りに足を運ぶ。
撫子を、待たせる訳にはいかないし。
なるほど、上品な仕上がりに拍車がかかっている。
艶やかさも加わって、華やかな雰囲気を醸し出している。
小さくではあるが、花や鶴も刺繍されている。
ハイソックス型の靴下も売ってあるし、靴屋でもないのに草履も売っていた。
この世界では、服屋で靴まで手に入るらしい。
雅は悩みに悩んだが、最終的には、赤く、小さな花が刺繍されている姫服に、えんじ色の帯とえんじ色の踵のついた草履、草履と同じ色の靴下を買った。
「可愛いです!素敵ですよ〜」
撫子は雅を褒めちぎったが、自分もちゃっかり姫服を着せてもらっていた。
「二人とも似合うなぁ〜!あぁ、茶髪の嬢ちゃん、それ、下の下だが新品なんだよ。売れ残りだから、持ってけ!」
太っ腹の主人は、撫子にも姫服を譲った様だ。
「わぁ、ありがとうございます〜!大事にしますねぇ〜」
撫子も満更でも無さそうだ。
服屋の主人に別れを言って、慣れない草履で歩き出す。
辿々しさは有るが、普段からヒールを履く事はあったから、転ぶと言う事はない。
どちらかと言うと、さっきから躓いてばかりの撫子が心配だ。
「おおっと」
また躓いた様だ。
今にもドテッと行きそうだ。赤ん坊の様に支えなければならないと思う程に。
「次は、武器屋ですね〜」
――物騒。
撫子の後を追う。
異世界で生活するには、色々と必要な様だ。
「撫子、ちょっと待って」
少しの時間しか居ないのに、ずっと前からいたみたいだ。
これから、もっともっと仲良くなりたい。
ただ、純粋にそう思った。
「先、行っちゃいますよ〜」
撫子は、走り出して振り向いた。
次話投稿できましたー!
今回は撫子の登場でしたね!
描写とか、展開とか、壁にぶつかってばかりですが、次話も頑張ります!