後編
小学生の頃の英輝は、正義感をやたら振りかざしていた。「悪いことは絶対許さない」。そんなことを常日頃から思っていた。周囲から見れば、痛い子という印象が強いだろう。
小6年の時。英輝と同じクラスに田辺という男子がいた。成績も良く、誰からも慕われる学級委員長。
そんな田辺がテストでカンニングをした。目撃した英輝は黙っていることが出来ず、クラス全員の前で田辺を問い詰めた。
「何で、カンニングしたんだ!そこまでして良い点数を取りたいのか!」
田辺はうつむいて黙っていた。
他のクラスメートも田辺を問い詰める。
「もしかして、今までのテストもカンニングしてたのか」
「田辺くん、サイテー」
「口聞いてやんねーぞ」
クラス全員から責められた田辺は、うつむいていた顔を上げた。泣いていた。全員が黙る。田辺は、そのまま教室を出た。
「田辺、大丈夫かなぁ」
クラスメートの一人が心配して言った。
「そもそも、カンニングしたぐらいでそこまで責めなくても…」
「誰だってカンニングぐらいあるだろ」
英輝は自分に矛先が向いたことを感じた。
「だいたい、ヒデは正義感が強すぎるんだよなぁ」
「この前も、頭を叩いた先生に蹴り入れていたよな」
「良いことをしたつもりでも、こっちは迷惑だっつーの」
次々に出てくる自分を責める言葉。今は教室を出たい。
「田辺を探してくる」
英輝は教室を出た。
「俺も手伝う」
後ろから速水は追いかけてきた。
「なぁ、速水」
「何、ヒデ」
「俺って間違っているのか…」
「さっきクラスメートが言ったこと気にしてんの」
英輝は黙る。
「それは、自分で判断することさ…」
英輝はこのとき、自分の正義感が間違っていることを悟った。
探した結果、田辺は屋上にいた。泣いているようだ。
「田辺、さっきはごめん…」
「何で、ヒデが謝るんだ…」
「さっき、クラスメートの前で…」
「カンニングした俺が悪いんだから、ヒデは謝る必要がないだろ」
「…田辺、何があった。言えよ」
「言いたくない!」
「何かあっただろ!」
英輝は気づかぬうちに語気が強くなっていった。
「何で、お前に言わないといけないんだ!」
田辺は英輝を睨んだ目で見ていた。
「だから…」
「人の気持ちも分からないお前に言うわけないだろ!」
田辺はそう言って屋上から出て行った。
言われた英輝は、ナイフに刺されたような痛みを全身から感じた。
俺は人の気持ちが分からないのか
「ヒデは人の気持ちに鈍感だね…」
速水が呆れるように言った。
「それはどういう…」
英輝はハッとした。速水の表情は明らかに英輝を見下している。
「人には言いたくないこともあるんだ」
速水も屋上を出た。
一人残された英輝は、立ったまま考え込んでいた。
「あれ以来、正義感を振りかざすこともなくなったね」
「反省したんだ…」
「大人しくなり過ぎてて、クラスメートや先生が心配してたよ。何かの病気になったって」
「両親や姉貴も心配してた。病院に連れていかれそうにもなった」
速水は爆笑した。
「笑いごとじゃねえ」
「ごめん、ごめん」
1時間ほど、無言になる二人
「なあ、速水。田辺は元気だったか?」
「表面上は元気だと思うよ。心の中は分からないけど。あと、ついでにカンニングした理由も聞いた」
「聞いたのか…」
「4年も経ったからね。詳しいことは教えてくれなかったけど、家庭の事情でゴタゴタしていて、思わずやってしまったんだとさ」
「家庭の事情…」
「ヒデ、人には…」
「言えない事情があるんだろ。それくらい分かっています」
「成長したね…」
「あの頃の俺はいない」
「それはそれでさみしいよ」
速水がしんみりと言ったが、英輝は無視した。
誰も訪ねてくることはなく、バイトは終了した。何故か、速水の父親が管理しているビルに寄ることになった。
「ヒデも1年ぶりだろ。ちょっと寄るだけ」
「ちょっとだけな」
ビルは前に見たときと変わっているところはなかった。
「速水さん!」
入ろうとすると、女の子に呼び止められた。
「花ちゃん、今日もここに来たの」
この子が花ちゃんか…。どこかで見たような気がする…
「速水さんこそ…ところで…」
女の子が英輝の方を見ている。
「あぁ、前にも話したことあるけど、こいつがヒデだよ」
「ヒデさん、初めまして。花です。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「随分と改まった挨拶。ところで、花ちゃんはここに?」
「ここに来れば、速水さんに会えると思って」
「そんなに俺が恋しかった?」
「いえ、宿題を教えてもらおうかと」
二人は兄妹のように親しいようだ。
兄妹?
「あっ!」
英輝は思い出し、思わず声を上げた。
「ヒデ、驚かせるなよ」
「びっくりしました…」
「驚かせてごめん」
英輝は声をあげたのも無理はないと思った。
花ちゃんは数年前に亡くなった速水の妹にそっくりだったからだ。