その3
自宅につき、家に入る。が、クロトはサーシャの左手を離さなかった。
怪訝に思うも、サーシャはクロトに引っ張られる形で、一緒にソファに座る。
「あ〜···」
なんとなく間が持たず、サーシャは話題を探した。
「そうだ、リリ。クロトはリリと知り合いだったのか?」
クロトは少し考えて
「さっきのか。いや?たぶん会ったことないと思うが」
と答えた。
「なぜ、リリが少年だと思ったんだ?」
サーシャは、リリが男であるという事を、本人から聞いて知っている。
が、知った上で見ても、リリはどっからどう見ても女の子だった。しかも、可愛らしい感じの。サーシャでは、今でも昔でもたどり着けない領域にあるような。
「馬鹿だなおまえ。あれは男だぞ、絶対」
言い切るクロト。
「そ、そうか?」
リリがサーシャに教えてくれたとは言え、それを更に言いふらしていい事にはならない。サーシャは素知らぬふりをした。
クロトは握っているサーシャの左手をギュッとする。
「そうだ。断言できる。だからおまえ、少しは気をつけろよ···」
気をつける···って···。
サーシャが、キョトンとするのでクロトは続けた。
「おまえは全く。だから服ひん剥かれるんだよ···。中身が男だって事で、気をつけろって話」
サーシャは首を傾げた。
「リリはいいとこ中高生だぞ?そんな子供にどうこうされるほどガキじゃない」
「会ったこと、あるのか」
珍しく真面目な顔のクロトに、サーシャは焦る。
「あぁ、いや、言い方が悪かったな。以前リリのリアルの話を少し聞いたことがあるんだ。それで私が勝手にそう判断しただけだ。すまなかった」
クロトは、視線を外した。泣くような笑うような不思議な顔をしている。
「謝ることじゃない。例えばそれで、会ったことあったとしても、それは俺に謝ることじゃない。俺こそごめん」
サーシャはクロトの手を両手で握った。
「私はゲーム内の人間とは会ったことがない。会ったことがあるのは、おまえだけなんだ、クロト」
クロトは、視線を床に固定したまま少し黙った。そしてポツリと言った。
「クロトってのは」
サーシャはクロトをじっと見る。
「俺がつけた名前じゃないんだ。俺ん家に遊びに来た友達が、俺のパソコンで勝手にインストールして始めたゲームのキャラにつけたのが始まりでな。そいつが帰ったあと、それをそのまま続けてて、なんか気に入ったからだいたいどのキャラでもこの名前使ってる」
サーシャはこく、と頷いた。
「あぁ、いい名だな」
クロトは両手で握っているサーシャの手を更に両手で自分の顔の所に持ってくる。
ズズズ、と、サーシャはクロトの方に引き寄せられる。
「まぁ、自分でも使いまわすくらいだ。気に入ってる。けど」
クロトはサーシャを見る。
「本名で、呼んでくれたことあったろ?俺、あれ嬉しかったんだ」
サーシャは手を離そうとした。が、クロトがガッチリとホールドしていて離れない。
覚えていたのか、たった一回、呼んだだけなのに···。
そうだ。呼んだんだ。呼びたかった。ゲームの中だけじゃなく、一緒にいたかった。
でも実際呼んでみると、その重さが違った。
ただのゲームのキャラ名と、その人としてつけられた名前の、重さが同じであるわけがない。
そこに含まれる意味、歩んできた歴史、望まれる未来。
真理子は俊の名を呼び、幸せに喜ぶも束の間、その重さに潰れてしまった。
サーシャとして、クロトと並ぶのはなんら問題がないだろう。相方として、隣に並ぶも補佐するも、サーシャには自信があった。
だが、真理子として、俊の隣に並ぶという事は、どこをどう考えてもおかしかった。バランスが悪い、歪んでいる、相応しくない。
それは、「そんなことないよ」と、人から言われて「あ、そっか〜」と考え直せるようなものではないので、真理子は俊に言ったことがない。
ないのだが···。
「まぁ」
クロトが言う。
「呼べって言って呼んでもらっても、それはクロトの名と変わらんから、どうでもいいんだがな」
そう言うとクロトはサーシャの手を離した。
サーシャは立ち上がり、とと···と机の方に行く。
「さて」
クロトは打って変わって明るい声で言った。
「俺これからクラン戦出るから。またな真理子」
サーシャは振り返り、頑張って笑顔を作る。
「そうか、頑張れ」
クロトはサーシャの自宅を出、しばらくすると、二人のパーティは解散された。