096 混魔解毒薬
「モーナ、あんた追いかけられてるって……」
突然現れたモーナに驚くわたしに、モーナがいつもの調子でドヤ顔になる。
「ナオとランがぶっ飛ばしたわ」
「あんたじゃないんかい」
なんでドヤ顔なんだよ、と言いたくなる。
まあ、だけど、モーナが無事で安心した。
モーナに限って何かあるとは思えないけど、多少は心配していたのだ。
「くちゃくちゃ喋ってんじゃないわよ!」
ラリーゼが接近し、ナイフを振るう。
「これを使え!」
――っカリブルヌスの剣!
ラリーゼのナイフが振るわれたのと同時。
モーナからカリブルヌスの剣を受け取り、そのままラリーゼのナイフを受け止めた。
刃の交わる音が響き渡り、わたしはそのままスキルを発動する。
瞬間――カリブルヌスの剣がナイフを斬り裂く。
そして、わたしはスキルを解いて、そのままラリーゼをカリブルヌスの剣で斬り払った。
「な…………かはっ」
ラリーゼは油断していたのだろう。
正直今の攻撃でどうにか出来ると思っていなかった。
だけど、牽制のつもりで斬りかかったそれはラリーゼを斬り、ラリーゼは体から血しぶきを上げて気を失って地面に転がった。
「……終わった?」
「終わってない。気を失ってるだけで生きてるぞ。殺さないのか?」
「必要無いでしょ」
相変わらずのモーナを一瞥してから、深く息を吐き出した。
「愛那ちゃん、モーナちゃん、手伝って下さーい!」
お姉の声が聞こえて振り向くと、いつの間にか元の姿に戻っていたお姉が、チーと一緒にチーの母親を壁から降ろそうとしていた。
こういう時に、やっぱりお姉は頼りになる。
モーナが来たから、わたしと一緒にラリーゼと戦うのをやめて、チーの母親の救出に切り替えたんだろう。
まあ、結局は手こずって、わたしとモーナに助けを求めるところが実にお姉らしいけど。
モーナには色々聞きたい事はあるけど、それは後回しでいい。
とにかく今は、チーの母親を早く助けなきゃだ。
わたしとモーナは直ぐに手伝いに行き、チーの母親を地面に降ろして寝かせる。
すると、それと同じタイミングで、サガーチャさんをおぶったグランデ王子が地面に着地した。
「一時はどうなる事かと思ったけど、まだ時間に余裕はありそうだね」
グランデ王子様に降ろしてもらってから、サガーチャさんが微笑しながら言うので、どのくらい時間があるのかと時計に視線を向ける。
時刻は11時15分で、まだ45分ある……と言えるのだろうか?
「サガーチャさん、チーのお母さんの病気を治す為のマジックアイテム……混魔解毒薬って今持ってるんですか?」
「勿論だよ。後は足らない材料があれば、それを加えて完成出来る」
「そっか。なら、ナオさん達から早く受け取らなきゃ」
「それなら私が持って来たぞ」
モーナが小瓶を取り出して、蓋を開けて逆さにする。
すると、小瓶の中からカラフルな三角形のクラゲが何匹か飛び出して地面に落ちた。
「モーナちゃんが持って来てくれたんですか?」
「だな。本当はラヴィーナとワンドも連れて来たんだけど、博士の家に行ったら子供がいっぱいいて、ここに行ったって聞いたから私だけ先に来たんだ」
「そっか。やるじゃん、モーナ。ありがとう」
モーナに微笑んでお礼を言うと、モーナは気分を良くしたのか「あたりまえだ」と言って、ドヤ顔で胸を張った。
すると、チーがモーナの前に出て、深く頭を下げた。
「猫のお姉さん、ありがとう」
「お礼は魚の塩焼き一人前で良いぞ」
「おい、こら」
モーナのドヤ顔でこにデコピンをお見舞いしてやる。
すると、モーナは「んにゃっ」と声を上げて、涙目でおでこを押さえた。
「何をするー!」
「せっかく見直したのに、本当にあんたはアレだよね」
「はあ? アレってなんだ!?」
「さあね」
「ふふふ。何だか久しぶりの光景ですね」
「お姉?」
「ラヴィーナちゃんにも見せてあげたいです」
「あのね、今はそんな呑気な事言ってる場合じゃ」
「まあまあ、マナくん。良いじゃないか。後は私に任せてくれて大丈夫さ。必ずチーくんの母親を助けると約束するよ。絶対的な自信があるからね」
「まあ、余としては楽観的になりすぎるのはどうかと思うけど、姉君の腕だけは保障できるよ。憂いを全て取り除いた今なら、もう解決したも同然さ」
「はあ……そうですか」
サガーチャさんの絶対的な自身。
グランデ王子様のサガーチャさんへの信頼感。
サガーチャさんはモーナが出したカラフルなクラゲを何かの容器に入れたりして、既に作業を開始している。
その手際の良さは、素人目からも見ていてハッキリと凄いと分かる。
流れる様に次から次へと作業をこなし、さっきわたしに喋っていた時も、その流れが止まる事は無かった。
と言うか、サガーチャさんの白衣から、次々に色んな物が飛び出していた。
その中には、50インチくらいのモニターと同じ大きさの映像が飛び出す魔石もあって、その大きさにわたしは唖然となる。
多分だけどステチリングの飛び出す情報のデカい版。
「マナちゃん、さっきはごめんなさい」
不意に話しかけられてお姉に視線を向ける。
お姉は落ち込んだ様子で顔を俯かせていた。
「さっきって?」
「私がリモーコさんに変身して超音波を飛ばして、ラリーゼさんを本来の姿に戻した時の事です。直ぐに変身を解くべきでした。リモーコさんの姿のままでいたせいで、魔法が遅れて愛那ちゃんを助ける事が出来ませんでした」
「ああ、それの事か」
確かに、あの時はモーナが来てくれなかったら、今頃わたしは死んでいた。
でも、それはわたしが悪い。
ラリーゼから目を逸らしていて、ラリーゼが元の姿に戻っていた事にすら――元の姿に?
「え? あれがラリーゼの本当の姿なの?」
ラリーゼに視線を向ける。
わたしと同じくらいの歳だと思っていた女の子は、最早その面影すらない。
「はい。ラリーゼさんは多分幻覚を見せるタイプのスキルだと思います。オメレンカさんもそう言う類のスキルらしいので、戦ってる途中で分かりました」
「なるほど……って、ん? オメレンカさん? え? 何? お姉ってオメレンカを知ってるの?」
「はい。お友達です。捕まっていた時の愛那ちゃんの事を色々教えてもらいました」
「……そうなんだ?」
わたしの知らない所で何があったのかは分からないけど、とりあえずそう言う事らしい。
コミュ力高いな。
流石お姉だ。
それにしても、だ。
何となく解かってきた。
ラリーゼのスキル【幼き日の思い出】の正体は、見た目を変えるスキル。
いや。
正確には、周囲に幻を見せるスキルなのだろう。
本来の自分の姿を隠し、幼い姿を見せて油断させる。
そういう類のスキルだ。
最初にナイフの攻撃を防いだ時に、勢いが強くて剣身で顎を打ったと思った。
だけど、アレは実際はラリーゼのリーチが長くて、単純に腕の長さの分だけナイフが伸びたと思えば納得できる。
ラリーゼがブレた様な感覚。
わたしとそんなに変わらないと思っていた身長であの歩幅。
これ等が全て本来のあの姿が理由だと思えば、何も不思議な事は無かった。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
わたし達は勝ったのだ。
お姉、モーナ、チー、それにグランデ王子様と会話しながら、サガーチャさんを待つ。
後はサガーチャさんを待って、完成したマジックアイテムをチーの母親に使用するだけだ。
暫らくして時間を見ると、既に12時まで残り10分も無かった。
本当に大丈夫なのかとわたしは焦る。
だけど、ここで余計な事を言って作業を中断させるわけにもいかない。
チーも顔には出さない様に頑張ってるけど手は震えてる。
それを見て、わたしはチーの手を取って繋いだ。
チーの不安な思いが繋いだ手から伝わってくる。
不安な顔をチーがわたしに向けて、わたしはそれに大丈夫だよと頷いた。
サガーチャさんの作業は順調に進んでいるはず。
何をしているか分からないけど、それでもサガーチャさんの顔に焦りはない。
マジックアイテムの最後の材料である三角海月は、既に原形を留めていなかった。
液体になっていて、それが何種類かに分けられてフラスコに入れられていた。
と、そこでサガーチャさんがお皿を取り出して、その上に“もやし”の山を築いた。
「もやし?」
思わず声に出てしまった。
すると、サガーチャさんがわたしの顔を見て、ニマァッと笑みを浮かべた。
「仕上げだ」
サガーチャさんがコップを取り出して、それに三角海月の液体を入れていき、最後にもやしを一つ摘まんで入れた。
瞬間――コップに入った液体が虹色に輝く。
それは周囲を照らして、まるで某有名な料理アニメの様だった。
サガーチャさんはそれをチーに差し出す。
「これを君の母に飲ませてあげてくれ。即効性があるから、飲めば直ぐに回復するよ」
「うん! ありがとう!」
チーは涙を流しながら、笑顔でサガーチャさんからそれを受け取って、母親の許に行く。
「良かったですね」
「うん」
お姉がわたしに微笑んで、わたしもお姉を見て微笑む。
時間は残り僅か。
サガーチャさんの言う通りの即効性がどれ程かは分からないけど、サガーチャさんを見れば大丈夫だと分かる。
チーの母親は念の為少し離れた距離に寝かせていた。
混魔解毒薬を作る上で、そこから発生する魔力にあてられて状態の悪化が起きるといけないから、母親を離れた場所にとサガーチャさんに言われた為だ。
チーが母親に駆け寄ると、混魔解毒薬を飲ませやすいようにグランデ王子様がチーの母親の体を少し起こす。
チーはグランデ王子様にお礼を言って、母親の口にコップを近づけて――――
「困るな~。チーちゃん、そんな事したら」
「――っ!」
不意に背後から男の声が聞こえた。
その声に驚いて、わたしは振り向こうとした。
だけど出来ない。
振り向く前に惨劇が起こったからだ。
それは、男の声が聞こえた瞬間だった。
視線の先、グランデ王子様が知らない男に頭を掴まれ、そのまま地面に叩きつけらる。
更にチーが持っていたコップが何かに斬られ、混魔解毒薬は全て地面に零れ落ちて無くなった。
敵!?
わたしが思うより早く、モーナは駆け出していた。
同時にグランデ王子様が男に反撃をしようと立ち上がろうとした。
だけど、出来ない。
男がグランデ王子様の足を踏み、周囲に鈍く骨が折れる音が響き渡った。
グランデ王子様は足の骨を折られて、立ち上がる事を封じられてしまった。
モーナが爪を伸ばし、男に向かって爪を振るう。
男はニヤリと笑い、それよりも速くモーナのお腹を殴り、モーナは勢いよく吹っ飛んで数十メートル先で転がった。
カリブルヌスの剣が重くなり、モーナが気を失ったと理解した。
あまりにも一瞬の出来事で、わたしは何も出来なかった。
それはお姉も同じだ。
モーナは気を失っていて、グランデ王子様は足の骨を折られて動けない。
「チー!」
チーは膝を地面につけて、体を震わせて男を見上げていた。
男はチーを見てニヤリと笑い、手を伸ばす。
わたしは走った。
重りにしかならなくなったカリブルヌスの剣を捨てて、短剣を抜いて全力で。
男はチーの頭に触れて微笑む。
「久しぶりだね、チーちゃん。元気だったかい?」
「ジル……お義父さん? …………な……んで?」
悲痛、震駭、混乱、困惑、疑念……それが全て詰まっている様な表情で、そして震えた声でチーが呟いた。
「ああ、そうだよ。ジルお義父さんだ」
男はわたし達に視線を向けて、不気味な笑みを見せて両手を広げた。
「はじめまして、チーのご友人方。私はチーの義父、ジライデッド=ルーンバイムだ。以後、お見知りおきを」
その男は、チーの……亡くなったはずの義理の父親だった。
衝撃的な事実にわたしの足は止まっていた。
そして――――
……ゴーン。ゴーン。
12時の鐘が鳴る。
それはわたし達に絶望を与える様に、深く、重い音色だった。