082 お姉ちゃんと言う名の概念
お姉を連れてバーノルド邸に帰って来て間もなくの事だった。
今日から奴隷をすると言っているお姉の言葉が本当かどうかを確認する事になり、屋敷の中には入れずに庭でお姉に待機してもらった。
それからスーロパが確認をしに行って、わたしはチー達と一緒にお姉を見張る事になり約10分。
スーロパがバーノルドを連れて戻って来たと思ったら、その時お姉と一緒に話をしていたカルルを見るなりバーノルドが怒りだした。
理由はこれ。
「カルル! お前のそのおっぱいは何だ!?」
である。
バーノルドはロリコンで胸が小さい方が好みらしく、カルルの胸が大きいのが気にくわなかったらしい。
何で今まで気がつかなかったんだよって感じだけど、わたしも気がつかなかったから人の事は言えない。
とは言っても、バーノルド……このおっさんの奴隷になってから分かった事だけど、分からないのも無理はなかった。
こう言っては何だけど、このおっさんは想像していたよりは奴隷の扱いが丁寧だった。
わたしが奴隷と聞いて想像するのは、夜のお供的ないやらしい事をさせられる感じだった。
わたしはこう見えても、お姉の趣味で集めている漫画を一緒に読んだりゲームを一緒に遊んだりアニメを一緒に見たりで、それなりに色んな事を知っている。
だから、子供には言えない見せられないなんてものも普通に知っていた。
おかげで無駄な知識も沢山あるわけだけど、だからこそ奴隷がどんなものかも知ってるし、バーノルドみたいなロリコンが女の子に対して何をしようとしているのか知っているつもりだった。
正直ここに来た時には、わたしは自分がバーノルドから受ける奴隷としての役割に恐怖で震えたものだった。
だけど、蓋を開けたら全然想像と違っていた。
バーノルドは基本自分から手を出さない。
そりゃあ抱き付いたりとかはたまにしてくるけど、離せと言えば離れるし、キスだったり胸やお尻を触るなんて事はまずしてこない。
お風呂を覗いて裸を見ようとすらしてこない。
これはわたしだけでなく他の子達にも一緒で、皆平和に暮らしていた。
バーノルドがする事と言えば、着せ替えをわたし達にさせて興奮するくらいで、なんなら苛ついたわたしが蹴ると「ありがとうございます!」と感謝される。
だからこそかもしれない。
一週間暮らしてきたけど、ラリーゼのパワハラさえ我慢すれば、ここの生活はそこまで悪くなかった。
だから、今まで逃げ出そうと言う気が本気では起きなかったのかもしれない。
まあ、それは今は置いておくとしよう。
カルルはお姉に隠れ巨乳だと見破られて油断していたようだ。
胸が大きい事を隠すのを忘れていたせいで、それをバーノルドに見られてしまった。
ただ、そんな事は今はどうでも良い。
そう思ったのはわたしだけじゃなく、スーロパも一緒だった。
スーロパは困惑しながら、バーノルドに「それよりあっちの牛の獣人が」と必死に話していた。
だけど、残念ながらバーノルドはそれに聞く耳は持っていなかった。
「もういい。カルル、今直ぐボクちんのスキル【絶対まな板宣言】で、おっぱいを小さくしてあげるからね」
「おっぱいを小さく!? ダメです!」
お姉がカルルの前に出る。
お姉とバーノルドが睨み合い、この場の空気が張り詰められる。
「ボクちんの邪魔をするな! ボクちんはつるぺたが大好きなんだ!」
「おっぱいは女の子の成長の証の一つです! 小さいおっぱいと大きいおっぱいのどちらが良いなんて事は無いですが、自然体が一番なんです! それを無理矢理小さくするなんてダメな事です!」
「成長の証だと? そんなもの必要無い! そこにいるボクちんのマナちゃんの様な絶壁が理想的だ!」
「誰が絶壁だ!」
思わずバーノルドの後頭部を殴る。
バーノルドは「ありがとうございます!」とわたしに感謝して幸せそうな表情を浮かべた。
正直気持ち悪い。
「って言うか、あんたがそのスキルでわたしの胸を小さくしたんじゃん! 早く元に戻せ!」
「え? 何を言ってるんだい? マナちゃん。君のおっぱいは最初から無かったじゃないか」
「……いやいや。そんなまさか……………え? マ? 少しくらいは……」
「無かったよ。ボクちんのスキル【絶対まな板宣言】の効果は、おっぱいが大きい子のおっぱいを小さく出来る効果もあるけど、元々小さい子のおっぱいはそのまま成長を止める効果だけなんだ。マナちゃんは元々小さいから、成長が止まっただけだよ」
「………………ふーん、そう」
「お姉ちゃんは小さい愛那ちゃんのおっぱいも大好きですよ」
「うっさい! って言うか、結局成長を止められたって事は、これから大きくならないって事でしょ? さっさと元に戻せ! わたしは今育ち盛りなの! 来年には昔のお姉みたいに立派に成長するから!」
「いくらマナちゃんの頼みでもそれは聞けないな」
わたしがバーノルドを睨み、バーノルドが余裕の笑みを浮かべる。
すると、スーロパがお姉の尻尾を掴んで引っ張りながら、わたしとバーノルドの間に割り込んだ。
「バーノルドさん、お話の途中申し訳ないけど、この子どうします?」
「ボクちんは年増には興味ない。追いだせ」
「はあ!? お姉は年増じゃない!」
「マナちゃん、どうしちゃったんだい? こんな女なんて放っておいて良いじゃないか」
「そうですよ、愛那。私を愛那が庇ってくれるのは嬉しいですけど、それで大事な妹の愛那が立場を悪くしてしまったら悲しいです」
「お姉……」
わたしの事を凄く心配してくれるそのお姉の真剣な表情を見て、わたしは冷静になった。
つい頭に血が上ってしまったけど、感情に任せて行動していたら、上手くいく事も上手くいかなくなってしまう。
お姉がそれをわたしに気付かされてくれた。
「おい待て。今お前、何て言った?」
「え? 私ですか?」
バーノルドが何やら驚いた表情を浮かべてお姉を見ていた。
そしてその表情を見て、わたしは心の中で「しまった!」と叫び、事の重大さに気がついた。
「愛那が立場を悪くしてしまったら悲しい……ですか?」
「違う! マナちゃんの事を何て言ったかと聞いてるんだ!」
「愛那は私の大事な妹です」
「お姉の馬鹿! せっかく隠してたのに!」
不味い事になった。
もう言い逃れできない。
わたしは焦ってスーロパに視線を向けた。
スーロパは戦闘態勢に入っていて、翼を広げてお姉を睨み、魔法で作り出した水の剣を構えていた。
やるしかない!
わたしも直ぐに魔力を両手に集中しようとして、ここでは魔法が使えない事を思い出して焦る。
町でスーロパが魔法を使っていたから、今まで魔法が使えない事をすっかり忘れてしまっていた。
その分反応が遅れる。
スーロパがお姉との距離を詰める。
わたしは更に焦る。
それならと武器が無いかと周囲に視線を向けても武器になりそうな物も無い。
本気でヤバい。
このまま敵だと判断されたお姉が殺される所なんて見たくもない。
何か策はないかと考えるけど、こんな状況じゃ思いつかない。
絶体絶命のピンチだ。
「マナちゃんのお姉さんだったのか! それならそうと早く言ってくれ! ボクちんのマナちゃんのお姉さんなら大歓迎だ!」
スーロパがお姉に水の剣で斬りかかろうとしていたその時だった。
バーノルドが両手を広げてお姉に笑顔を向けた。
おかげで、スーロパが驚いてその場で止まり、お姉に向けていた刃を引っ込めた。
「ほっほお。まさかお姉さんがボクちんとマナちゃんの婚約を認めてくれるなんて思わなかったよ」
「え? マナちゃんと婚約? そんなの認め――」
「お姉! せっかくだから自己紹介! 自己紹介しようよ!」
「あ、そうですね」
危なかった。
せっかくバーノルドが勘違いしてくれたのに、ここでお姉が余計な事を言って話がややこしくなるのは本気で避けたい。
まあ、いつの間に奴隷から婚約者になったんだよと言いたい所だけど、今はそんな事はどうでも良い。
とにかくこの場を切り抜ける事だけを優先しなければならない。
「私は愛那の姉の“お姉ちゃん”です」
え? それ続けるの?
「珍しい名前だね。お姉ちゃんもボクちんの奴隷になりたいのかい?」
おい。お前がお姉を“お姉ちゃん”呼びするな気持ち悪い。
「はい。愛那ちゃんと一緒に頑張ります!」
「流石はマナちゃんのお姉さんだ。お姉ちゃんは奴隷の才能がありそうだな」
「お褒めに預かり光栄です!」
頭が痛くなってきた。
もう何処をつっこめば良いのか分からない。
ただ一つ言えるのは、先が思いやられると言う事だけだ。
「さて、そろそろカルルのおっぱいを小さくするとしようか」
「それは駄目です!」
「何だと!?」
「バーノルドさんはもっと大きいおっぱいの女の子の気持ちも考えて下さい!」
「考える必要は無い! お姉ちゃん、マナちゃんのお姉さんだからと言って、ボクちんを止められるなんて思うなよ!?」
「いいえ! 止めてみせます!」
……よし。
もう放っておこう。
再びお姉とバーノルドのカルルの胸の大小争奪戦が始まった。
わたしは事の発端の原因である隠れ巨乳のカルルを連れて、チー達と一緒に屋敷の中に戻った。
スーロパもお姉に何か危害を加えようとする素振りも見せなくなり、お姉とバーノルドの言い争いを面倒臭そうに見守っていた。
わたしも胸にかけられたスキル【絶対まな板宣言】を解除して貰う必要があるけど、実はこのスキルの解除方法が解かってしまった。
お姉の頭から生えた牛耳とお尻の牛尻尾は、お姉のスキル【動物変化】を使って部分的に出したもの。
そして、そう言った特殊なスキルの使い方は、わたしにだって出来る事は既にラヴィの母親で実証済み。
つまり、スキル【必斬】をわたしの胸に使えば、バーノルドの呪いの様なスキル【絶対まな板宣言】も斬り捨てて解除出来る筈だ。
だからこそ、わたしの心は既に余裕で満たされていた。
キッチンの責任者をしているわたしは、包丁を使っていつでも元の姿に戻れるのだから。
そう言えばスキルは使えるのか。と、今更ながらに思ったけど、まあ、それは今は置いておくとしよう。
バーノルドから貰った外出許可証はもう必要ないし、さっさと処分するか。
チー達と一旦別れて自分が与えられている部屋に戻ると、わたしは一息ついてから外出許可証の存在を思いだして、もう必要無いのでゴミ箱に捨てる事にした。
外出許可証はスカートのポケットにしまっておいたのでポケットに手をつっこむと、それとは別の紙に触れてわたしは思いだした。
わたしはあの時、ランジェリーショップでサガーチャさんと別れる間際に、スカートのポケットに何かを誰かに入れられていた。
そしてその何かをわたしはまだ確認していなかったのだ。
何かを外出許可証と一緒に取り出して確認すると、それは二つ折りにされたB5サイズの紙だった。
それを広げて確認すると、そこには文字が書いてあった。
“急げ。タイムリミットは深夜0時だ。”
タイムリミット?
深夜0時って今日の事?
急げって書いてあるけど、どう言う事だろう?
紙に書かれた文字の意味が分からず、わたしは紙をテーブルに置いて窓の外を見た。
時計塔の時計の針は夕方の5時を回った所だった。
外出してから結構時間が経っていたようだ。
そろそろ夕飯の準備をしないといけない。
今日の献立や食材の確認。
それに皆への役割分担。
だけど、手紙の内容が気になる。
どうしたものかと手紙を置いたテーブルに視線を移すと、いつの間にかチーが部屋に入ってきていて、テーブルの前で手紙を手に取ってジッと見つめていた。
「あ、チー。どうしたの?」
「マナお姉ちゃん……。これ、何て書いてあるの?」
そう言ったチーの手は震えていて、何かに怯えている様な表情をしていた。
「……急げ、タイムリミットは深夜0時って書いてあるよ」
本当はこの事は誰にも言わないつもりだった。
だけど、チーがあまりにも辛そうで、何かに怯えている様に見えて言ってしまった。
言った所で何かがあるとは思えないけど、それでも教えてあげなくちゃいけない気がした。
「0時……っ!?」
チーは焦る様に張り詰めた顔をして、窓に駆け寄って外を見た。
視線の先はわたしが見ていた時計塔。
時計塔を見たチーは凄く辛そうな顔で目尻に涙を溜めて、何も言わずに走って勢いよく部屋を飛び出した。
「チー…………?」
何かよくない事が起きようとしてる。
いや、もしかしたら既に起こってしまっているのかもしれない。
だけど、わたしはただ呆然と立ち尽くして、部屋を飛び出したチーの後ろ姿を見ている事しか出来なかった。




