076 奴隷市場の館の決闘 逃亡戦 4
気が動揺して頭の中が真っ白になってしまったラヴィを見て、チーがわたしの手を強く握りながらイタズラっぽく笑う。
「チーはね、マナお姉ちゃんが気にいったの」
「嘘だったの? お父さんが死んだって……お母さんと二人で暮らしてたのも」
「……うん。全部嘘だよ。信じちゃうなんて馬鹿みたい」
チーの言葉があまりにも辛くて、ラヴィの瞳から涙が流れた。
「あーあ。ラヴィちゃんも連れてってあげようと思ったんだけど、チーの事知っちゃったからもういらない。バイバイ」
「ん~、仕方が無いわね。ボスがそう言うなら、あなたはあっち」
スタシアナが気絶しているスミレさんに向かってラヴィを放り投げる。
ラヴィはもう何も出来なくなってしまい、そのままスミレさんの上に落下した。
「ねえ。リングイのおじさん、ばらさないでって言ったよね?」
「ごめんよ、チーちゃん。まさか起きてるとは思わなかったんだよ」
「……うん、良いよ。許してあげる。でも、チーの許可なく次にばらしたら、もう遊んであげないからね」
「もちろんだとも。さあ、家に帰ろう」
偽リングイがニヤリと下卑た笑みを浮かべて、わたしに頬ずりをして歩き出す。
スタシアナもその後に続いて歩き出す。
チーはわたしから手を離して、シップとミネークに「その人達は任せるね」と言って、駆け足して偽リングイの隣に並んでわたしの手を握った。
そしてチー達の姿が見えなくなると、ミネークがラヴィとスミレさんの許までゆっくりと歩き出して、シップがナオさんの目の前に立って手の平を向ける。
「任せるねえ? ったく、ボスはいい気なもんだぜ。こちとらせっかくのお楽しみが、ボスがでしゃばったせいで無くなっちまったのによ。まあ、愚痴ってても仕方がねえか。とりあえず隊長は殺し――っ!?」
瞬間――ミネークがシップの頭に覆いかぶさるようにのしかかる。
シップは直ぐにミネークを持ち上げて乱暴に投げ捨てた。
そして、倒れていたスミレさんに視線を向けようとして、既にそこにスミレさんがいない事に気がついた。
「ちいっ! ――っな!?」
天井付近から炎の柱がシップ目掛けて一直線に放たれる。
炎の柱はシップだけでなく、土草で身動きが取れなくなってしまっていたナオさん諸共包み込んだ。
シップは火だるまになりながら横っ飛びして「あぢいいいいっっ!」と叫びもがく。
この炎の柱を放ったのは勿論スミレさんだ。
何が起きたのか……それは、スミレさんの側までミネークが来た時だった。
スミレさんは密かに魔力を溜めていて、まずは側に来たミネークをみぞおち一撃で気絶させる。
次に勢いよくシップの頭上に放り投げて、同時に自らもその上を跳躍してシップの視界に映らない様にした。
そして、シップがミネークに気をとられた隙に、頭上まで移動していたスミレさんが強力な魔法を放ったのだ。
一見直ぐに気付かれるかの様なこの作戦は、実はかなり有効だった。
何故なら、ここがシャンデリアのあるエントランスホールで、更には天井付近にはラヴィが生み出した雪雲があったからだ。
シャンデリアは雪雲で見事に隠れていて、完全に視界に入っていなかった。
そして、スミレさんはそのシャンデリアの位置をしっかりと把握していた。
だからこそシップの頭上にあるシャンデリアを利用して、スミレさんは難無くシップに魔法を使う事が出来たのだ。
「くそっ。隊長ごとやりやがったな! あの糞魔族女!」
魔法の影響で雪雲が晴れて、シップが血管が浮き出る程に顔に血を登らせて怒りながら、シャンデリアの上に立つスミレさんを睨む。
「俺を本気にさせたな! 地獄を見せてやるよ!」
シップがスミレさんに向かって両手の手の平を向けて、スキル【折り畳む手】を発動する。
スミレさんは寸での所でそれをかわして床に降りて、シャンデリアがけたたましく音を上げて拉げた。
「逃がすかよ!」
シップが更に追い打ちをかけようとスミレさんに手の平を向けた。
瞬間――大きな虎の顔をした炎が現れて牙を剥き、シップに横からかぶりついた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっ!!」
シップの叫びがエントランスホールに響き渡る。
そして、シップに炎を放った人物……ナオさんが、もがき苦しむシップに一瞬で近づいて、手錠と足枷を素早くつける。
シップが身動きを取れなくなると、ナオさんはスミレさんに視線を向けた。
「ありがとね~、スミスミ。土草を燃やしてくれたおかげで助かったよ」
「どういたしましてなの。でも、そんな事より面目ないなの。マナちゃんが連れて行かれてしまったなの」
「スミレのせいじゃない。私も動揺して何も出来なかった……」
ラヴィがスミレさんに近づき、眉根を下げて俯いた。
「ラヴィーナちゃん……。元気を出してほしいなの」
「……にゃ~。とにかく、あの子達とラビちゃんだけでも助けられて良かった」
ナオさんが怯えて蹲っていた五人の女の子達に視線を向けて、大きくため息を吐き出した。
そのため息は決して安堵のため息ではなく、結果的に作戦が失敗してしまった事に気を落として出たものだった。
するとその時、身動きが取れなくなったシップが「はははははは!」と大声を上げて笑いだした。
「気でも狂ったの?」
ナオさんが笑い続けるシップに顔を顰めて話すと、シップが楽しそうにナオさんと目を合わせた。
「あーあーあー。油断したぜ糞ったれ。しかし隊長さんよお。だからって別に俺は気が狂ったわけじゃないぜ。これだけの事をやっておいて、隊長の顔色が優れないんで可笑しくて笑っちまっただけさ。まるで敗戦したみてえじゃねえか。そんなにあの黒髪の娘が大事だったか?」
「は? 当たり前なの。負け犬は大人しくキャンキャン泣いてろなの」
スミレさんがナオさんの代わりに答えて、シップの顔に足を乗せる。
シップは抵抗せずにそれを受け入れて、気味悪く笑い続ける。
そんな時、わたしと戦って身動きが取れなくなっていた筈のシーサが逆立ちでやって来た。
シーサが直ぐ側まで近づいていた事に今まで気がつかなかったラヴィとスミレさんとナオさんが身構えると、シーサが「きついわね」と言ってその場で座る。
「あ~、アタイもう戦う意思ないから。ちょっとお話に入れてほしかっただけ」
「にゃあ?」
「そんな顔しないで下さいよ。こんな足じゃ教官から逃げきれるなんて思えませんよ」
シーサの発言を疑ったナオさんだったけど、シーサの両足を見て納得する。
わたしが斬ったシーサの両足は、止血こそされていたけど、とてもまともに動かせる様な状態ではなかった。
だから、ナオさんだけでなく、ラヴィもスミレさんもその足を見て警戒を解いた。
「それで話って、何か有益な情報でも教えてくれるの?」
「ええ、勿論。と言いたい所だけど、ここにいるだけでもアタイとシップとミネークが捕獲されるとなると、アタイが持ってる情報は既に使い物にならなくなってるかもよ?」
「どう言う事なの?」
「どう言う事も何も、バティンもさっきの聞いてたでしょ? ボスは隠し事が好きなのよ。だから、秘密がバレたら口封じに殺すか、それが無理なら情報を新しく上書きするのよ」
「情報を上書き?」
「そうよ。今回だと被害が大きいから、口封じで殺すのは逆に効率が悪い。だからボスがとる手段は情報の上書きね。例えば、分かり易いので言えばアジトを変更するとかね」
「にゃあ……。こっちとしては殆ど振り出しに戻されちゃうみたいなものか。……でも、聞かないよりは聞いた方が良いだろうし、色々聞かせてもらうよ」
「それもそうよね、仕方が無いわ」
「とりあえず、まずはミネークの拘束を…………っ!? ら、ラビちゃん!?」
ナオさんが気絶して倒れているミネークに視線を向けて驚いた。
何故なら、ミネークはいつの間にか氷漬けになっていて、その上にラヴィが座っていたからだ。
「凍らせた」
ラヴィはそれだけ告げると、ジャンプして床に着地する。
「ああ、逃げようとしてたのか」
よく見ると、凍っているミネークは背を向けていて、まさに今にも逃げ出しそうな雰囲気のまま凍っていた。
ナオさんはそれを見て納得して、ラヴィの側に行って「ありがとう」と言って頭を撫でる。
ラヴィは「ん」とだけ答えて頷いた。
「ラヴィーナちゃん!?」
不意にエントランスホールに声が響く。
この場にいた全員が声の主に振り向くと、そこにはお姉とモーナとワンド王子とオメレンカが丁度エントランスホールにやって来た所だった。
ラヴィはお姉の姿を見ると、お姉の許まで走り出して、お姉もラヴィに向かって走り出す。
そして、二人は抱きしめ合ってラヴィが涙を流した。
「ごめん……ごめんなさい。愛那が連れて行かれた」
「ラヴィーナちゃん……。ラヴィーナちゃんだけでも無事で良かったです」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「良いんですよ」
お姉が涙を流して謝るラヴィを優しく包む。
「おい、スミレ。マナが連れてかれたってどう言う事だ?」
「モーナスちゃん、面目ないなの。話すと長くなるけど、簡単に説明するとマナちゃんと仲の良かった子が奴隷商人のボスで……油断してしまったなの」
「……お前も油断したのか?」
ワンド王子がナオさんを睨んで、ナオさんは頭を下げて「はい」とだけ答えた。
険悪で暗い雰囲気が流れる。
わたしが捕まってしまたせいで、皆が悲しみ、怒りの矛先の向ける場所が分からなくなってしまっていた。
ワンド王子だって幼いながらに分かっていた。
ナオさんを責めたって何も意味が無い事に。
それでも、どうしてもナオさんに怒りをぶつけるしか出来なくて睨んでしまっていた。
でも、そんな中、皆の様子を見ていたシップが愉快そうに笑いだす。
「ざまあねえな! たかがガキを一人連れて行かれた程度で、どいつもこいつも負けたみたいな顔してよ! お前等ぜんい――っぶはあっ!」
シップが喋っている途中で、モーナが何処から持って来たのかシップの口の中に赤い液体を流し込んで、シップが顔を真っ赤にさせて液体を吐き出す。
「げほっげほっ。かっらあっ! っんだこれえ!?」
「ここに来る前に立ち寄ったキッチンで手に入れた香辛料だ」
「こ、香辛料!?」
突然の出来事にここにいる全員が困惑しながらモーナに注目する。
モーナはドヤ顔で胸を張り、その香辛料が入っていると思われる小瓶を高らかに上げた。
小瓶には【激辛マックス】と書かれていた。
「これだ!」
「いや意味わかんねーよ! 何がしてえんだてめえは!」
「おまえがムカついたから飲ませてやっただけだ。気にするな。お前こそその体どうしたんだ? 随分小さくなったな。まるでおまえの器の小ささくらいの大きさだな」
「うるせえ! 黙ってろ! ぶっ殺すぞ!」
「あーっはっはっはっ! ぶっ殺す? 笑わせるな! おまえ今そんなに小さいし身動きとれないんだぞ? 弱い奴ほどよく吠えるってのは本当だな、負け犬! おまえなんかこれで十分だわ!」
「ふざけん――っぶべえぁっっ……やめ…………げほぉっ」
「モーナちゃんいじめは駄目ですよ!」
「ううん。モーナス、もっとやってあげて」
「ラヴィーナちゃんまで!?」
本当にモーナは馬鹿で空気を読まない。
だけど、今回はそれを感謝しなければならないかもしれない。
モーナの馬鹿な行動のおかげで、いつの間にかラヴィの涙は止まっていた。
いつもの調子を取り戻して、それでお姉も安心した。
ワンド王子もモーナの馬鹿な行動を見て、呆れてため息を吐き出した。
シップには悪いけど、もう少しこの馬鹿……モーナにつきあってもらいたい所だ。
気がつけば、エントランスホールはワンド王子とスミレさんとシーサの笑い声で満たされて、暗く悲しみしかなかった雰囲気は綺麗さっぱりなくなっていた。