073 奴隷市場の館の決闘 逃亡戦 1
「バティ……じゃなくて、スミレ……さん。この音って……」
「奴隷を売買している会場で、多分モーナスちゃん達が予定通り暴れているなの」
「それって、やっぱりお姉も…………」
「その筈なのよ。マナちゃんを助けるって意気込んでいたなの」
「お姉……」
話は、お姉達がわたし達を助ける為に奴隷市場の館の会場内で暴れ始めた頃まで遡る。
わたし豊穣愛那はバティン改めスミレさんに助けられて、ラヴィとチーと一緒に捕まっていた女の子達五人を連れて、脱出する為に奴隷市場の館の中をスミレさんの後に続いて歩いていた。
何処からともなく聞こえてくる悲鳴や罵声に、逃げ惑う人達の足音から出る地響き。
それに、次第に館の外からも何やら喧騒が聞こえてきた。
スミレさんから聞いた話では、ナオさん達がフロアタムの兵を連れて来ている様なので、外の喧騒を聞く限り恐らく今頃は奴隷商人たちと戦っている筈だ。
本当はお姉とモーナの所に行きたいけど、そんな事をしてしまえば皆の行為を棒に振ってしまう事になる。
それは絶対に避けないといけないし、足手纏いになんてなりたくないから、わたしはスミレさんの言われた通りに館を出る事にした。
逃走経路は大胆にも正面玄関……エントランスホールから館の外に出る作戦だ。
ナオさんやランさんが奴隷商人たちを上手く陽動する事で、それを可能とさせるとの事だった。
お姉達も重要な役割があり、シーサとレバーの相手をする事になっている。
正直な気持ちとしてはお姉が心配だった。
でも、それでもわたしはお姉を信じてスミレさんについて行く事にした。
檻に入れられていた時に運ばれていた廊下を歩く。
最初ここを通った時は人とすれ違っていたけど今は全くそんな事は無く、外から聞こえてくる喧騒が嘘の様に廊下は静まり返っていた。
何事も無く順調に進んでいたのだけど、チーの様子だけがおかしかった。
チーは俯いていて、まるで重石を付けている様にゆっくりと歩いていた。
「チー、どうしたの? って、どうしたのじゃないよね。ほら、手繋ご」
チーの様子を見て不安なんだろうと思って手を前に出すと、チーはわたしを見つめてから頷いて、弱々しく手を握った。
手が震えてるかと思ったけど、そんな事は無いみたい。
でも、やっぱり怖いんだろうな。
あの部屋を出てからずっと黙ったままだし。
まあ、わたしも怖いのは一緒だし不安な気持ちは分かる。
だからお姉さんのわたしがしっかりしなきゃ。
「皆、止まってほしいなの」
少しの間歩いて、エントランスホールに続く曲がり角でスミレさんが片手を広げてわたし達を制止する。
何かよくない事が起きたのか、スミレさんからは何やら緊張した顔が窺えた。
「困ったなの。面倒なのがいるなのよ」
「面倒なの?」
気になって曲がり角の向こう側を覗いてみると、その先……エントランスホールにはオメレンカさんと同じく筋肉質な女性の奴隷商人とシップが立って何かを話していた。
筋肉質な体を持つ女性の名前はスタシアナ。
未だに謎の多い女性。
服装はパッと見どこにでもいる商人の様な服装だし何か武器を持っている様にも見えない。
捕まっていた時はフレンドリーな感じで話しかけてきたけど、その強面な顔からは威圧の様なものを感じて近寄り難い女性だ。
「スタシアナ、外の連中はどうなってる? 館の中は最悪だ。さっき兵どもが突入して来やがったと報告があった」
「ん~、外の方も最悪よ。流石はフロアタムの兵士達って所よね。それに何か仕掛けてくるとは思っていたけど、まさかこのタイミングなんてね。フロアタムの兵は一般人を巻き込まないと思っていたけど、見込み違いだったみたい」
「ま、んなのは予想通りっちゃ予想通りだが、ボスはそれでも奴隷の売買を予定通りに行うって言ったんだろ?」
「ええ、その通りよ。ん~、リングイ=トータスとの取引を、どうしても成功させたかったみたいね」
「けっ。あのロリコン野郎と……いや、それはまあ良い。先に逃亡者を捕まえるか」
――っ!?
わたしとシップの目がかち合う。
そして、瞬きする間もなく一瞬でシップが目の前にやって来て、わたしに向かって手を伸ばす。
「幼女に手荒な真似はよくないなの」
スミレさんがシップの手を払い除けて、そのままシップに向かって殴りかかる。
シップはそれを軽く避けて、わたし達から少しだけ距離をとった。
「へえ、結局裏切り者はお前だったのかよバティン。でも、俺は嬉しいぜ。お前の事は本当にムカついていたんだ。裏切り者と分かったからには、気兼ねなくお前を殺せるってもんだ!」
「殺すだとか一々悪趣味の糞野郎なのよ。お前なんかに構ってる暇はこっちにはないなの」
「ん~、残念だけど殺さなくちゃならないのは本当よ。裏切り者を殺さなきゃ、私達がボスに殺されちゃうわ」
ラヴィがわたしの前に出てスミレさんと並んだ。
「愛那は下がって。左腕の怪我がまだ治ってない。チーと皆を見てて」
「ラヴィ……」
わたしの左腕は治っていない。
それはラヴィの言う通りで、この館を出るまで治療を後回しにする事にした結果だった。
オークションの控室でスミレさんに助けてもらった後に、魔法を使えるようになったラヴィが治療すると言ったのをわたしが断ったのだ。
何故なら、わたし達だけでなく、他にも捕まっていた子達がいたからだ。
わたしの傷を治している間に奴隷商人たちに気付かれて、結果逃げられなくなってしまったら元も子もない。
そう考えてわたしは断った。
だから、今も尚傷は痛むし、こんな状態じゃ足手纏いになる事は分かっていた。
でも……それでもラヴィに任せるなんてしたくなかった。
だけど、そうも言っていられないのも事実だ。
ここにはわたしだけじゃなく、チーも他の子達だっているのだ。
わたしの勝手な我が儘で、皆を振り回すわけにはいかなかった。
だからわたしは自分の感情を抑えて、ラヴィの背中を見つめながら「分かった」とだけ答えてチー達を連れて後ろに下がって、チー達の前に出た。
「おい、スタシアナ。小娘どもは任せるぜ。俺はバティンを殺る」
「ん~、了解」
シップとスタシアナは言葉を交わすと同時に走り出す。
それと同じくして、スミレさんの真っ赤な髪が炎の様に揺らいで、スミレさん自身の周囲が熱を帯びていく。
「手加減しないなの」
瞬間――ロケットのように炎を上げてスミレさんが駆け出して、シップと拳同士で衝突する。
二人を中心にエントランスホールには熱風が発生して、わたしの肌を焼けるような強い風を通り過ぎた。
熱い。それに……速い!
二人の戦いは始まったばかりで、まるでアニメの様なバトルが繰り広げられる。
殴り殴られ蹴り蹴られ受け止め躱しての繰り返し。
まるで次元の違うその戦いに息を呑んで、わたしは目が離せなかった。
だけど、そうも言ってられないのが今の状況だ。
戦っているのは二人だけじゃない。
「アイスハンマー」
「ん~。お嬢ちゃんにしては強いけど、私には通用しないわよ」
「――っ」
ラヴィがスタシアナに向かって氷の槌で攻撃するも、氷の槌がスタシアナのその強靭な肉体の拳一つで砕かれる。
更に、スタシアナは手を伸ばしてラヴィの腕を掴んだ。
だけど、これはピンチじゃない。チャンスだ。
ラヴィは掴まれたと同時に、隠していたある物を取り出す。
そして、それを勢いよくスタシアナに向かって振るった。
「――ちぃ!」
スタシアナは直ぐにラヴィから手を離して、寸での所でラヴィの攻撃を避けて距離をとった。
「ん~、これはどう言う事かしら? その打ち出の小槌は取り上げた後に厳重に保管していた筈だけど?」
そう。
そのある物とは、三つの宝の一つである【打ち出の小槌】だったのだ。
実はスミレさんに助けだしてもらった時に、わたしとラヴィの私物を幾つか受け取っていたのだ。
とは言っても、受け取っていたのは打ち出の小槌とわたしのナイフだけで、カリブルヌスの剣やステチリングは受け取っていなかった。
ステチリングは奴隷商人の誰かが使っていて持ち出しが出来なくなり、カリブルヌスの剣は大きすぎて持ち出したら怪しまれるので持ち出しできなかったらしい。
でも、打ち出の小槌とナイフを持って来てくれただけでも十分と思っている。
わたしのスキル【必斬】はナイフがあれば十分使えるスキルだし、ラヴィも打ち出の小槌を使えば戦力アップが出来るからだ。
ただ、わたしはまだナイフを取り出す事は絶対にしない。
いざと言う時の為にとっておかないと、敵に警戒されてしまうからだ。
ラヴィが打ち出の小槌に魔力を集中して、打ち出の小槌が水色に淡く発光する。
そして、ラヴィを中心にして床に半径5メートルはありそうな大きな魔法陣が浮かび上がる。
それを見て、スタシアナが眉根を上げて顔を顰めた。
「ん~。打ち出の小槌なんて貴重な物を持っていたからまさかとは思っていたけれど、やっぱり扱う事自体は出来るみたいね。お嬢ちゃん達がそれをどうやって手に入れたかは知らないけれど、それはお嬢ちゃんが持つにはまだ早いわ。悪い事は言わないからこっちによこしなさい?」
「断る」
瞬間――魔法陣からラヴィを頭に乗せるようにして、雪だるまの形をした雪のゴーレムが出現した。
ラヴィを頭に乗せた雪だるまの大きさは約2メートルくらいの大きさで、それが現れた途端にエントランスホールに雪雲が生まれて雪が降り始めた。
「打ち出の小槌を媒介にしてゴーレムを生み出して雪雲を発生させた?」
「おい、スタシアナ! どうなってやがる!」
驚いて呟くスタシアナにシップが苛立ちながら近づいた。
そしてそれと同時に、スミレさんがわたしの側にやって来る。
「お話には聞いていたけど凄いなの。打ち出の小槌は魔力の消費が激しいから、魔法を使う為の媒介にすると普通の人なら気絶するなのよ」
スミレさんの言った事は正しかった。
実際にその通りで、わたしとお姉には出来ない芸当だった。
ただ、何かコツの様なものがあるらしくて、ラヴィがモーナからそのコツを教えてもらって扱えるようになっていた。
とは言うものの、やはり魔力の消費が激しいのは変わらないので、扱うには十分注意が必要なのだけど。
「予定変更だ。まずは小娘を潰す。打ち出の小槌の力ってやつを見せてもらうぜ」
「ん~。まあ良いけど、足を引っ張らないでね」
「それはこっちのセリフだ」
シップとスタシアナがラヴィと雪だるまを睨んで戦闘態勢に入る。
スミレさんも「お話してる場合でも無いなの」と言って、直ぐに雪だるまの隣に並んだ。
エントランスホールは雪で気温が下がり、吐息も段々と白くなっていく。
だけど、不思議と寒くはない。
それが何故なのかは分からないけれど、先程側に来たスミレさんが何かしてくれたからかもしれない。
何故そう思ったかと言うと、スミレさんが自由自在に炎を操っていたからだ。
背後にいるチーに視線を移すと恐怖で震えていた。
少しでも恐怖が和らげばいいと思い、わたしはチーの手を握って微笑む。
すると、チーは「マナお姉ちゃん……」と不安そうにわたしと目を合わせた。
「大丈夫。わたしがついてるから」